音楽には、聴くだけでは分からない"裏の顔"があります。 誰もが口ずさんだことのある童謡が、実は哲学者ルソーの作曲だったり、有名クラシックの作者が別人だったり…。 歴史の中で語り継がれてきた名曲たちは、驚きとロマンに満ちています。 今回は、そんな「楽曲・作品の起源」や「作曲家たちの知られざる逸話」を、ちょっとした雑学として紹介します。
目次
- 【第1章】名曲・童謡の意外なルーツ
- 【第2章】大作曲家たちの知られざる素顔
- 17. バッハの子供は20人
- 18. 天才ゆえの投獄経験
- 19. バッハ一族の始祖
- 20. モーツァルトの驚異の多作
- 21. モーツァルトの下ネタ曲
- 22. モーツァルトと猫
- 23. 音楽史上最大の盗作
- 24. ベートーヴェンとコーヒー豆
- 25. 40回以上引っ越した作曲家
- 26. ロックスターのようなリスト
- 27. リストの晩年の姿
- 28. シューベルトの愛称はメガネ君
- 29. 自分の曲にキレた天才
- 30. 驚異的な作曲スピード
- 31. 交響曲に20年かけたブラームス
- 32. 白い手袋で登場したショパン
- 33. ショパンの独特な指導法
- 34. 規則破りのドビュッシー
- 35. 女性を狂わせた作曲家
- 36. チャイコフスキーの死因説
- 37. 多才なメンデルスゾーン
- 38. バッハ復興の火付け役
- 【第3章】現代音楽・オーディオ・科学の雑学
- 【第4章】楽器・演奏・リズムの裏話
- 【第5章】生活の中の音楽・その他のミステリー
- まとめ
【第1章】名曲・童謡の意外なルーツ
1. むすんでひらいての作曲者

この童謡の作曲者は、18世紀フランスを代表する啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソーです。彼は『社会契約論』や『エミール』の著者として歴史の教科書に名を残す偉人ですが、実は小説家や植物学者、そして作曲家としても一流の才能を持っていました。彼の生涯最初の出版物は、論文ではなく自身が作曲したシャンソンの楽譜であり、音楽こそが彼の情熱の原点だったのです。
2. 原曲はルソーのオペラ

「むすんでひらいて」の原曲は、ルソーが作詞・作曲したオペラ『村の占い師』の中の「パントマイム」という曲です。このオペラはフランス国王ルイ15世の御前でも演奏され、大成功を収めました。当初、このメロディーに歌詞はありませんでしたが、素朴で覚えやすい旋律が人気を博し、後に様々な歌詞が付けられ、民衆の間で愛唱されるようになりました。
3. ピアノ曲として世界へ

ルソーのメロディーは、海を渡り世界中へ広がりました。ドイツのピアニスト、ヨハン・バプティスト・クラーマーが「ルソーの夢」というタイトルのピアノ変奏曲に編曲したことで、ヨーロッパだけでなくアメリカでも大ヒットを記録します。その後、キリスト教の賛美歌「グリーンヴィル」として採用されたことで、教会を通じて世界各国へ普及し、誰もが知るメロディーとなりました。
4. 日本での普及と軍歌化

日本にこの曲が入ってきたのは明治時代初期です。当初は賛美歌として紹介されましたが、明治14年に幼児教育用の歌詞が付けられ「むすんでひらいて」として定着しました。意外な歴史として、第二次世界大戦中には「見れば」という歌詞がつけられ、戦闘機を讃える軍歌として歌われていた時期もあります。平和な童謡には、時代ごとの世相を映し出す複雑な歴史が刻まれています。
5. ハッピーバースデーの原曲

世界中で歌われる「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」の原曲は、アメリカのヒル姉妹(姉ミルドレッドが作曲、妹パティが作詞)によって作られました。彼女たちは幼稚園の先生であり、毎朝子供たちを迎えるための歌として「Good Morning to All(皆さん、おはよう)」という曲を作りました。これが誕生日の歌へと変化する前の、知られざるオリジナルの姿です。
6. 無断で広まった替え歌

原曲の「Good Morning to All」は、1920年代頃から誰かの手によって「Happy birthday to you」という歌詞に替えられ、パーティなどで歌われるようになりました。この替え歌が1931年のブロードウェイミュージカルで無断使用されたことで爆発的に普及。後に裁判などを経て、1935年に正式に著作権登録がなされるという、数奇な運命を辿りました。
7. モーツァルトの子守唄の真実

日本で「眠れよい子よ」の歌い出しで親しまれる「モーツァルトの子守唄」ですが、近年の研究でモーツァルトの作品ではないことが確定しています。真の作曲者は、モーツァルトと同時代に生きたベルンハルト・フリースという人物です。彼は本職の音楽家ではなく、医学博士でありながら音楽を愛したアマチュア作曲家でした。長い間、楽譜の取り違えにより誤認されていたのです。
8. モーツァルトの熱狂的ファン

真の作曲者であるベルンハルト・フリースは、当時ベルリンに住んでおり、モーツァルトの熱狂的な大ファンでした。彼は尊敬するモーツァルトの作風を研究し、意図的にそのスタイルに寄せて作曲を行いました。その結果、あまりにも雰囲気が似ていたため、後世の人々が「これはモーツァルトの未発表曲に違いない」と勘違いし、長年信じ込まれてしまう結果となったのです。
9. 蛍の光はスコットランド民謡

卒業式や一日の終わりを告げる曲として定着している「蛍の光」。日本の歌だと思われがちですが、原曲はスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」です。原題は「久しき昔」や「懐かしき日々」を意味し、旧友と再会した際に酒を酌み交わし、昔を懐かしむ歌として、スコットランドだけでなく英語圏の国々で年越しの瞬間に歌われています。
10. 閉店BGMの正体

スーパーやデパートの閉店間際に流れるあのメロディーは、「蛍の光」だと誤解されがちですが、厳密には「別れのワルツ」という別の曲です。原曲は同じスコットランド民謡ですが、映画『哀愁』(1940年)の中で使われた3拍子のアレンジバージョンが日本で独自に広まりました。閉店を告げる切ない響きは、映画の悲恋の物語から生まれたものだったのです。
11. 蛍の光と別れのワルツの違い

「蛍の光」と「別れのワルツ」を聞き分ける決定的な違いは「拍子」にあります。卒業式で歌う「蛍の光」は、行進曲のように力強い「4拍子」で構成されています。一方、閉店BGMの「別れのワルツ」は、その名の通りダンス曲であるワルツのリズム、「3拍子」(ズン・チャッ・チャッ)で優雅にアレンジされています。今度耳にした際は、リズムを刻んでみると違いが分かります。
12. 日本で最も売れたシングル曲
日本の音楽史上、最も売れたシングルレコード(CD含む)は、1975年に発売された「およげ!たいやきくん」です。子供番組『ひらけ!ポンキッキ』から生まれた童謡ですが、サラリーマンの悲哀を感じさせる歌詞が大人たちの共感を呼び、社会現象となりました。累計売上は457万枚以上という驚異的な記録を打ち立て、未だにこの記録は破られていません。
13. 終了まで639年かかる曲

ドイツ・ハルバーシュタットの教会では、ジョン・ケージの楽曲「Organ2/ASLSP」が演奏され続けています。タイトルのASLSPは「As Slow As Possible(できるだけ遅く)」を意味し、この指示を極限まで解釈した結果、演奏終了まで639年かけるプロジェクトとなりました。2001年に開始され、次の音への切り替えに数ヶ月から数年かかるという、世代を超えた壮大な芸術です。
14. 世界最古の合奏音楽

日本が世界に誇る伝統芸能「雅楽」は、現存する中で世界最古の合奏音楽(オーケストラ)と言われています。5世紀頃から中国や朝鮮半島などを経て日本に伝わった音楽が、平安時代に日本独自の様式として完成されました。シルクロードを経て伝わった古代の楽器や旋律が、1000年以上途絶えることなく継承されているのは、世界的にも奇跡的なことです。
15. ED曲に隠されたメッセージ

アニメ『ドラゴンボールZ』の前期エンディング曲「でてこいとびきりZENKAIパワー!」の冒頭には、不思議な呪文のような声が入っています。これを逆再生すると、「あー、この曲を作るにあたっては、鈴木健二、二又一成…(スタッフ名)」といった、制作関係者への謝辞や内輪ネタが聞こえてきます。これは「バックワード・マスキング」という録音技術を使った遊び心です。
16. 俳句の季語になるミュージシャン

山下達郎、松任谷由実(ユーミン)、サザンオールスターズの3組は、現代俳句において「季語」として扱われることがあります。例えば山下達郎は「クリスマス・イブ」のイメージから冬の季語、サザンやTUBEは夏の季語として詠まれることがあります。一人のアーティストやバンドが、季節の風物詩として日本の文化に完全に定着したことを示す、非常に稀有な例です。
【第2章】大作曲家たちの知られざる素顔
17. バッハの子供は20人

「音楽の父」と呼ばれるヨハン・セバスチャン・バッハは、非常に子沢山な家庭人でした。最初の妻マリアとの間に7人、彼女との死別後に再婚したアンナとの間に13人、合計で20人もの子供を授かりました。そのうち成人したのは半数ほどでしたが、C.P.E.バッハやJ.C.バッハなど、後に高名な音楽家として活躍した息子たちも多く、バッハの音楽的遺伝子は脈々と受け継がれました。
18. 天才ゆえの投獄経験

真面目なイメージのあるバッハですが、若い頃は血気盛んでトラブルも経験しています。20代の頃、仕えていた領主(ヴァイマル公)に辞職を申し出たところ、その態度が不敬であるとして怒りを買い、約1ヶ月間、牢屋に投獄されてしまいました。しかし、バッハはこの投獄期間中も作曲をやめず、傑作「平均律クラヴィーア曲集」の一部を構想したとも伝えられています。
19. バッハ一族の始祖

数多くの音楽家を輩出したバッハ一族のルーツは、ヴィトゥス・バッハというパン職人(粉挽き職人)まで遡ります。彼はハンガリーからドイツに移り住み、水車小屋で粉を挽く作業の合間に、シトリンゲン(ギターのような楽器)を演奏していました。水車の回転音に合わせてリズムを取ることが、バッハ家の音楽的才能の原点になったと、J.S.バッハ自身が記録に残しています。
20. モーツァルトの驚異の多作

神童モーツァルトは35歳という若さでこの世を去りましたが、残した作品数は「ケッヘル番号」が付いているものだけでも626曲に及びます。断片なども含めるとそれ以上です。単純計算でも年間20曲近いペースですが、幼少期からの演奏旅行や病気療養の時間を含めてこれだけの傑作を生み出したスピードは、まさに常人離れした天才の証と言えるでしょう。
21. モーツァルトの下ネタ曲

高貴な宮廷音楽家のイメージとは裏腹に、モーツァルトは強烈な下ネタ好きでした。親しい友人や従姉妹に送った手紙はスカトロジー(排泄物に関する話)で溢れており、実際に「俺の尻をなめろ(Leck mich im Arsch)」というタイトルのカノン曲まで作曲しています。これらは彼の無邪気さと、当時の堅苦しい社会に対する反骨精神の表れとも解釈されています。
22. モーツァルトと猫

モーツァルトは無類の動物好きで、特に猫を可愛がっていました。彼が飼っていた猫が死んだ際にはひどく悲しみ、人間に対するのと変わらない正式な葬儀を行ったという逸話が残っています。また、歌曲の中で猫の鳴き声を模したフレーズを使うなど、猫との縁が深い作曲家です。
23. 音楽史上最大の盗作

14歳のモーツァルトは、ローマ教皇庁のシスティーナ礼拝堂で、門外不出の秘曲「ミゼレーレ」を聴きました。この曲は楽譜の持ち出しはおろか複写も禁じられていましたが、彼は一度聴いただけで記憶し、宿に帰って完璧に楽譜に書き起こしてしまいました。これは本来なら処罰対象ですが、教皇はその天才的な才能に感銘を受け、処罰するどころか勲章を授与したと言われています。
24. ベートーヴェンとコーヒー豆

ベートーヴェンは大のコーヒー愛好家でしたが、その淹れ方には異常なほどのこだわりがありました。彼は毎朝、自分でコーヒー豆を数え、きっちり「60粒」を用意してコーヒーを淹れていました。来客がある際も、人数分かける60粒を数えたといいます。この60粒という量は、現在のドリップコーヒーでも濃いめの美味しい一杯になると言われており、味覚も鋭敏だったことが分かります。
25. 40回以上引っ越した作曲家

ベートーヴェンは生涯で、ウィーン市内だけで少なくとも40回以上、説によっては70回以上もの引越しを繰り返しました。理由は様々ですが、「部屋が汚い」「夜中に大声で歌いながら作曲して騒音トラブルになった」「家賃の滞納」などが挙げられます。気難しい性格で家主や近隣住民と衝突することが多く、安住の地を見つけることが難しかったようです。
26. ロックスターのようなリスト

「ピアノの魔術師」フランツ・リストは、19世紀における現代のロックスターのような存在でした。端正な顔立ちと超絶技巧の演奏で女性たちを失神させ、彼が忘れていった手袋や、ピアノの断線した弦をファンが奪い合い、宝石に加工して身につける「リストマニア」という社会現象が起きました。彼は自身の魅せ方を熟知しており、客席に向かって横向きに座って弾くスタイルを定着させたのも彼です。
27. リストの晩年の姿

若い頃は数々の女性と浮名を流し、きらびやかな社交界のスターだったリストですが、晩年は心境が大きく変化しました。54歳でローマのカトリック教会に入り、聖職者の位階である「僧籍」を取得しました。以降は黒い僧服を身にまとい、「アッバーテ(修道士)・リスト」と呼ばれるようになりました。華やかな世俗の成功を極めた後、静かな信仰の世界へと帰依していったのです。
28. シューベルトの愛称はメガネ君

歌曲王シューベルトは、身長156cmほどと小柄で、少し太っていました。その愛嬌のある風貌から、友人たちには「シュヴァマール(Schwammerl)」というあだ名で呼ばれていました。これはオーストリアの方言で「小さなキノコ」という意味ですが、意訳して「ぽっちゃりちゃん」や、彼のトレードマークである眼鏡と合わせて「メガネ君」といったニュアンスで親しまれていました。
29. 自分の曲にキレた天才

シューベルトのピアノ曲は、時にプロでも演奏困難なほどの難易度を誇ります。ある時、彼自身が自作の「幻想曲(または『魔王』の伴奏とも)」を演奏しようとした際、あまりに難しくてうまく弾けず、「こんな曲は悪魔に弾かせておけ!」と叫んで楽譜を破り捨てたという逸話が残っています。天才が自分の才能に振り回される、人間味あふれるエピソードです。
30. 驚異的な作曲スピード

シューベルトは31年という短い生涯で1000曲近い作品を残しましたが、その筆の速さは伝説的です。名曲「魔王」はわずか数時間で、歌曲「鱒(ます)」に至っては約15分で書き上げたと言われています。また、「野ばら」のメロディーは、レストランで友人を待っている間に、ふと浮かんだ旋律をメニューの裏に書き留めて完成させたという逸話も有名です。
31. 交響曲に20年かけたブラームス

ブラームスは極度の完璧主義者であり、特に先人のベートーヴェンを深く尊敬していました。「ベートーヴェンの足音が後ろから聞こえる」とプレッシャーを感じ、自分ごときが交響曲を書いてよいものかと悩み続けました。その結果、彼の「交響曲第1番」は、着想から完成までなんと21年もの歳月を要しました。その甲斐あって、この曲は「ベートーヴェンの交響曲第10番」と称賛されました。
32. 白い手袋で登場したショパン

「ピアノの詩人」ショパンは、音楽だけでなくファッションや立ち居振る舞いも洗練されたダンディな人物でした。彼は極度の潔癖症でもあり、コンサート会場には常に清潔で仕立ての良い服で現れ、演奏の直前まで白い手袋を着用していました。パリの社交界では、彼の身につけるものや振る舞いが流行の最先端として注目される、ファッションアイコン的な存在でもあったのです。
33. ショパンの独特な指導法

ショパンは多くの弟子を取り、ピアノ教師としても生計を立てていましたが、その指導法はユニークでした。「練習は1日3時間まで」と厳命し、それ以上弾くと集中力が落ち、指を痛めるとして禁じたのです。また、指の力を抜くために「猿がぶら下がるようなイメージで」と教えたり、硬くなった生徒の手をリラックスさせる独自の方法を取り入れるなど、身体的な負担を減らすことを重視しました。
34. 規則破りのドビュッシー

フランスの作曲家ドビュッシーは、学生時代から既存の音楽理論に従わない問題児でした。パリ音楽院の和声法の授業では、伝統的に禁止されていた和音の進行をわざと使い、「自分の耳が心地よいと感じるものが正解だ」と主張して教授たちを激怒させました。この既成概念にとらわれない姿勢が、後の「印象派音楽」という新しいジャンルを切り開く原動力となりました。
35. 女性を狂わせた作曲家

ドビュッシーは音楽的な才能だけでなく、独特のアンニュイな魅力で女性を惹きつけました。しかし彼の女性関係は奔放かつ無責任で、付き合った女性が次々と精神的に追い詰められました。最初の妻は自殺未遂を図り、その後に付き合った女性もピストル自殺未遂を起こすなど、彼の周りでは愛憎劇が絶えませんでした。美しい音楽の裏には、ドロドロとした人間関係があったのです。
36. チャイコフスキーの死因説

『白鳥の湖』などで知られるチャイコフスキーの死因は、公式には生水を飲んだことによるコレラ感染とされています。しかし、彼が同性愛者であったことは公然の秘密であり、当時のロシア社会ではそれが重罪でした。スキャンダル発覚を恐れた母校の同窓会が彼に名誉の自決を強要し、毒を仰いで自殺したのではないかという「名誉裁判説」が、現代でも根強く議論されています。
37. 多才なメンデルスゾーン

メンデルスゾーンは裕福な銀行家の家に生まれ、最高の教育を受けたエリートでした。音楽の才能はもちろん、プロ並みの水彩画を描き、ゲーテと親交を持つほどの文学的教養があり、ラテン語やギリシャ語、英語、イタリア語などを操る語学の天才でもありました。性格も温厚で人望があり、音楽史上最も恵まれた環境で育った、欠点のない「幸福な音楽家」と言われています。
38. バッハ復興の火付け役

今日、バッハが「音楽の父」として尊敬されているのは、実はメンデルスゾーンの功績が大きいのです。バッハの死後、その作品は長く忘れ去られていましたが、メンデルスゾーンは20歳の時、約100年ぶりにバッハの大作「マタイ受難曲」を再演し、大成功を収めました。これを機に世界中でバッハの再評価ブームが巻き起こり、歴史の中に埋もれていた巨匠が蘇ったのです。
【第3章】現代音楽・オーディオ・科学の雑学
39. 上手すぎて予選落ち

昭和を代表する歌姫、美空ひばりにも、意外な挫折経験があります。9歳の時、彼女は「NHKのど自慢」に出場しましたが、結果はなんと鐘一つの「予選落ち」でした。審査員からは「子供らしくない」「大人の真似事であり、教育上好ましくない」と酷評されたのです。彼女の歌唱技術があまりに完成されており、当時の子供に求められていた「あどけなさ」とはかけ離れていたための逸話です。
40. 楽譜が読めない天才

1990年代に日本の音楽シーンを席巻した小室哲哉ですが、彼はクラシックの基礎教育を受けておらず、実は楽譜を読むのも書くのも苦手だと公言しています。彼は頭の中で鳴っている音を、シンセサイザーやコンピューターを使って直接データとして打ち込むスタイルで作曲していました。テクノロジーの進化が、楽譜という伝統的なツールを使わない新しい天才を生み出したのです。
41. B'zの元々の名前
日本で最もCDを売り上げているロックユニット「B'z」。名前の由来には諸説ありますが、結成当初は「A'z(アズ)」という候補がありました。「AからZまで全てを網羅する」という意味でしたが、発音が「エイズ」に聞こえてしまう懸念などから変更されました。その後、アルファベットの「A」の次は「B」だということで「B'z」になり、現在の伝説的なバンド名となりました。
42. ジャズアルバムの叫び声
ジャズピアニスト、セロニアス・モンクのアルバム『ブリリアント・コーナーズ』には、演奏中に「コルトレーン!コルトレーン!」と叫ぶモンクの声がそのまま収録されています。これは、難曲続きで疲れ果てていたサックス奏者のジョン・コルトレーンが、自分のソロパートに入るのを忘れそうになり、モンクが慌てて名前を呼んで入りの合図を出したという、現場の緊張感が伝わる瞬間です。
43. CD収録時間の由来
音楽CDの収録時間が最大約74分である理由は、ベートーヴェンの「交響曲第9番(第九)」がまるごと入る長さにするため、という説が有名です。あくまで逸話ですが、開発当時、ソニーの副社長で声楽家出身の大賀典雄が「第九が1枚に収まらない媒体は不完全だ」と主張し、演奏時間(約74分)を基準に規格が決まったとされています。
44. CD共同開発の攻防

CD(コンパクトディスク)は、日本のソニーとオランダのフィリップスによる共同開発で生まれました。フィリップス社はカセットテープと同じ対角線の11.5cm(収録時間60分)を提案していましたが、ソニー側は「第九」を収録できる12cm(74分)を強く主張しました。結果的にソニー案が採用されましたが、もしフィリップス案なら、今のCDやDVDのサイズはもう少し小さかったはずです。
45. ハイレゾ音源の情報量

近年普及している「ハイレゾ音源」は、従来のCDではカットされていた音域や繊細なニュアンスまで記録されています。CDの情報量は「1秒間に44,100回の音の波を記録(44.1kHz)」しますが、ハイレゾはその数倍(96kHzや192kHzなど)です。これにより、CDの約3倍〜6.5倍もの情報量を持ち、アーティストの息づかいや空気感まで、レコーディングスタジオに近い音質で体感できます。
46. 4分33秒に隠された数字の噂
ジョン・ケージの「4分33秒」は、4分33秒間一切楽器を演奏しないという前衛的な作品です。このタイトルを秒数に換算すると「273秒」になります。これが絶対零度(摂氏マイナス273度)と一致することから、「音の熱運動が停止した状態=沈黙」を表現しているという都市伝説があります。ケージ本人は否定していますが、あまりに美しい一致のため、ファンの間で語り継がれています。
47. 音符のない楽譜

「4分33秒」の楽譜は市販されていますが、中を開いても五線譜に音符は一つも書かれていません。代わりに、第1楽章から第3楽章までの各パートに「TACET(タチェット)」という単語が記されているだけです。これはラテン語で「休み」や「沈黙せよ」を意味する音楽用語です。演奏者はステージに出て、楽器を構え、楽譜をめくり、タイマーを見て時間を測るだけで、音を出しません。
48. 音に色が見える感覚

世の中には、音を聞くと同時に色が見える「共感覚(シナスタジア)」を持つ人がいます。「色聴」とも呼ばれ、例えば「ドの音は赤」「ミの音は黄色」といった具合に、音階や和音に対して特定の色を感じます。画家カンディンスキーや作曲家スクリャービン、歌手のビリー・アイリッシュなどもこの感覚を持っていると言われ、彼らの芸術表現に大きな影響を与えています。
49. 明確な音高の知覚範囲

人間の耳は、一般的に20Hz(低い音)から20,000Hz(高い音)まで聞こえると言われていますが、その中で「ドレミ」といった音程(音の高さ)を明確に聞き分けられる範囲は、ピアノの鍵盤の範囲(約27Hz〜4186Hz)とほぼ重なる5000Hz程度までです。それ以上の超高音になると、音としては聞こえても、「キーン」という不快音に感じるだけで、メロディーとして認識するのは困難になります。
50. 文明から隔てられた耳の能力

都会の騒音から離れ、スーダンのマバーン族のように静寂な環境で暮らす人々を調査したところ、驚くべき聴力が明らかになりました。彼らは80歳になっても先進国の若者と同等の聴力を保っており、中には40万種類もの音を聞き分け、数百メートル先の話し声を理解できる人もいたといいます。現代人の聴力低下は、加齢だけでなく、日常的な騒音ストレスが原因であることを示唆しています。
51. 最小可聴音圧は40デシベル

人間が「音」として認識できる最小の音量は、静かな環境で約0デシベル付近ですが、意味のある音として聞き取るにはある程度の音圧が必要です。一般的に40デシベル(図書館の静けさや、静かな住宅地)程度が、ストレスなく音が聞こえる環境の目安とされます。これより下がると「シーン」という静寂を感じ、逆に60デシベルを超えると「うるさい」と感じ始めます。
52. 絶対音感保持者は1%未満

「ジャーン」という和音を聞いて、即座に「ドミソ」と言い当てられる「絶対音感」。音楽家には必須と思われがちですが、実際に持っている人は世界人口の1%未満、音楽学生の中でも数割程度と言われています。これは遺伝よりも、3歳〜5歳頃の「臨界期」と呼ばれる時期に適切な訓練を受けたかどうかが大きく影響し、大人になってから身につけるのはほぼ不可能とされています。
【第4章】楽器・演奏・リズムの裏話
53. オーボエは繊細すぎて割れる

ギネスブックに「世界で一番難しい木管楽器」として登録されているオーボエですが、その扱いは演奏以上に困難です。管体に使われるグラナディラという木材は温度や湿度の変化に極端に弱く、冬場に冷えた楽器を急に吹いたり、エアコンの風が当たったりするだけで「ピキッ」とヒビが入って割れてしまいます。そのため演奏者は、自分の体温で楽器を温めるなど、我が子のように慎重に扱います。
54. チューニングがオーボエな理由

オーケストラの演奏前、最初に「ラー(A音)」を出して全体の音合わせ(チューニング)をするのは必ずオーボエです。これには理由があり、オーボエは構造上、音程の微調整が難しく、一度決まると音が安定しやすい楽器だからです。また、その鋭く通る音色は、大勢の楽器の中でも埋もれずに聞き取りやすいため、基準音として最適なのです。
55. 名器の木材の希少性

数億円の価値が付くバイオリン「ストラディバリウス」。17〜18世紀に製作されましたが、現代の科学技術をもってしても、その音色を完全に再現することはできません。一説には、当時の地球が「小氷河期」にあり、寒さで木の成長が遅く、年輪が極めて高密度に詰まった特殊な木材が育ったからだと言われています。現在の温暖な気候では、同じ品質の木材を入手すること自体が不可能なのです。
56. 名器は奏者を選ぶ

「弘法筆を選ばず」と言いますが、最高級の楽器に限っては「筆が人を選び」ます。ストラディバリウスなどのオールド楽器は、数百年もの間、一流の演奏家たちによって弾き込まれてきました。そのため、未熟な演奏者が弾くと楽器が鳴ることを拒み、ギシギシとした酷い音しか出ないことがあります。名器を鳴らすには、楽器が認めるほどの実力と、対話するような感性が必要とされるのです。
57. 意外なクラシック楽器

クラシック音楽には、驚くような物が楽器として登場します。ルロイ・アンダーソンの『タイプライター』では、本物のタイプライターをカチャカチャと叩いてリズムを刻みます。また、チャイコフスキーの『序曲1812年』では本物の大砲が、マーラーの『交響曲第6番』では巨大な木槌(ハンマー)が指定されるなど、作曲家たちは新しい音響効果を求めて、あらゆる音を楽器として取り入れてきました。
58. 左手だけで弾くピアノ曲

モーリス・ラヴェルが作曲した『左手のためのピアノ協奏曲』は、第一次世界大戦で右腕を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの依頼で作られました。片手だけとは思えない重厚な響きと超絶技巧が詰め込まれており、目を閉じて聴けば、両手で弾いているとしか思えないほどの迫力があります。不屈のピアニストと、それに応えた天才作曲家の友情が生んだ奇跡の曲です。
59. コンサートで注目すべき楽器

オーケストラのコンサートに行った際、ぜひ注目してほしいのが「コントラバス」です。彼らは縁の下の力持ちとして、音楽の土台を支える重低音を出し続けています。また、ラヴェルの『ボレロ』では、スネアドラム(小太鼓)の奏者に注目です。約15分間、たった一つのリズムパターンを、音量を極限の弱音から爆音までコントロールしながら4000回以上叩き続けるという、極限の集中力が試されるパートです。
60. 楽譜の小節とキリスト教

楽譜にある縦線(小節線)で区切られた「小節」という概念。これは17世紀頃に確立しましたが、背景にはキリスト教的な時間概念があるという説があります。「神が定めた秩序ある時間」を音楽で表現するため、カオスな時間の流れを均等に区切る必要があったのです。小節によって音楽は整理され、複雑な合奏(ポリフォニー)が可能になりましたが、同時に自由なリズムが失われたとも言えます。
61. 国ごとに違う「猫ふんじゃった」

日本で誰もが弾ける「猫ふんじゃった」ですが、世界中で似たメロディーが親しまれています。しかしタイトルは全く違い、ドイツでは「ノミのワルツ」、フランスでは「カツレツ(肋骨肉)」、スペインでは「チョコレート」、台湾では「泥棒行進曲」などと呼ばれています。「猫」が登場するのは日本くらいで、世界各国でこれほどイメージがバラバラな曲も珍しいでしょう。
62. 「猫死んじゃった」から改題

現在「猫ふんじゃった」として知られる歌詞ですが、かつては「猫死んじゃった」というブラックな歌詞で歌われていた地域がありました。しかし、NHKの番組などで採用される際、あまりに残酷だということでコミカルな『ふんじゃった』に書き換えられ、現在の形で普及しました。
63. 猫ふんじゃった作曲者の謎

「猫ふんじゃった」ほど有名な曲でありながら、その作曲者は現在も不明です。かつてはロシアの作曲家アントン・ルービンシュタインの作品説や、フェルディナンド・ロー(「ノミ」をもじった架空の人物説あり)などが挙げられますが、決定的な証拠は見つかっていません。あまりにシンプルな旋律のため、世界各地で自然発生的に生まれた可能性もあり、音楽史上最大のミステリーの一つとなっています。
64. ゴジラの鳴き声の正体

映画『ゴジラ』のあの独特な「ギャオー」という咆哮。実はこれ、楽器の音で作られています。音楽担当の伊福部昭が考案した方法で、コントラバスの太い弦を緩め、松脂をたっぷり塗った革手袋で強くしごくことで摩擦音を出しました。その音をテープに録音し、再生速度を遅くして加工することで、生物とも機械ともつかない、あの恐怖を煽る鳴き声が完成したのです。
65. 日本人がリズムに弱い理由

よく「日本人はリズム感がない(裏拍が取れない)」と言われますが、これは西洋音楽の「ダンスのリズム」を基準にした場合の話です。日本人は古来より、鍬を振り下ろす農作業の動きや、すり足で歩く動作など、重心を低く保つ生活をしてきました。そのため、飛び跳ねるような西洋のアップビート(裏拍)よりも、踏みしめるようなダウンビート(表拍)が得意な身体性を持っているのです。
66. 日本の静的なリズム感

日本には独自のリズム感があります。能や歌舞伎、武道における「間(ま)」の概念です。これはメトロノームのように一定に刻まれる時間ではなく、呼吸や気配に合わせて伸縮する、主観的で静的なリズムです。西洋音楽が「音を埋める」文化だとすれば、日本音楽は「無音(間)を感じる」文化。日本人はリズム感が悪いのではなく、全く異なる高度なリズム感覚を継承しているのです。
【第5章】生活の中の音楽・その他のミステリー
67. BGMの起源は古代エジプト

環境音楽やBGM(バックグラウンド・ミュージック)の歴史は古く、約4000年前の古代エジプトパピルスには、出産の痛みを和らげるために音楽を演奏した記録が残っています。音楽が単なる娯楽や宗教儀式だけでなく、「精神を落ち着かせる」「苦痛を緩和する」という実用的な機能を持つツールとして、古代から認識され活用されていた証拠と言えます。
68. BGMのイメージ誘導効果

日本におけるBGM活用の先駆けは、1900年代初頭の三越デパートです。「少年音楽隊」を結成して店内で演奏させ、高級感や優雅な雰囲気を演出することで、顧客の購買意欲を高めようとしました。これは「マスキング効果(騒音を消す)」と「感情誘導効果(気分を良くする)」を狙ったもので、現在の商業施設で流れるBGMマーケティングの原点となる試みでした。
69. 工場BGMで生産性向上

BGMは働く人の効率も変えます。かつて江崎グリコの工場で、作業中に音楽を流す実験を行ったところ、生産性が約10%向上し、さらにミスの発生率や従業員の疲労感も減少したというデータがあります。特に単純作業の現場では、リズミカルでテンポの良い音楽を流すことで、作業のリズムが整い、時間の経過を早く感じさせる効果があることが実証されています。
70. 飲食店BGMと回転率

飲食店のBGMは、客の滞在時間をコントロールするために計算されています。ランチタイムなどの混雑時には、テンポの速い曲を大きめの音量で流すことで、客が無意識に食べる速度を早め、回転率を上げる効果を狙います。逆に、高級レストランやバーでは、スローテンポの曲を小さく流し、ゆったりと過ごしてもらうことで、追加注文や客単価アップを促しています。
71. ウィーン中央墓地の偉人

オーストリアのウィーン中央墓地には「特別名誉地区(第32A区)」があり、ここにはベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウス親子など、音楽史を彩る巨匠たちが仲良く眠っています。モーツァルトだけは共同墓地に埋葬されたため遺骨が不明ですが、記念碑が建てられています。音楽ファンにとっては、偉人たちに一度にお参りできる聖地となっています。
72. 音楽開始動機は親の漠然とした思い

一流の音楽大学に通う学生への調査によると、楽器を始めたきっかけの第1位は「自分からやりたいと言った」ではなく、「親に勧められたから」が過半数を占めるそうです。その理由も「音楽家にしたかった」という明確な意思よりも、「情操教育によさそう」「なんとなく教養として」という漠然とした親の思いがスタート地点になっているケースが非常に多いのです。
73. 音楽家の家系は14%
「音楽の才能は遺伝するのか?」という問いに対し、ある調査では、音大生の親がプロの音楽家である割合はわずか14%程度でした。残りの8割以上は音楽とは無縁の家庭出身です。絶対音感や技術の習得には、遺伝子そのものよりも、幼少期に音楽に触れる環境を用意し、良い指導者に巡り会えるかどうかが決定的に重要であることを示しています。
74. CDが腐る過酷な環境

半永久的と思われているCDですが、保存状態が悪いと「腐る(劣化して読み込めなくなる)」ことがあります。特に高温多湿は天敵です。実験では、湿度95%・気温65℃のような環境に放置すると、反射膜(アルミ蒸着)が酸化・腐食し、最短で数日〜数週間でデータが消失することが確認されています。夏の車内などにCDを放置するのは、寿命を縮める自殺行為と言えます。
75. ボレロの着想は工場見学

ラヴェルの代表作『ボレロ』は、同じリズムとメロディーをひたすら繰り返す異色の作品です。この着想は、ラヴェルが友人と工場を見学した際、巨大な機械が規則正しく動き続ける音や様子に強い感銘を受けたことから生まれたという説があります。単調な繰り返しの中に潜む、機械的でありながら圧倒的なエネルギーの増幅を、オーケストラで表現しようとしたのかもしれません。
76. 未知との遭遇の交信音

SF映画の金字塔『未知との遭遇』で、人類と宇宙人が交信する際に使われる有名な5音のメロディー(レ・ミ・ド・ド・ソ)。監督のスピルバーグは「言語を超えたコミュニケーション手段は音楽(数学)である」と考え、作曲家のジョン・ウィリアムズに短く印象的なフレーズを依頼しました。ウィリアムズは13万通り以上の組み合わせを試し、最終的にこのシンプルかつ神秘的な5音に辿り着いたのです。
まとめ
一曲一曲に隠された背景を知ると、普段聴いているメロディーがまるで違って聞こえてきます。 「音楽」は耳だけでなく、時代や人の想いまでも伝えるタイムカプセル。 次に好きな曲を聴くときは、その裏にある"物語"にも少し耳を傾けてみてください。