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サッカーの雑学62選【面白い選手の話から海外の豆知識まで】 

サッカー雑学アイキャッチ

サッカーは世界中で愛されるスポーツですが、その長い歴史の中には信じられないような出来事が数多く存在します。華麗なゴールや名勝負の裏には、審判が自分にレッドカードを出す珍事や、観客がわずか300人のW杯、富士山より高い場所で行われる試合など、まるでフィクションのようなエピソードが潜んでいるのです。
今回は、そんなサッカーの世界で実際に起きた“驚愕・爆笑・感動”のトリビアを62個まとめて紹介します。サッカーファンはもちろん、詳しくない人でも楽しめること間違いなし!

目次

1. 審判が自分にレッドカード

zatsugaku soccer referee showing red card

1998年のイングランドでの試合中、審判のメルヴィン・シルヴェスター氏が選手から執拗な暴言を受け、我慢の限界を超えて選手を殴り返してしまいました。彼は即座に冷静さを取り戻すと、自分の行為を「退場に値する非紳士的行為」と判断し、なんと自分自身にレッドカードを提示してピッチを去りました。主審不在で試合は中止になりましたが、その潔すぎる責任の取り方は伝説として語り継がれています。

 

2. 史上最長のPK戦記録(56本)

zatsugaku soccer goal and ball

PK戦は通常5人ずつ蹴って決着をつけますが、2024年5月のイスラエル3部リーグ昇格プレーオフでは、両チーム合わせて「56人」が蹴るという異常事態が発生しました。GKを含めた全員が2周以上蹴り、スコアは23-22。ギネス世界記録を更新するこの死闘は、選手も観客も疲労困憊の末にようやく幕を閉じました。ちなみにGKが止めまくったわけではなく、お互いに決めまくった結果です。

 

3. 149対0の異常スコア

2002年のマダガスカル・リーグで、サッカー史上最も一方的なスコア「149-0」が記録されました。しかしこれは実力差ではありません。前の試合の審判判定に激怒したSOレミルヌの選手たちが、抗議のためにキックオフのたびに自軍のゴールへオウンゴールを蹴り込み続けたのです。観客は呆然とし、後に監督と選手には厳重な出場停止処分が下されましたが、この不滅の記録は今もギネスに残っています。

 

4. W杯最年少得点者

「サッカーの王様」ペレが1958年スウェーデン大会で記録した「17歳と239日」でのゴールは、半世紀以上経った今もW杯最年少得点記録として破られていません。準々決勝のウェールズ戦で決めたこのゴールを皮切りに、準決勝でハットトリック、決勝でも2得点を挙げてブラジルを初優勝に導きました。まさに伝説の始まりを告げる、衝撃的なデビューでした。

 

5. 世界最古の現役クラブ

サッカーの母国イングランドには、1857年に創設された「シェフィールドFC」というクラブがあります。これはFIFAから「現存する世界最古のサッカークラブ」として認定されています。プロ化の波には乗らず、現在もアマチュアクラブとして活動していますが、サッカーの歴史を見守り続けてきた生ける伝説として、世界中のファンからリスペクトされています。

 

6. サッカー起源は蹴鞠説

zatsugaku soccer balls side by side

サッカーの発祥地はイングランドとされていますが、FIFAは「サッカーの最も古い形態」として、紀元前2〜3世紀の中国で行われていた「蹴鞠(しゅうきく)」を認定しています。当時の蹴鞠は軍事訓練の一環で、羽毛を詰めた革のボールを手を使わずに蹴り、穴に入れる競技でした。はるか昔から、人類はボールを蹴ることに熱中していたのです。

 

7. W杯で唯一の永久所有

zatsugaku soccer thief stealing trophy from sleeping man

初代W杯トロフィー「ジュール・リメ杯」は、3回優勝した国が永久に所有できる決まりでした。1970年にブラジルが達成し持ち帰りましたが、1983年に展示されていたリオデジャネイロで盗難に遭い、二度と戻ってきませんでした。犯人によって溶かされ金塊として売られたと言われており、現在はレプリカだけが残る悲しい事件です。

 

8. ロスタイムの誕生秘話

アディショナルタイム(ロスタイム)が生まれたのは、1891年のとある試合がきっかけです。アストン・ヴィラのGKが、勝っている状況でわざとボールを遠くへ蹴り飛ばして時間稼ぎをしたことに審判が激怒し、「失われた時間を計測して試合時間に追加する」というルールを考案しました。悪質な遅延行為が、現代のドラマチックな「ラスト数分の逆転劇」を生むきっかけになったのです。

 

9. カードの信号機着想

言葉が通じない国際試合でのトラブルを防ぐため、1970年W杯からイエローカードとレッドカードが導入されました。考案者のケン・アストン氏は、交差点の信号機を見て「黄色は注意、赤は停止(退場)なら、世界中の誰にでも一瞬で伝わる」と閃いたそうです。このシンプルで画期的な発明により、審判の意思表示は劇的にスムーズになりました。

 

10. 12番はサポーターの番号

zatsugaku soccer celebrating fans with player

サッカーは11人でプレーしますが、スタンドで声を枯らして応援するサポーターを「12番目の選手」と呼ぶ文化があります。彼らの応援がチームに力を与えることを認め、多くのクラブチーム(Jリーグの多くのチームを含む)が背番号「12」をサポーター専用の永久欠番としています。選手とファンが一体となって戦うサッカーならではの伝統です。

 

11. GKユニフォームの歴史

zatsugaku soccer coach teaching players

1900年代初頭まで、GKはフィールド選手と同じユニフォームを着ていました。しかし、ゴール前の混戦で「誰が手を使えるGKなのか分からない」という混乱が頻発したため、1909年にGKだけ別の色を着ることがルール化されました。当初は地味な色が多かったのですが、後に相手を威圧したり体を大きく見せたりするために、派手な色のユニフォームが好まれるようになりました。

 

12. マラドーナと靴ひも

zatsugaku soccer blue socks white cleats

アルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナは、試合中によく靴ひもがほどけていましたが、結び直さずにプレーを続けることがありました。彼は「靴ひもをきつく結ぶと足の感覚が鈍る」「ほどけている方がボールタッチが柔らかくなる」と信じていたそうです。常人には真似できない感覚ですが、天才ならではのこだわり(あるいはただのズボラ?)として語られています。

 

13. 富士山より高いスタジアム

zatsugaku soccer man playing soccer with mountains in background

ボリビアにある「エスタディオ・ムニシパル・デ・エル・アルト」は、標高約4,150mという、富士山頂(3,776m)よりも高い場所にあります。酸素濃度が平地の約60%しかないため、アウェイの選手は呼吸困難や高山病に苦しみ、ボールも空気抵抗が減って異常に飛びます。ホームチームにとっては絶対有利な、世界で最も過酷なスタジアムの一つです。

 

14. 宇宙旅行禁止の契約

1999年、スウェーデン代表ステファン・シュワルツがサンダーランドに移籍した際、契約書に前代未聞の条項が盛り込まれました。それは「宇宙旅行に行ってはならない」というものです。彼が宇宙旅行のチケットを予約したという噂があり、クラブ側が「もし宇宙に行って帰ってこられなくなったら困る」と本気で心配して禁止したのです。サッカー界一スケールの大きい契約条項です。

 

15. 最多観客動員記録

zatsugaku soccer stadium with cityscape

1950年ブラジルW杯の決勝リーグ、ブラジル対ウルグアイ戦。会場のマラカナン・スタジアムには、公式記録で17万3850人、実際には「約20万人」もの観客が詰めかけたとされています。これはサッカー史上最多記録です。しかし、ブラジルがまさかの逆転負けを喫し、スタジアムは20万人の葬儀場のような静寂に包まれました(マラカナンの悲劇)。

 

16. 史上最短の退場記録

zatsugaku soccer red card shown

2000年、イングランドのアマチュアリーグで、リー・トッド選手が試合開始の笛が鳴ってからわずか「2秒」で退場になりました。理由は、主審が耳元で力いっぱいホイッスルを吹いたことに驚き、「うるせぇ!(Fワード)」と暴言を吐いたためです。主審は即座にレッドカードを提示。文句なしのギネス世界記録ですが、本人にとっては理不尽すぎる記録かもしれません。

 

17. 霧の中で一人残されたGK

zatsugaku soccer goalkeeper in fog

1937年、濃霧のロンドンで行われた試合でのこと。霧が濃すぎて試合は中止になりましたが、GKのサム・バートラム選手にはそれが伝わらず、無人のピッチで15分以上もゴールを守り続けました。警官に「何をしてるんだ」と声をかけられた彼は、「味方がずっと相手陣地に押し込んで攻めていると思っていた」と悲しそうに語ったそうです。

 

18. 審判が選手を担ぐ

zatsugaku soccer carrying injured player

ブラジルの試合で、負傷した選手が出たにも関わらず担架がなかなか来ないことに業を煮やした主審が、自らその選手をお姫様抱っこ(あるいは担ぐよう)にしてピッチの外へ運び出しました。選手を気遣う優しさと、試合をスムーズに進めたいという審判の責任感が生んだ珍プレーならぬ「珍ファインプレー」として、観客から拍手が送られました。

 

19. W杯史上初の女性審判

zatsugaku soccer whistle blow woman

2022年カタールW杯のコスタリカ対ドイツ戦で、フランスのステファニー・フラパールさんが男子W杯史上初めて、女性として主審を務めました。さらに副審も女性が担当し、初の「女性審判団」による試合となりました。サッカー界におけるジェンダー平等の大きな一歩として歴史に刻まれた瞬間でした。

 

20. 74歳のプロサッカー選手

エジプトのエゼルディン・バハダー氏は、74歳にしてプロ契約を結び、2020年に公式戦フル出場を果たしました。さらにPKで得点も決め、「世界最高齢のプロサッカー選手」としてギネス記録に認定されました。孫のような20代の選手たちに混じって90分間走り抜いた鉄人は、「年齢はただの数字だ」ということを世界中に証明しました。

 

21. 昔のボールは豚の膀胱

ゴムや合成皮革が発明される前、サッカーボールの中身(チューブ)には「豚の膀胱」を膨らませたものが使われていました。これを革で覆って縫い合わせていましたが、形がいびつで真ん丸にはならず、雨が降ると革が水を吸って岩のように重くなりました。現代の選手が当時のボールを蹴ったら、きっと足を痛めてしまうでしょう。

 

22. W杯トロフィーの素材

zatsugaku soccer trophy and money

現在のFIFAワールドカップトロフィーは、高さ36.8cm、重さ6.175kg。純金ではなく「18金(金75%)」で作られています。もし純金で作ると重すぎて持ち上げるのが困難になるのと、柔らかすぎて変形しやすいためです。それでも時価数千万円以上の価値があり、優勝国の選手と国家元首しか触ることが許されない、世界で最も尊いトロフィーです。

 

23. ヘディング禁止令の国

アメリカサッカー連盟は2015年、10歳以下の子供のヘディングを全面的に禁止し、11歳〜13歳についても練習での回数を制限するルールを導入しました。これは脳震盪や、将来的な脳へのダメージ(CTE:慢性外傷性脳症)のリスクを減らすためです。子供の脳を守るためのこの取り組みは、育成年代の指導方法に一石を投じました。

 

24. 世界最長のゴールなし

コロンビアのクラブ、デポルテス・キンドは、1991年から1992年にかけて、プロリーグで「1,024分間(約11試合半分)」もの間、一度もゴールを決められませんでした。これは世界最長の連続無得点記録と言われています。サポーターにとっては悪夢のような時間でしたが、それでも応援し続けたファンの忍耐力には頭が下がります。

 

25. GKのPK最多成功記録

ブラジルの伝説的GKロジェリオ・セニは、「GKなのに点が取れる」選手として有名です。フリーキックとPKの名手で、キャリア通算でなんと「131ゴール」も記録しました。これは多くのFWやMFの通算得点をも上回る数字です。守護神でありながらチームの得点源でもあった彼は、サッカー界の常識を覆した唯一無二の存在です。

 

26. 最多ゴールディフェンダー

バルセロナなどで活躍したロナルド・クーマンは、センターバックでありながらキャリア通算「253ゴール」という、FW顔負けの得点記録を持っています。彼の武器は「弾丸」と称される強烈なミドルシュートとフリーキック。守備で相手を止め、攻撃では自ら点を取るという、究極の万能ディフェンダーでした。

 

27. 犬がゴールを決めた試合

1996年、南米のサッカーリーグで信じられない珍事が起きました。試合中に野良犬がピッチに乱入し、ゴールに向かっていたボールにお尻(または体)が当たってコースが変わり、そのままゴールインしてしまったのです。当然ノーゴール判定でしたが、スタジアムは大爆笑。この犬は一躍有名になり、チームのマスコット的存在になりました。

 

28. 最初のスローインは足で

zatsugaku soccer man running with ball

1863年にサッカーのルールが統一された当初、タッチラインを出たボールは手ではなく「足」で蹴り入れる「キックイン」方式でした。しかし、これだとフリーキックと同じようにゴール前へ放り込むパワープレーばかりになり、試合が単調になるため、後に手で投げるスローインに変更されました。フットサルのキックインはその名残とも言えます。

 

29. ゴールの幅が半端な理由

サッカーゴールの幅は7.32m、高さ2.44mと、非常に覚えにくい数字です。これはサッカー発祥の地イングランドが「ヤード・ポンド法」を使っていたためで、「幅8ヤード(約7.32m)、高さ8フィート(約2.44m)」と決められたものをメートル換算したからです。キリの良い数字ではありませんが、このサイズが絶妙な得点バランスを生み出しています。

 

30. ボールデザインの秘密

zatsugaku soccer soccer ball

サッカーボールといえば「白と黒の亀甲模様(テルスター)」を思い浮かべますが、これは1970年メキシコW杯で初めて採用されたデザインです。当時普及し始めた白黒テレビの画面でも、ボールの回転や位置がはっきりと見えるように、白と黒のコントラストが選ばれました。テレビ映りのために生まれたデザインが、今やサッカーの象徴となっているのです。

 

31. W杯最少観客動員記録

zatsugaku soccer stadium view

現在ではチケット入手困難なW杯ですが、1930年の第1回ウルグアイ大会のルーマニア対ペルー戦は、公式記録で観客がわずか「300人」しかいませんでした。これはW杯史上最少記録です。当時はまだW杯の価値が低く、欧州から船で長時間かけて移動するのも困難だったため、地元以外の試合には関心が集まらなかったようです。

 

32. クライフの背番号「14」の偶然

オランダの英雄ヨハン・クライフの代名詞である背番号「14」。実はこれ、偶然の産物でした。試合前、チームメイトのユニフォーム(7番)が見当たらず、クライフが自分の9番を譲り、たまたまバスケットに入っていた予備の「14番」を着て試合に出たところ大活躍。以来、ゲン担ぎとして14番を愛用し、エースナンバーの常識を変えました。

 

33. 靴箱に隠されたトロフィー

zatsugaku soccer trophy in shoe cabinet

第二次世界大戦中、W杯トロフィーはナチス・ドイツによる没収の危機にありました。イタリアのFIFA副会長オットリーノ・バラッシ氏は、ローマの銀行からこっそりトロフィーを持ち出し、自宅のベッドの下にある「古い靴箱」の中に隠しました。ナチスの捜査員が家宅捜索に来ましたが、まさか汚い靴箱の中にあるとは思わず、トロフィーは奇跡的に守られたのです。

 

34. W杯で予選なしの国

1930年の第1回W杯は、予選が行われませんでした。参加希望国が少なかったため、手を挙げた13ヶ国すべてが「招待枠」として本大会に出場できました。開催国のウルグアイはそのまま優勝し、「予選を一度も戦わずにW杯王者になった唯一の国」という珍しい記録を持っています。現在のような厳しい予選がある時代からは考えられない牧歌的な時代でした。

 

35. 初の国際試合は引き分け

zatsugaku soccer vintage football match

1872年、スコットランドのグラスゴーで、世界初となるFIFA公認の国際試合「スコットランド対イングランド」が行われました。約4000人の観客が見守る中、両チームとも死力を尽くしましたが、結果は「0-0」の引き分けでした。記念すべき最初の国際試合でゴールが生まれなかったことは、サッカーにおいて守備がいかに重要かを物語っています。

 

36. GKのハンドリング制限(バックパス)

zatsugaku soccer goalkeeper player football

1992年まで、GKは味方からのパスを手でキャッチすることができました。しかし、勝っているチームが延々とGKにパスを戻して時間稼ぎをする退屈なプレーが横行したため、ルールが改正され「バックパスの手での処理」が禁止されました。これによりGKにも足元の技術が求められるようになり、現代サッカーの戦術が大きく進化しました。

 

37. 最初のW杯アジア代表

zatsugaku soccer football match with crowd

アジアから初めてW杯に出場したのは、日本でも韓国でもなく、1938年大会の「オランダ領東インド(現在のインドネシア)」です。予選で対戦するはずだった日本が辞退したため、不戦勝で本大会への切符を手にしました。試合はハンガリーに0-6で大敗しましたが、アジアサッカーの歴史的な第一歩を刻んだのは彼らでした。

 

38. Jリーグ最年少得点

J1リーグにおける最年少得点記録は、森本貴幸選手(当時東京ヴェルディ)が2004年に記録した「15歳11ヶ月28日」です。中学生でJリーグのピッチに立ち、屈強な大人たちを相手にゴールを決めた衝撃は凄まじく、「和製ロナウド」として世界中から注目を集めました。この記録は20年以上経った今も破られていない金字塔です。

 

39. イタリア・カテナチオの起源

イタリアサッカーの代名詞である鉄壁の守備戦術「カテナチオ(鍵をかける)」。実はこの戦術の発祥はイタリアではなくスイスです。1930年代、スイス代表監督のカール・ラパンが、守備を固めて格上の相手に対抗するために考案した「ボルト・システム」が原型です。これがイタリアに輸入され、独自の進化を遂げて最強の守備戦術として完成しました。

 

40. ドイツの50+1ルール

zatsugaku soccer champions trophy stadium fans german flag

ドイツ・ブンデスリーガには「クラブの株式の51%以上は、ファン(会員)が保有しなければならない」という独自のルールがあります。これにより、外国の富豪や企業がクラブを買収して私物化することを防ぎ、チケット代を安く抑えるなど「ファンのためのクラブ運営」が守られています。世界一の観客動員数を誇るドイツサッカーの健全性の秘訣です。

 

41. CLアンセムのベース曲

zatsugaku soccer baroque composer with organ

UEFAチャンピオンズリーグの試合前に流れる荘厳なアンセム。あの曲はヘンデルが作曲した『司祭ザドク』という戴冠式の曲を現代風にアレンジしたものです。歌詞は「The Champions!」と英語で歌っているように聞こえますが、実はUEFAの公用語である「英語・ドイツ語・フランス語」の3ヶ国語をミックスして作られています。

 

42. W杯最多得点の優勝逃した国

1954年W杯のハンガリー代表は「マジック・マジャール」と呼ばれ、無敵の強さを誇りました。1大会でなんと「27得点」というW杯最多得点記録を叩き出しましたが、決勝で西ドイツにまさかの逆転負けを喫しました(ベルンの奇跡)。圧倒的な攻撃力で世界を魅了しながら、あと一歩で優勝に届かなかった「最強の無冠チーム」として語り継がれています。

 

43. スコットランドのダービー背景

スコットランドのセルティック対レンジャーズ戦は「オールドファーム」と呼ばれ、世界で最も激しいダービーの一つです。これは単なる地域の対立ではなく、セルティック(カトリック系・アイルランド移民)とレンジャーズ(プロテスタント系・英国支持)という、宗教や政治、民族の対立が背景にあるためです。両者の試合はサッカーを超えた代理戦争の様相を呈します。

 

44. Jリーグ初のハットトリック

1993年、Jリーグ開幕の年に最初のハットトリックを達成したのは、鹿島アントラーズのジーコ選手でした。「サッカーの神様」と呼ばれる彼は、40歳という年齢ながら卓越した技術で3得点を挙げ、日本のファンに世界レベルのプレーを見せつけました。Jリーグの歴史は、神様のハットトリックから始まったと言っても過言ではありません。

 

45. Jリーグ最長PK戦

2010年天皇杯、Honda FC対筑波大学の試合は、PK戦が延々と続きました。両チーム全員(11人)が蹴っても決着がつかず、2周目に突入。最終的に「24人目」まで蹴り合い、スコア「11-10」でようやく決着しました。プロアマ混在の天皇杯ならではの、互いの意地がぶつかり合った記録的な死闘でした。

 

46. W杯全大会出場の国

1930年の第1回大会から現在まで、一度も予選落ちすることなく全てのワールドカップに出場し続けている唯一の国、それがブラジルです。「サッカー王国」の名に恥じぬ偉大な記録です。優勝回数も最多の5回を誇り、W杯の歴史はブラジルと共にあると言えます。彼らにとってW杯出場は目標ではなく、義務なのです。

 

47. Jリーグ初のゴールデンゴール

zatsugaku soccer goal save

延長戦で点が入った瞬間に試合終了となる「Vゴール(ゴールデンゴール)方式」。Jリーグで初めてこの劇的な決着がついたのは、1993年の鹿島アントラーズ対横浜フリューゲルス戦です。延長戦で鹿島のアルシンド選手がPKを決め、その瞬間に試合が終わりました。残酷かつスリリングなこのルールは、初期Jリーグの熱狂を象徴するシステムでした。

 

48. ブラジルの背番号の文化

背番号の意味は国によって微妙に違います。日本では「5番」はセンターバックのイメージが強いですが、ブラジルでは「5番」は守備的ミッドフィルダー(ボランチ)のエースナンバーとされています。逆にセンターバックは3番や4番が主流です。国ごとのサッカー文化や歴史的背景が、背番号のイメージにも反映されているのです。

 

49. Jリーグ初のMVP

1993年、華々しく開幕したJリーグの初代年間最優秀選手(MVP)に輝いたのは、ヴェルディ川崎の三浦知良選手(カズ)です。独特のステップ(シザース)とゴール後のカズダンスで日本中を熱狂させ、Jリーグブームの主役となりました。実力、人気ともに初代MVPにふさわしい、日本サッカー界のキングです。

 

50. グリーンランドはFIFA未加盟

zatsugaku soccer football field in snowy landscape

世界最大の島グリーンランドにはサッカーリーグがありますが、FIFA(国際サッカー連盟)には加盟できていません。理由は「寒すぎて天然芝のピッチが育たないから」です。FIFAの規定では天然芝のグラウンドが必要とされていましたが、全土が氷と岩に覆われたグリーンランドでは維持が不可能なのです(近年は人工芝の普及で加盟の可能性も出てきています)。

 

51. Jリーグ最長在任外国人監督

柏レイソルなどを率いたネルシーニョ監督は、Jリーグで最も長く指揮を執った外国人監督の一人です。通算10年以上も日本のクラブを指導し、J1優勝や天皇杯制覇など数々のタイトルをもたらしました。「勝つための規律」を徹底する厳しい指導で知られますが、日本サッカーを深く理解し愛した名将として、多くのファンに支持されています。

 

52. 昔はスパイクに装飾品

16世紀、イングランドのエリザベス1世の時代にもサッカーは行われていました。当時の記録によると、サッカー用の靴は貴族の権威を示すために、重厚な革で作られ、装飾品までついていたそうです。走る機能性よりも見た目の豪華さが重視されていたようで、現代の軽量スパイクとは似ても似つかない「足かせ」のような靴でボールを蹴っていたのです。

 

53. 雷が落ちた珍事

zatsugaku soccer football game lightning strike

1998年、コンゴ民主共和国での試合中に落雷がありました。衝撃的なことに、ホームチームの選手11人全員が雷に打たれて倒れ(数名が死亡)、アウェイチームの選手は全員無傷だったのです。スパイクの素材の違い(金属製かゴム製か)などが原因と推測されていますが、あまりに不可解な現象だったため、当時は「呪術のせいだ」と噂になりました。

 

54. オウンゴールを守る奇妙な試合

1994年のバルバドス対グレナダ戦は「史上最も奇妙な試合」と呼ばれます。「延長戦のゴールは2点扱い」という特殊ルールのせいで、2点差をつけて勝ちたいバルバドスがわざとオウンゴールをして延長戦に持ち込もうとし、それを阻止するためにグレナダが「相手ゴール(バルバドスのゴール)」を守るという、攻守があべこべの展開になりました。ルール設定の欠陥が生んだ珍事です。

 

55. 世界最古のダービーマッチ

世界で最も古いダービーマッチは、イングランドのシェフィールドで行われる「シェフィールドFC対ハラムFC」の試合です。1860年に初めて対戦して以来、160年以上も続いています。両チームとも世界最古級の歴史を持つクラブであり、この試合は「ルールズ・ダービー」と呼ばれ、サッカーの原点を感じさせる伝統の一戦として親しまれています。

 

56. 日本人初のW杯退場

日本が悲願の初出場を果たした1998年フランスW杯。グループリーグ第3戦のジャマイカ戦で、平野孝選手が日本人としてW杯史上初めてレッドカードを受け、退場処分となりました。世界との激しい戦いの中で生まれた記録であり、日本代表が真剣勝負の舞台に立った証でもあります。この悔しさが、その後の日本代表の成長の糧となりました。

 

57. 最初のナイター照明試合

zatsugaku soccer football match at night

世界で初めて電気照明(ナイター)を使ってサッカーの試合が行われたのは、なんと1878年のイングランドです。エジソンが白熱電球を発明する前年、アーク灯という照明を使って実験的に行われました。当時は発電機がうるさく、光も不安定でしたが、夜でもサッカーをしたいという人々の情熱が、いち早くテクノロジーを取り入れさせたのです。

 

58. 1試合でイエローカード3枚

サッカーではイエローカード2枚で退場ですが、2006年W杯クロアチア対オーストラリア戦で珍事が起きました。主審のグラハム・ポール氏が、クロアチアのシムニッチ選手に2枚目のイエローを出した際、退場させるのを忘れてしまい、その後3枚目のイエローを出してようやく退場させたのです。「1試合にイエロー3枚」というありえない記録が公式に残ってしまいました。

 

59. GKグローブの普及時期

zatsugaku soccer goalkeeper glove catching ball

現在では当たり前のGKグローブですが、普及したのは1970年代以降と比較的最近です。それまでは素手でプレーするか、寒さ対策の薄い軍手のようなものを使うのが一般的でした。ボールの進化でシュートが強烈になり、指の怪我を防ぐため、そしてキャッチングの確実性を高めるために、クッション性とグリップ力のある専用グローブが開発されました。

 

60. W杯最速のゴール(11秒)

W杯史上最も早いゴールは、2002年日韓大会の3位決定戦、トルコ対韓国の試合で生まれました。キックオフ直後、韓国のDFからボールを奪ったトルコのハカン・シュキュル選手が、開始わずか「11秒」でゴールネットを揺らしました。観客が席に着く暇もない電光石火の一撃は、今も破られていないワールドカップ記録です。

 

61. GKがキャプテンにならない理由

zatsugaku soccer team lineup

ゴールキーパーがキャプテンを務めるケースは比較的少ないです。理由はポジションにあります。GKはピッチの端にいるため、反対側のゴール前でトラブルが起きても仲裁に行けず、主審とコミュニケーションを取るのも難しいためです。フィールドの中央にいて全体を把握しやすいMFやDFの選手がキャプテンに選ばれることが多いのは、実務的な理由があるのです。

 

62. 試合開始前に退場した選手

2017年、マルセイユのパトリス・エブラ選手は、ヨーロッパリーグの試合前、ウォーミングアップ中に自チームのサポーターから執拗な野次を浴びました。激昂した彼はスタンドに近づき、あろうことかファンに見事なハイキックを見舞ってしまいました。これにより、試合が始まる前にレッドカードで退場処分になるという、前代未聞の不名誉な記録を作ってしまいました。

 

まとめ

サッカーは単なるスポーツではなく、各地の文化や歴史、時代の空気までも巻き込みながら進化してきました。だからこそ、今回紹介したような奇跡や珍事、感動的なストーリーが数えきれないほど生まれてきたのです。
これらのトリビアは、サッカーが世界中で愛され続ける理由の一片であり、人々の情熱が紡いできた“もう一つのサッカー史”と言えるでしょう。
あなたもぜひ、今日知った小ネタを誰かに話して、サッカーの魅力を広めてみてください。そこから新たなスター誕生のきっかけになるかもしれません。

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