野球は100年以上にわたって世界中で愛されてきたスポーツですが、その裏には「そんな理由で!?」と思わず驚いてしまうエピソードや、知れば観戦がもっと楽しくなる深い歴史が隠れています。
ルールの誕生秘話から、球場文化、選手たちのちょっとした裏話まで、野球にはユニークなトリビアがぎっしり。
ここでは、知っているだけで野球を見る目がグッと変わる“野球の歴史・ルール・文化の雑学”を一気に紹介します。
目次
- 野球の歴史とルールにまつわる驚き
- 道具、球場、文化の裏話
- 選手と記録、裏側エピソード
- 17. ビールかけは半田選手のイタズラ
- 18. 初めてのビールかけはキリン
- 19. 監督がユニフォームを着る理由
- 20. スーツ姿の名監督コニー・マック
- 21. エースナンバー「18」の由来
- 22. メジャーリーガーが吐くのはヒマワリの種
- 23. 助っ人外国人が好む42番
- 24. 42番は忌み数だが選択例あり
- 25. 甲子園「アルプススタンド」の由来
- 26. 始球式は空振りが慣習
- 27. ジェット風船応援の始まり
- 28. 中日ドラゴンズの由来
- 29. 最長試合は6時間26分
- 30. 連続出場記録と国民栄誉賞
- 31. 六甲おろしの正式名称
- 32. プロ選手がメンテする「歯」
- 33. 【最新版】日本球界最高年俸
- 34. 【最新版】野手最高年俸
- 35. 【最新版】MLB最高年俸
- 36. 【最新版】日本人MLB最高年俸
- 37. 漫画ROOKIESの由来
- 38. 【最新版】世界一高価な野球カード
- 39. ミッキー・マントルの最長本塁打
- 珍しいルールと審判のエピソード
- スコアブックと記録の技術
- メジャーリーグの驚異的な事実と永久欠番
- 62. トニー・グウィンの驚愕記録
- 63. マダックスが恐れた男
- 64. カル・リプケンの超人記録
- 65. パッジが受けた二世代の球
- 66. ヴィン・スカリーの実況歴
- 67. ノーラン・ライアンの意外な記録
- 68. リベラから自責点を奪う難しさ
- 69. ソーサのホームラン王逃し
- 70. サイ・ヤング賞13人を受けた捕手
- 71. アダム・ダンの連続40本塁打
- 72. クレメンテの3000安打
- 73. 無補殺トリプルプレーの希少性
- 74. 背番号の始まり
- 75. MLB初の永久欠番
- 76. MLB全球団共通の永久欠番
- 77. 監督やコーチも永久欠番
- 78. 複数球団にまたがる永久欠番
- 79. イチローのマリナーズ「51」
- 80. ブルージェイズの欠番解除
- 81. マダックスの3-0カウント
- マネーボールとセイバーメトリクスの革新
- 殿堂入りの曖昧な基準
- まとめ
野球の歴史とルールにまつわる驚き
1. 9回制はコックの苦情が一因という説
野球が誕生した当初、試合は「21点先取」で終了するルールでした。しかし、これでは試合時間が3時間で終わるのか、夕方までかかるのか全く読めません。試合後のパーティー料理を用意するコックたちが「これでは料理を出すタイミングが分からない!時間を決めてくれ!」と猛抗議したため、1857年に現在の「9回制」が導入されたというユニークな説があります。
2. 審判はレフェリーではなく「アンパイア」
サッカーやバスケの審判は「レフェリー」ですが、野球やテニスでは「アンパイア」と呼ばれます。この違いは動きにあります。レフェリーは選手と一緒にフィールドを走り回りますが、アンパイアは基本的に定位置から動かずに判定を下します。「裁定者・仲裁人」という意味合いが強く、野球が生まれた当時の「審判は椅子の後ろで座って見ていた」スタイルが言葉に残っているのです。
3. ホームベースが五角形の理由
現在のホームベースは五角形ですが、1900年以前は四角形(ひし形)でした。しかし、四角形だとストライクゾーンの角(コーナー)が尖っており、「今のは角をかすめたからストライクだ!」といった微妙な判定で投手と審判が揉める原因になっていました。そこで、判定を明確にするために投手に面した部分を平らな「辺」にして、現在の五角形の形に改良されたのです。
4. 野球は明治時代に伝来
日本に野球が伝わったのは、明治維新から間もない1872年(明治5年)。アメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが、現在の東京大学で学生たちに教えたのが始まりです。当時はまだルールも未整備でしたが、「集団で協力して行う」という競技性が日本人の気質に合い、またたく間に学生スポーツとして全国へ普及しました。これが後に甲子園などの独自文化へと発展していきます。
5. 昔の野球は21点先取制
19世紀中頃の初期ルールでは、9回制ではなく「どちらかが先に21点を取ったら勝ち」という得点先取制が採用されていました。しかし、実力差があると試合が永遠に終わらなかったり、逆にすぐ終わってしまったりと不都合が続出。特に日没でボールが見えなくなるサスペンデッドの問題や、運営上のスケジュール管理が困難だったため、現在のイニング制へと変更を余儀なくされました。
6. セ・パ分裂のきっかけ
1949年、プロ野球の球団数を増やすかどうかで既存球団の意見が真っ二つに割れました。「質が下がるから反対」とした巨人や中日などがセントラル・リーグ(セ・リーグ)を、「門戸を広げるべき」と賛成した南海や阪急、そして新規球団がパシフィック・リーグ(パ・リーグ)を結成しました。この時の激しい対立が、現在まで続く「セ・パのライバル関係」の源流となっています。
7. 少年野球は6回制
プロ野球は9回制ですが、少年野球では6回制や7回制が一般的です。これは成長期である子供たちの肩や肘への負担を減らすこと、集中力が続く時間の限界を考慮した結果です。また、土日の限られた時間で多くのチームが試合を行えるようにする「球場回転率」への配慮も含まれています。9回までやると時間がかかりすぎて、1日に消化できる試合数が減ってしまうのです。
8. 甲子園にアフリカゾウが来た
1951年のセンバツ甲子園で、今では考えられない珍事が起きました。兵庫県の鳴尾高校の応援団長が、なんと近所の移動動物園から本物の「アフリカゾウ」を借りてきたのです。ゾウをリヤカーに乗せて甲子園球場まで連れて行き、グラウンド外から大声援を送りました。当時は警備ものどかだったため実現した、甲子園の歴史に残るユーモラスで豪快な応援伝説です。
道具、球場、文化の裏話
9. 野球ボールの縫い目は108個
硬式野球ボールには赤い縫い目が108個あります。これは単なる飾りではなく、ボールが空気中を飛ぶ際に「適度な空気抵抗」を生み出すために不可欠なものです。この縫い目の山が空気の乱流を作ることで、ボールは遠くまで飛び、投手はカーブやスライダーといった変化球を投げることが可能になります。もし縫い目がなければ、ボールは不規則に揺れて全く飛びません。
10. グラブの原型は1869年に発明
野球が始まった当初、選手たちは素手でボールを捕っていました。1869年に怪我防止のためにグラブの原型が考案されましたが、当時は「男が手を保護するなんて軟弱だ」「痛みこそ名誉」というマッチョな価値観が強く、すぐには普及しませんでした。選手たちがこっそりと肌色の手袋を使い始め、徐々にその有効性が認められて、現在のような必須アイテムへと進化していきました。
11. 外野の大きさはアバウトでOK
野球のルールでは、塁間の距離やピッチャーマウンドの位置は厳密に決まっていますが、外野フェンスまでの距離は球場によってバラバラです。これは野球が広大な野原で遊ばれていた際、「あそこの大きな木までがホームラン」「あの道路まで」と、その場の地形に合わせてアバウトに決めていた名残です。この「緩さ」のおかげで、球場ごとに形の違う個性豊かなパークファクターが生まれました。
12. ホームランが出やすい球場
日本のプロ野球で使用される球場には、ホームランが出やすい「ラッキーゾーン」的な特徴を持つ場所があります。特に横浜スタジアムや東京ドームは、気圧の関係や外野フェンスまでの距離、左中間・右中間の膨らみが少ない形状から、ホームランが出やすい球場(ヒッターズパーク)として知られています。逆にバンテリンドーム(ナゴヤドーム)などは非常に広いことで有名です。
13. 高校野球が金属バットの理由
プロ野球では木製バットを使いますが、高校野球では1974年から金属バットの使用が認められました。最大の理由は「経済性」です。木製バットは折れやすく、部活動の予算で頻繁に買い替えるのは困難です。一方、金属バットは耐久性が高く、長期間使用できます。また、金属特有の反発力で打球が飛びやすくなり、派手な打撃戦が増えて高校野球人気を後押しした側面もあります。
14. 低反発バット導入の目的
2024年の選抜大会から、高校野球の金属バットは「低反発」の新基準に完全移行しました。近年、投手の球速アップと打者のパワー向上により、ピッチャー強襲の打球事故が深刻化していました。投手の怪我を防ぐこと、そして「打高投低」を是正して投手の投球過多を防ぐことが主な目的です。これにより、これまでの「金属音=長打」という常識が変わりつつあります。
15. 低反発バットは試合を短縮
新基準の低反発バットが導入された後の甲子園では、劇的な変化が見られました。外野の頭を超える長打が減ったことで大量得点が入りにくくなり、試合展開がスピーディーになったのです。データによると試合時間が平均で30分近く短縮されたケースもあります。守り勝つ野球や、足を使った機動力野球の重要性が増し、高校野球の戦術そのものが変化しています。
16. 打球速度が平均1.6km/h低下
新しい低反発バットは、従来のバットに比べて最大直径が細くなり、反発係数が抑えられています。実際に高校生を対象にした実験では、打球の初速が平均で約1.6km/h低下したというデータが出ています。数値だけ見るとわずかですが、外野フェンス手前で失速するかどうかの瀬戸際では大きな差となり、これまでならホームランだった当たりが外野フライになるシーンが増えています。
選手と記録、裏側エピソード
17. ビールかけは半田選手のイタズラ
プロ野球の優勝祝いでおなじみの「ビールかけ」。日本での発祥は1959年、南海ホークスの優勝時です。ハワイ出身のカールトン半田選手が、アメリカのシャンパンファイトを真似て、宿舎で杉浦忠投手にビールをかけたのが始まりです。当時は前例がなく和室で行ったため、畳がビショ濡れになり、後で旅館の女将さんから猛烈に怒られたというオチがついています。
18. 初めてのビールかけはキリン
1959年の南海ホークスの優勝祝い、つまり日本初のビールかけで使われた銘柄は「キリンビール」だったと言われています。当時はスポンサー契約などの概念も薄く、手近にあったビールで喜びを爆発させました。現在では会場にあらかじめビニールシートを敷き詰め、スポンサー企業のビールを用意するなど、完全に「公式行事」としてマニュアル化されています。
19. 監督がユニフォームを着る理由
野球以外のスポーツ、例えばサッカーやバスケの監督はスーツ姿が一般的です。野球の監督だけがユニフォームを着るのは、もともと「キャプテン(選手)」が監督を兼任していた時代の名残だからです。また、ルール上、監督だけがグラウンド内に入って審判に抗議したり選手に指示を出したりできる特権があるため、選手と同じ戦闘服(ユニフォーム)を着ている必要があります。
20. スーツ姿の名監督コニー・マック
メジャーリーグの歴史には、50年間もユニフォームを着ずにスーツ姿で指揮を執り続けたコニー・マックという伝説の監督がいます。彼は身長が高く痩せており、「ユニフォーム姿が似合わないから」という美的感覚でスーツを貫きました。グラウンドに入れないため、ベンチから選手に合図を送って采配を振るい、通算3731勝という不滅の記録を打ち立てました。
21. エースナンバー「18」の由来
日本のプロ野球で背番号「18」がエースナンバーとされるのは、歌舞伎の「十八番(おはこ)」が由来という説が有力です。得意な芸を指す言葉から、「チームで最も得意な(頼りになる)投手」という意味が込められました。巨人の藤田元司、堀内恒夫、桑田真澄といった大投手が18番を背負って活躍したことで、このイメージは決定的なものとなりました。
22. メジャーリーガーが吐くのはヒマワリの種
メジャー中継を見ていると、選手がベンチで何かをペッペッと吐き出している姿が映ります。あれは唾ではなく「ヒマワリの種」の殻です。かつては噛みタバコが主流でしたが、健康被害への懸念から禁止運動が広まり、代わりに暇つぶしやリラックス効果のあるヒマワリの種を食べる習慣が定着しました。殻をうまく飛ばすのもメジャーリーガーの嗜みの一つです。
23. 助っ人外国人が好む42番
日本に来る外国人選手が背番号「42」を希望することが多いのには理由があります。42番は、黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの功績を讃えてMLB全球団で永久欠番になっている番号です。メジャーでは絶対につけられない憧れの番号を日本では着用できるため、リスペクトを込めて42番を選ぶ選手が多いのです。
24. 42番は忌み数だが選択例あり
日本では古くから「42=死に」と読めるため、42番は忌み数として避けられる傾向にありました。しかし、あえてこの番号を選んで活躍した日本人選手もいます。例えば、下柳剛投手などは42番を背負って長く活躍しました。最近ではMLBの影響で「ジャッキー・ロビンソンの番号」という認識も広まり、ネガティブなイメージは薄れつつあります。
25. 甲子園「アルプススタンド」の由来
甲子園球場の内野席と外野席の間にある大観客席を「アルプススタンド」と呼びます。この名称は1929年、スタンドが新設された際、白いシャツを着た大観衆で埋め尽くされた光景を見た漫画家の岡本一平が、「まるで雪を頂いたアルプスの山のようだ」と新聞で表現したことがきっかけです。この詩的な表現がそのまま定着し、現在も正式名称として使われています。
26. 始球式は空振りが慣習
日本の始球式では打者が空振りするのがお約束ですが、これは1908年の大隈重信の投球が起源です。早稲田大学の創設者である大隈が投げたボールはストライクゾーンから大きく外れましたが、打席にいた学生は「先生の投げたボールをボール球にするわけにはいかない」と気を使い、わざと空振りをしました。この「おもてなし精神」が伝統となり、今の始球式に受け継がれています。
27. ジェット風船応援の始まり
7回裏の攻撃前などに一斉に飛ばされるジェット風船。この応援スタイルは、1978年に広島カープのファンが甲子園球場(対阪神戦)で始めたのが最初だと言われています。当時はまだ珍しかったジェット風船の派手さと音が応援にぴったりだと評判になり、その後、阪神タイガースの名物応援として定着し、全国の球場へと広まっていきました。
28. 中日ドラゴンズの由来
中日ドラゴンズのチーム名の由来にはユニークな説があります。1947年、当時の球団オーナーであった杉山虎之助氏が「辰年(たつどし)」生まれだったことから、龍にちなんで「ドラゴンズ」と名付けられたと言われています。強そうな動物や地域のシンボルではなく、オーナーの干支が由来になっているというのは、プロ野球界でも珍しいエピソードです。
29. 最長試合は6時間26分
延長戦や引き分け規定は時代によって変わりますが、日本のプロ野球史上最も長かった試合は、1992年の阪神対ヤクルト戦です。延長15回を戦い抜き、決着がつかず引き分けとなりましたが、その試合時間はなんと6時間26分。日付が変わるまで続き、選手はもちろん、最後まで応援し続けたファンの忍耐力が試される伝説的なロングゲームとなりました。
30. 連続出場記録と国民栄誉賞
「鉄人」と呼ばれた広島カープの衣笠祥雄氏は、1970年から1987年にかけて2215試合連続出場という当時の世界記録を樹立しました。デッドボールで骨折しても休まず試合に出続けたその不屈の精神と偉大な記録が評価され、プロ野球選手としては王貞治氏に次いで史上2人目となる国民栄誉賞が授与されました。彼の記録は今も色褪せない金字塔です。
31. 六甲おろしの正式名称
阪神タイガースの応援歌としてあまりにも有名な『六甲おろし』ですが、実はこれは通称です。正式な曲名は『阪神タイガースの歌』といいます。作詞は佐藤惣之助、作曲は古関裕而という昭和を代表するヒットメーカーコンビによって作られました。古関裕而は巨人の応援歌『闘魂こめて』も作曲しており、ライバル球団の両方の歌を手がけているのも面白い事実です。
32. プロ選手がメンテする「歯」
一流のプロ野球選手が、シーズン中も欠かさずメンテナンスするのが「歯」です。インパクトの瞬間に歯を食いしばる力は体重の数倍にもなり、歯の噛み合わせが悪いと十分なパワーが出せません。また、強い力で歯がボロボロになりやすいため、専用のマウスピースを作る選手も多いです。イチロー選手も1日5回歯磨きをするなど、歯のケアを徹底していたことで知られています。
33. 【最新版】日本球界最高年俸
日本のプロ野球(NPB)における日本人選手の歴代最高年俸は、田中将大投手がメジャーから楽天に復帰した際の推定9億円です。しかし近年、ソフトバンクの近藤健介選手が7年総額50億円規模(単年換算で約7億円以上+出来高)の契約を結ぶなど、契約形態が複雑化・大型化しています。「夢のある金額」という意味では、田中投手の9億円が象徴的な数字として語られます。
34. 【最新版】野手最高年俸
かつては松井秀喜氏や柳田悠岐選手の6億円超えがトップニュースでしたが、近年の年俸高騰は凄まじいものがあります。現在では、ヤクルトの村上宗隆選手やソフトバンクの近藤健介選手などが、単年換算で7〜8億円規模の契約を結んでいると推測されています。FA権を取得した選手の引き留めや獲得競争により、野手の評価額もメジャー基準に近づきつつあります。
35. 【最新版】MLB最高年俸
2023年末、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手が結んだ「10年総額7億ドル(約1015億円)」という契約は、野球界のみならず全スポーツ史上最高額の契約となりました。年平均にすると7000万ドル(約100億円)。その多くを後払いにすることでチームの補強費を捻出するという、契約内容の特殊さと「チーム愛」も世界中で大きな話題となりました。
36. 【最新版】日本人MLB最高年俸
もちろんこれも大谷翔平選手がダントツの1位です。投手としては、山本由伸投手がドジャースと結んだ12年総額3億2500万ドル(約460億円)という契約も驚異的です。かつてダルビッシュ有投手が記録した当時の日本人最高額などを遥かに上回り、日本人選手がメジャーリーグのトップオブトップとして評価されていることを証明する数字となっています。
37. 漫画ROOKIESの由来
大ヒット野球漫画『ROOKIES』に登場するニコガク野球部のメンバーの名字は、連載当時の阪神タイガースの選手名から取られています。川藤(川藤幸三)、安仁屋(安仁屋宗八)、御子柴(御子柴進)、新庄(新庄剛志)など、往年の名選手やスター選手の名前がズラリ。阪神ファンならニヤリとしてしまう遊び心が随所に隠されています。
38. 【最新版】世界一高価な野球カード
「T206 ホーナス・ワグナー」という100年以上前のカードは、現存枚数が極めて少なく「カード界のモナ・リザ」と呼ばれています。その価格は年々高騰し、2022年には保存状態の良いものがオークションで約725万ドル(当時のレートで約10億円以上)で落札されました。たった1枚の紙切れに、豪邸が何軒も建つほどの価値がついているのです。
39. ミッキー・マントルの最長本塁打
1953年、ニューヨーク・ヤンキースの伝説的強打者ミッキー・マントルが放ったホームランは、なんと推定172メートル(565フィート)飛んだと言われています。これは公式計測機器がない時代の記録ですが、スタジアムの遥か外へ消えていったその打球は「史上最長のホームラン」として語り継がれています。現代の大谷選手でも150m級ですから、その凄まじさが分かります。
珍しいルールと審判のエピソード
40. 見逃し三振でも振り逃げ成立
「振り逃げ」という名称から「振らないとダメ」と思われがちですが、野球規則上の名称は「第3ストライクの捕手後逸」などとなります。つまり、見逃し三振であっても、捕手がボールをこぼしたりショートバウンド捕球になったりすれば、打者には一塁へ走る権利が生まれます。バットをピクリとも動かさずに一塁へダッシュするシーンは稀ですが、ルール上は完全に有効です。
41. 振り逃げ満塁ホームラン
1960年の試合で起きた珍事です。2アウト満塁で見逃し三振した打者が、捕手がボールを後ろに逸らしたのを見て一塁へ走りました。守備側は「三振でチェンジだ」と思い込んでベンチへ引き上げてしまっていたため、打者はそのままベースを一周してホームイン。記録上は三振ですが、4点が入るという「振り逃げ満塁ホームラン」が成立しました。最後まで諦めない姿勢が生んだ奇跡です。
42. タッチアップは接触した時
犠牲フライなどのタッチアップは「野手がボールを捕った瞬間」にスタートできますが、正確には「野手がボールに触れた瞬間」です。もし外野手がボールをお手玉してジャグリング状態になった場合、完全に掴むのを待つ必要はありません。最初にグラブや体にボールが触れた瞬間にリタッチして走り出せば、ルール上セーフとなります。これを熟知している走者は有利になります。
43. 捕手ボークも存在する
ボークといえば投手の反則ですが、実は捕手にもボークがあります。申告敬遠が導入される前、敬遠球を投げる際に、投手が手からボールを離すよりも先に捕手がキャッチャーズボックスから片足でも外に出ると「捕手ボーク」を取られました。守備側のミスとして走者の進塁が認められます。現在は申告敬遠があるため、このシーンを見ることはほぼなくなりました。
44. 打球が審判に当たったら
打ったボールが審判に当たった時の扱いは複雑です。内野手(投手を除く)より前で審判に当たれば「ボールデッド」となり打者は一塁へ。しかし、内野手の横を抜けた後で審判に当たった場合は「石ころ」と同じ扱いになり、ボールはインプレーのまま続きます。審判に当たって打球方向が変わり、守備側が慌てふためくシーンがたまに見られるのはこのためです。
45. 野手がグローブを投げたら三塁打
もし野手が「あと少しで届かない!」と思ってグラブや帽子を投げつけ、ボールに当てて止めた場合、それは反則行為となります。ペナルティとして、打者には「安全進塁権として3つの塁」が与えられます。つまり、三塁打扱いになるのです。ホームラン性の打球をグラブ投げで落としても、認定ホームランや三塁打になるため、漫画のようなスーパープレイはルールで禁じられています。
46. ホームラン性打球に鳥が当たると
ドーム球場以外では、鳥がグラウンド低空を飛ぶことがあります。もしホームラン性の打球が鳥に当たって落下した場合、どうなるでしょうか。基本的にはボールインプレー(成り行き)ですが、審判が「鳥がいなければスタンドに入っていた」と判断すれば、ホームランとして認定されることもあります。メジャーではランディ・ジョンソンの剛速球が鳩を直撃して羽が飛び散り、ノーカウントになった衝撃映像が有名です。
47. 犬がボールを咥えたら
地方球場や海外の試合で、観客の犬がグラウンドに乱入することがあります。もし犬がインプレー中のボールを咥えて走り去ってしまった場合、公認野球規則には「審判員の判断で処置する」とあります。基本的にはボールデッドとなり、走者の位置などを審判が決めることになります。ほのぼのとしたニュースになりますが、試合進行としては審判の腕の見せ所となる緊急事態です。
48. 危険球退場はNPB独自
頭部付近への死球で投手が即退場となる「危険球」のルールは、実は日本のプロ野球(NPB)独自の内規です。選手の安全を守るために厳格化されました。一方、メジャーリーグ(MLB)では「故意かどうか」が重視されます。頭に当たっても、すっぽ抜けや事故だと判断されれば退場にはなりません。その代わり、報復死球など故意性が疑われる場合は即刻退場となります。
49. 監督のみが審判に抗議可能
きわどい判定に対してベンチから飛び出してくるのはいつも監督ですが、これはルールで決まっています。プロ野球では、判定に対する抗議権を持っているのは監督だけです。もしコーチや選手が執拗に抗議を行うと、警告を受けたり、最悪の場合は退場処分になったりします。熱くなった選手を監督が制止して、代わりに審判へ向かっていくのは、選手を退場から守るためでもあるのです。
50. 高校野球は抗議が認められない
プロ野球と違い、高校野球では監督であっても審判の判定に抗議することは認められていません。教育の一環であるため、審判の判定は絶対とされています。許されているのは、ルールの適用ミスがないかなどを確認する「疑義の申し出」のみ。しかも、グラウンドに行けるのは伝令の選手か主将に限られます。高校野球の監督がベンチでじっと耐えているのは、このルールがあるからです。
51. ボークはサヨナラ負けの可能性
試合終盤、1点差でランナー三塁の場面。ここで投手がボーク(投球動作の違反)を犯すと、走者に1つの進塁権が与えられます。つまり、三塁ランナーがホームインして得点が入り、その瞬間にサヨナラ負けが決まることがあるのです。これを「サヨナラボーク」と呼びます。極限のプレッシャーの中で投手が犯してしまう、最も残酷で呆気ない試合終了の形の一つです。
52. 伝説の審判「俺がルールブックだ」
1959年、二出川延明という伝説的な審判が残した名言です。抗議に来た監督に対し「ルールブックを見せろ」と言われた際、「俺がルールブックだ(私がここでルールを運用する最高責任者だ)」と一喝して退けました。審判の威厳と絶対性を象徴する言葉として有名ですが、同時に「それだけの覚悟と責任を持って判定している」というプロ意識の表れでもあります。
53. 井川審判の型破りな発言
昭和のプロ野球には個性的な審判が多くいました。井川信明審判は、ど真ん中の球を「ボール」と判定し、抗議に来た捕手に「今のは気持ちが入っていないからボールだ」と言い放ったという逸話があります。また新人投手に対し「プロの投手にとって、ど真ん中はボール(打たれる球)なんだよ」と諭したとも。現代のAI判定ではあり得ない、人間臭いドラマが昔の球場にはありました。
54. 完投しなくても完封は成立
「完封勝利」といえば1人で9回を投げ切るイメージですが、ルール上はリリーフ投手にも記録される可能性があります。条件は「1回表ノーアウト、無失点の状態で登板し、最後まで無失点で投げ切ること」。先発投手が一人もアウトを取らずに怪我などで降板し、2番手投手が残りの9イニングをゼロに抑えれば、交代完了ながら「完封」が記録されます。極めて珍しい記録です。
スコアブックと記録の技術
55. スコアブックの二つの方式
野球の試合経過を記録するスコアブックには、主に2つの流派があります。プロ野球の公式記録員が使用する「慶応式」と、早稲田大学野球部が考案しアマチュア野球で広く普及している「早稲田式」です。早稲田式はマス目に「◇」が書いてあり視覚的に分かりやすいのが特徴。慶応式はシンプルですが熟練が必要です。どちらを使っているかで、その人の野球出自が分かります。
56. 守備位置を示す数字
スコアブックや野球の作戦ボードでは、ポジションを数字で表します。投手が1、捕手が2、一塁手が3、二塁手が4、三塁手が5、遊撃手が6、左翼手が7、中堅手が8、右翼手が9です。「6-4-3のダブルプレー」と言えば「ショート→セカンド→ファースト」とボールが渡ったことを意味します。この数字を覚えると、解説者の専門的な話がより深く理解できるようになります。
57. ボークや盗塁の記録方法
スコアブックの小さなマス目には、試合の全てが詰まっています。ヒットや三振だけでなく、盗塁成功、失敗、パスボール(捕逸)、ワイルドピッチ(暴投)、ボークなどがいつ起きたかを、独自の記号を使って書き込みます。熟練者が書いたスコアブックを見れば、その試合を映像のように脳内で再生できるほど、詳細な情報がコード化されて記録されているのです。
58. ゴロアウトの記入方法
内野ゴロでアウトになった場合、スコアには「4-3」のように数字とハイフンで書かれます。これは「二塁手(4)が捕って、一塁手(3)に送球してアウト」という意味です。フライアウトなら「8飛(センターフライ)」のように書きます。この書き方により、誰がボールを処理し、どういう経路でアウトが成立したかが一目瞭然となり、後でデータ分析する際に役立ちます。
59. 本来でない守備位置の記録
特殊なプレイの記録方法もあります。例えば、一塁手がゴロを捕り、ベースカバーに入った投手に送球してアウトにした場合、記録は「3-1」となります。もし投手がファーストの守備位置(ベースカバー)に入ったことを強調する場合、「3-1A」(Aは一塁ベース)のように補足情報を書くこともあります。誰がどのベースに入ったかまで厳密に記録するのが野球のスコアです。
60. NPBの審判は4人制
現在のプロ野球(NPB)では、球審1人と塁審3人の「4人審判制」で行われています。しかし昔は、外野のライン際の判定を行う「線審」を含めた6人制で行われていました。技術の向上や経費削減、審判のフォーメーション技術の進化により、現在は4人で全グラウンドをカバーしています。オールスターや日本シリーズなどの特別試合では、今でも6人制が採用されることがあります。
61. 球審だけ服装が自由
審判団はお揃いの服装をしていますが、よく見ると球審だけ違う格好をしていることがあります。球審は分厚いプロテクターを服の下(あるいは上)に装着しており、投球判定のために何度もスクワットをする過酷なポジションです。そのため、通気性や動きやすさを重視した専用のシャツやスラックスの着用が認められているのです。球審だけ半袖、というケースもよくあります。
メジャーリーグの驚異的な事実と永久欠番
62. トニー・グウィンの驚愕記録
「安打製造機」と呼ばれたトニー・グウィン(パドレス)は、三振しないことで有名でした。彼のキャリアを通じて、「1試合で4本ヒットを打った回数」の方が、「1試合で2回三振した回数」よりも多いという信じられない記録を持っています。現代野球では三振かホームランかという打者が増えましたが、バットに当てる天才的な技術を持った彼の記録は、今後も破られないでしょう。
63. マダックスが恐れた男
精密機械と呼ばれ355勝を挙げた大投手グレッグ・マダックス。彼が「唯一、配球が読めない。二度と対戦したくない」と恐れた打者がトニー・グウィンでした。マダックスいわく「彼は球種を読んでいるのではなく、ボールが手から離れた瞬間に回転を見て判断している。人間業ではない」と。天才投手が認める天才打者、それがグウィンという選手でした。
64. カル・リプケンの超人記録
カル・リプケン・ジュニアが樹立した「2632試合連続出場」という記録は、メジャーリーグでも屈指のアンタッチャブル・レコードです。この記録に並ぶためには、1年間162試合を1日も休まず、それを16年以上続けなければなりません。怪我もスランプも許されないこの記録は、当時のファンにとって「太陽が昇るのと同じくらい確実なこと」と称えられました。
65. パッジが受けた二世代の球
殿堂入り捕手イバン・ロドリゲス(愛称パッジ)は、驚くほど長いキャリアを誇ります。彼は、1993年に引退した伝説の剛腕ノーラン・ライアンの球を受け、さらに2010年にデビューした天才投手スティーブン・ストラスバーグの球も受けています。親子ほど世代の離れた二人の剛腕投手の女房役を務めたことは、彼の適応能力と息の長い活躍を証明しています。
66. ヴィン・スカリーの実況歴
ドジャース専属実況アナウンサーとして活躍したヴィン・スカリー氏は、なんと67年間も実況を続けました。彼が実況を担当した期間には、1862年生まれのコニー・マック(監督)と、1996年生まれのフリオ・ウリアス(投手)がグラウンドに立っています。130年以上も生まれた年が違う野球人の姿を、一人の人間がマイクを通して伝えたという奇跡的な事実です。
67. ノーラン・ライアンの意外な記録
「ライアン・エクスプレス」の異名を持つノーラン・ライアンは、通算5714奪三振、7回のノーヒットノーランという圧倒的な記録を持っています。しかし意外なことに、その年最高の投手に贈られる「サイ・ヤング賞」を一度も受賞していません。タイトルよりも記録でファンを魅了した、まさに記録より記憶(と驚異的な数字)に残る大投手でした。
68. リベラから自責点を奪う難しさ
ヤンキースの守護神マリアノ・リベラは、ポストシーズン(プレーオフ)で無類の強さを誇りました。彼がポストシーズンで許した自責点の総数より、人類が月面に降り立った人数(12人)の方が多いというトリビアがあります。世界最高峰の打者たちが束になっても、彼のカットボールからは1点をもぎ取ることすら困難だったことを示す、神がかり的なデータです。
69. ソーサのホームラン王逃し
サミー・ソーサは、1シーズンで60本以上のホームランを3回も記録した史上唯一の選手です。しかし不思議なことに、その3回ともホームラン王のタイトルを獲れませんでした。マグワイアやボンズといったライバルたちが、同じ年にさらに多くのホームランを打っていたからです。「記録的な強打者なのに、なぜかタイトルに縁がない」という、巡り合わせの悪さを持った選手でした。
70. サイ・ヤング賞13人を受けた捕手
チャーリー・オブライエンという捕手は、打撃成績は平凡でしたが、守備の名手として知られていました。彼はキャリアを通じて、ロジャー・クレメンスやグレッグ・マダックスなど、のべ13人ものサイ・ヤング賞投手のボールを受けました。これはMLB記録です。個性豊かな超一流投手たちが、こぞって彼を指名して投げたがったという、捕手冥利に尽きるエピソードです。
71. アダム・ダンの連続40本塁打
アダム・ダンは「三振か、四球か、ホームランか」という極端なプレースタイルで愛された選手です。彼は2005年から4年連続で、なんと「ぴったり40本」のホームランを記録しました。39本でも41本でもなく、4年連続で同数というのは確率的にも奇跡です。打率は低くても出塁率は高い彼のスタイルは、現代野球の評価基準を変えるきっかけの一つにもなりました。
72. クレメンテの3000安打
プエルトリコの英雄ロベルト・クレメンテは、通算3000本安打を達成したその年のオフ、地震の被災地ニカラグアへ支援物資を届ける飛行機事故で亡くなりました。最後のヒットがちょうど3000本目だったのです。彼の早すぎる死を悼み、野球だけでなく社会貢献に尽くした選手に贈られる「ロベルト・クレメンテ賞」が創設され、今も最も名誉ある賞の一つとなっています。
73. 無補殺トリプルプレーの希少性
「無補殺トリプルプレー」とは、打球を捕った野手が、誰にも送球せずに一人でベースを踏んだり走者にタッチしたりして3つのアウトを取ることです。これはMLBの長い歴史でも15回程度しか起きていません。完全試合(約24回)よりも少ないのです。運と状況判断、そして身体能力が全て揃った瞬間にしか生まれない、野球界で最もレアなプレーの一つです。
74. 背番号の始まり
今では当たり前の背番号ですが、MLBで本格的に採用されたのは1929年のヤンキースからです。当時は打順がそのまま背番号でした。3番を打つベーブ・ルースは「3番」、4番のルー・ゲーリッグは「4番」。だからこそ、強打者の番号として一桁が人気なのです。このシステムは観客が選手を識別しやすくするために導入され、その後、全チームに広まりました。
75. MLB初の永久欠番
メジャーリーグ初の永久欠番は、ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグの「4」です。1939年、難病(ALS)により引退を余儀なくされた彼を称え、球団は彼の背番号を「誰にもつけさせない」として欠番にしました。これがスポーツ界における永久欠番という文化の始まりです。以来、偉大な功績を残した選手の番号は、スタジアムに永遠に飾られることになりました。
76. MLB全球団共通の永久欠番
ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」は、MLBの全30球団で永久欠番になっています。黒人初のメジャーリーガーとして人種差別の壁を打ち破った彼の功績は、特定のチームだけでなく、野球界全体で称えるべきものだからです。毎年4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」だけは、特例として全選手・監督・コーチが背番号42をつけてプレーします。
77. 監督やコーチも永久欠番
永久欠番になるのは選手だけではありません。名監督も対象になります。例えばヤンキースのジョー・トーレ監督の「6」や、ケーシー・ステンゲル監督の「37」などが永久欠番です。彼らはユニフォームを着てベンチに入るため、その背中にある番号もまた、チームの歴史と栄光を象徴するものとしてリスペクトされるのです。
78. 複数球団にまたがる永久欠番
通常、永久欠番は所属した球団だけで制定されますが、あまりに偉大な選手は複数の球団で欠番になります。ノーラン・ライアンはアストロズ、レンジャーズ、エンゼルスの3球団で、フランク・ロビンソンもオリオールズ、レッズ、ガーディアンズ(旧インディアンス)の3球団で永久欠番になっています。移籍先でも伝説級の活躍をした証です。
79. イチローのマリナーズ「51」
シアトル・マリナーズの背番号「51」は特別な番号です。かつてランディ・ジョンソンが背負い、その後イチローが伝説を作りました。球団は二人のレジェンドに敬意を表し、この番号を準永久欠番扱いとして空けていました。2025年にイチローが殿堂入りの有資格者となるタイミングで、正式に永久欠番になることが確実視されています。日米のファンにとって誇らしい番号です。
80. ブルージェイズの欠番解除
一度永久欠番になっても、取り消されることがあります。トロント・ブルージェイズは、名手ロベルト・アロマーの「12」を永久欠番にしていましたが、彼が過去に起こした性的不品行が発覚したことを受け、2021年に欠番指定を解除し、球場内の記念プレートも撤去しました。今の時代、コンプライアンスや倫理観はレジェンドの栄光よりも優先されるという厳しい実例です。
81. マダックスの3-0カウント
グレッグ・マダックスの制球力がいかに異常だったかを示すデータがあります。彼はキャリアで2万人以上の打者と対戦しましたが、ボールカウントが「3ボール0ストライク」になったのは、わずか300回程度でした。しかもその半分以上は敬遠による意図的なもの。「マダックスがストライクが入らなくて困っている」というシーン自体が、十年に一度レベルの珍事だったのです。
マネーボールとセイバーメトリクスの革新
82. マネーボールの基本思想
「貧乏球団が金満球団に勝つにはどうすればいいか?」この問いに答えたのが『マネー・ボール』です。オークランド・アスレチックスのGMビリー・ビーンは、スカウトの勘や経験といった古い常識を捨て、徹底的なデータ分析(セイバーメトリクス)を導入しました。「安くて良い選手」を統計学で見つけ出し、低予算でプレーオフ常連の強豪チームを作り上げる革命を起こしたのです。
83. 野球は27アウトまで終わらない
セイバーメトリクスの根本には「野球は27個のアウトを取られるまで終わらないゲームである」という思想があります。逆に言えば、攻撃側にとって最も避けるべきは「アウトになること」。そのため、ヒットを打つことよりも、四球でも何でもいいから「出塁してアウトにならないこと」の価値が見直されました。派手な打率よりも地味な出塁率が、勝利への鍵だと定義したのです。
84. 最重要指標OPS
従来の野球では「打率」や「本塁打数」が重視されていましたが、セイバーメトリクスでは「OPS(オプス)」という指標を最重要視します。これは「出塁率」と「長打率」を足した数字です。OPSが高い選手ほど、チームの得点に貢献しているという相関関係がデータで証明されています。今やメジャーのスタジアム掲示板には、打率と並んで必ずOPSが表示されています。
85. 犠打(バント)の否定
日本の野球では「送りバント」は堅実な作戦とされますが、セイバーメトリクスでは基本的に「愚策」とみなされます。「わざわざ自分から貴重なアウトを1つ相手に差し出す行為」であり、得点が入る確率(得点期待値)を計算すると、バントする前よりした後の方が下がることが多いからです。データ野球の浸透により、メジャーでは無死一塁からのバントが激減しました。
86. 勝利数や打点は運に依存
投手の「勝利数」は味方が点を取ってくれないとつきません。打者の「打点」は前の打者が塁に出ていないと稼げません。セイバーメトリクスでは、これらは「運や他人の要素に左右される数字」として評価の対象から外す傾向にあります。個人の能力を正しく測るために、周囲の環境に依存しない純粋なデータ(三振率や被本塁打率など)を見るようになったのです。
87. 投手評価の基準
では、投手はどう評価するのか? 重視されるのは「三振」「四球」「被本塁打」の3つです。これらは守備の上手下手に関係なく、投手と打者の関係だけで完結する結果だからです。これらを基に算出する「FIP(フィップ)」という指標を使えば、防御率よりも正確に「投手の真の実力」が分かるとされ、年俸査定やトレードの判断材料に使われています。
88. 安価な「欠陥品」の獲得
マネーボールの真骨頂は、他球団が「欠陥品」と見なした選手を安く獲得し、活躍させることです。「守備が下手」「太っている」「投げ方が変」といった理由で評価が低い選手でも、データを見ると「実は出塁率が凄い」「三振を取る能力は高い」というケースがあります。アスレチックスはこうした埋もれた才能を安値で買い叩き、チームの主力へと再生させました。
殿堂入りの曖昧な基準
89. 殿堂入りの選考基準の曖昧さ
野球殿堂入りは選手にとって最高の名誉ですが、その選考基準には常に議論がつきまといます。アメリカでは記者投票で決まるため、明確な数値基準(3000本安打など)をクリアしていても、記者の個人的な好き嫌いや、薬物疑惑などの倫理的な問題で票が入らないことがあります。「数字は嘘をつかないが、投票するのは感情を持つ人間だ」という難しさがあるのです。
90. 地方球団の不利
かつての殿堂入り投票には、所属球団による有利不利がありました。ニューヨークやロサンゼルスなど大都市の球団の選手はメディア露出が多く、記者の印象に残りやすいのです。一方、地方の弱小球団で黙々と成績を残した選手は、全国的な知名度が低く、投票で後回しにされる傾向がありました。ネット社会になった現在は解消されつつありますが、これも歴史の側面です。
91. 巨人・阪神選手の優位性
日本野球殿堂の投票においても、似たような事情があります。投票権を持つ記者は、巨人や阪神といった人気球団の担当経験者が多いため、どうしても知っている選手に票を入れがちになります。これを「票田(ひょうでん)」と呼びます。他球団で素晴らしい成績を残しても、票田を持たない選手は殿堂入りのハードルが高くなるという、政治的な側面が少なからず存在します。
まとめ
野球は、単なるスポーツの枠を超え、道具やルールの誕生秘話、文化として根づいた風習、そして選手やファンが積み重ねてきた歴史がぎっしり詰まった“物語の集合体”です。何気なく見ている一つひとつのプレーや球場の空気にも、こんな裏側があると思うと、野球観戦がもっと深く、もっと面白く感じられますよね。これから野球を見るとき、今日知った小ネタたちが、あなたの観戦時間を少し豊かにしてくれますように。