明治維新の英雄でありながら、どこか愛嬌のあるキャラクターで今なお愛され続ける西郷隆盛。今回は「西郷どん」の愛称でおなじみの彼に関する雑学記事から、明日誰かに話したくなるエピソードを厳選しました。
教科書には載っていない意外な素顔や、思わず「へぇ!」と驚く裏話まで。テスト勉強のような堅苦しさは一切ナシで、西郷さんの魅力を再発見してみましょう!
【初級】面白い雑学10選
1. 銅像を見た妻の反応は?
- 感動して泣いた
- 別人だと驚いた
- 太りすぎだと笑った
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答え: 2. 別人だと驚いた
除幕式に招かれた妻のイトさんは、銅像を見るなり「宿んし(うちの主人)はこげな人じゃなか!」と驚いたといわれています。実際の西郷さんはもっと目に特徴があり、人前で浴衣のようなラフな格好もしなかったそうです。あれはあくまで「イメージ」の姿なんですね。
2. 「隆盛」は誰の名前?
- 父親の名前
- 祖父の名前
- 尊敬する師の名前
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答え: 1. 父親の名前
西郷さんの本名は「隆永(たかなが)」でした。明治新政府での登録時、友人がうっかり父親の名前である「隆盛」で登録してしまい、訂正が面倒なのでそのまま使い続けたそうです。なんとも大らかなエピソードです。
3. 西郷さんの愛犬の名は?
- ポチ
- ツン
- ハチ
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答え: 2. ツン
無類の犬好きとして知られる西郷さん。特に薩摩犬の「ツン」は有名です。彼は鰻丼を自分ではなく愛犬に食べさせるほどの溺愛ぶりでした。上野の銅像が犬を連れているのも、彼の犬好きを象徴しているからです。
4. 現存する写真は?
- 1枚もない
- 3枚だけある
- 大量に残っている
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答え: 1. 1枚もない
幕末の志士には珍しく、西郷隆盛の写真は一枚も現存していません。「写真を撮ると魂を抜かれる」と信じていた、あるいは暗殺防止のため顔を知られたくなかった等の説があります。有名な肖像画は、弟や従兄弟の顔を合成して描かれたものです。
5. 西郷さんの驚きの身長は?
- 約170cm
- 約180cm
- 約190cm
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答え: 2. 約180cm
当時の男性平均身長が155cm程度だった時代に、西郷さんは身長約180cm、体重110kg超という規格外の巨漢でした。相撲取りと間違われることもあったその巨体から放たれるオーラも、カリスマ性の一部だったのでしょう。
6. 医師に命じられたことは?
- 禁酒
- ダイエット
- 海外留学
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答え: 2. ダイエット
巨漢ゆえの肥満を心配され、ドイツ人医師から厳しくダイエットを命じられていました。食事制限や下剤の服用、運動療法を行っていましたが、お腹が空いて隠れ食いをしてしまい、なかなか痩せられなかったそうです。
7. 有名な座右の銘は?
- 七転八起
- 質実剛健
- 敬天愛人
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答え: 3. 敬天愛人
「天を敬い、人を愛する」という意味の「敬天愛人(けいてんあいじん)」は、西郷隆盛の思想そのものです。道徳を守り、自分を愛するように他人も愛するという教えは、現在でも多くの企業の経営理念などに引用されています。
8. ダイエット中の大好物は?
- さつま揚げ
- 豚骨料理
- 刺身
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答え: 2. 豚骨料理
ダイエットの大敵だったのが、鹿児島名物の「豚骨」です。豚のあばら肉を味噌や黒糖、焼酎で煮込んだこってり料理で、甘いお菓子も大好きでした。酒は下戸でしたが、脂っこいものと甘いものには目がなかったようです。
9. 意外な性格上の特徴は?
- 極度の潔癖症
- 非常に涙もろい
- 短気で怒りっぽい
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答え: 2. 非常になみだもろい
豪快なイメージとは裏腹に、とても涙もろい人情家でした。人の不幸話を聞くと、自分のことのようにボロボロと涙を流して悲しんだといいます。この深い「情」こそが、多くの部下が彼に心酔した理由です。
10. 保養を兼ねた趣味は?
- 釣り
- 囲碁
- 温泉
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答え: 3. 温泉
西郷さんは大の温泉好きでした。特に鹿児島の日当山温泉などを頻繁に訪れています。これは単なる趣味だけでなく、持病の治療やダイエット、そして激務で疲れた心身を癒やす大切な時間でもありました。
【中級】驚きの雑学10選
11. ウサギ狩りの方法は?
- 素手で捕まえる
- 棒で叩く
- 落とし穴を使う
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答え: 2. 棒で叩く
ダイエットのための運動療法として行っていたウサギ狩りですが、鉄砲は使わず、犬で追い詰めて「棒で叩く」という独特なスタイルでした。鉄砲の腕前があまり良くなかったからという説もあります。
12. 役所での普段着は?
- 豪華な軍服
- シルクのスーツ
- ボロボロの着物
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答え: 3. ボロボロの着物
高い地位についても正装を嫌い、普段は木綿の着物によれよれの兵児帯という格好でした。あまりに粗末な格好だったため、役所の守衛に浮浪者と間違われて追い返されそうになったという笑い話も残っています。
13. 龍馬が西郷を例えた物は?
- 大きな鐘
- 深い海
- 高い山
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答え: 1. 大きな鐘
坂本龍馬は西郷を「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く鐘のような男」と評しました。相手の度量次第で反応が変わる、西郷隆盛の底知れない器の大きさを表現した名言です。
14. 明治政府の給料の行方は?
- 貯金した
- 豪遊に使った
- 他人に譲った
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答え: 3. 他人に譲った
高給取りになっても家計は火の車でした。困っている元部下や書生たちにお金を惜しみなく分け与えていたからです。私利私欲がなく、質素な生活を貫いた姿勢が、彼のカリスマ性をより高めました。
15. 明治天皇とした遊びは?
- 相撲
- 料理
- 英語
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答え: 1. 相撲
若い明治天皇から絶大な信頼を得ており、時には相撲の相手をして手加減なしに投げ飛ばしたこともあったそうです。天皇は西郷の死を深く悲しみ、「西郷を殺したのは惜しい」と漏らしたと伝えられています。
16. 亡くなった時の財布事情は?
- 莫大な遺産があった
- プラスマイナスゼロ
- 多額の借金があった
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答え: 3. 多額の借金があった
死後、西郷家には多額の借金が残っていました。これは自分の遊興費ではなく、すべて他人への援助や私学校の運営費によるものです。自分のためには一切使わず、他人のために借金までしてしまう「無私」の人でした。
17. 奄美で結婚した妻の名は?
- 篤姫
- 愛加那
- お龍
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答え: 2. 愛加那
島流し中に現地の娘・愛加那(あいかな)と結婚しました。「島妻」という立場でしたが深い愛情で結ばれていました。島を去る際に彼女を連れて行くことは許されず、涙ながらに別れたという切ないエピソードがあります。
18. 死後に広まった驚きの噂は?
- 幽霊になった
- 実は生きている
- 生まれ変わった
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答え: 2. 実は生きている
西郷さんの死後、「実は生きていて、ロシアから帰ってくる」という生存説が庶民の間でまことしやかに囁かれました。火星が大接近した際には「西郷星だ」と崇められるほど、民衆は彼の死を受け入れられなかったのです。
19. 錦江湾での入水事件とは?
- 大喧嘩して絶交
- 一緒に寺を建てた
- 入水心中を図った
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答え: 3. 入水心中を図った
幕府に追われた際、盟友の僧・月照と共に錦江湾へ入水自殺を図りましたが、西郷さんだけが奇跡的に蘇生してしまいます。自分だけ生き残った深い罪悪感が、その後の「死に場所を求める」生き方に影響を与えたと言われます。
20. 写真嫌いの意外な理由は?
- 君主より目立つから
- 敵に顔がバレるから
- 貧しくて撮れないから
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答え: 1. 君主より目立つから
写真を嫌った理由の一つに、「君主(天皇)の写真がまだ世に出ていないのに、家臣である自分の写真が出回るのは不敬だ」という考えがあったという説があります。ここにも彼の実直な忠誠心が見え隠れしています。
【上級】深すぎる雑学10選
21. 人知れぬ持病の悩みは?
- 偏頭痛
- 象皮病
- 痛風
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答え: 2. 象皮病
西郷さんはフィラリアという寄生虫が原因の「象皮病」による陰嚢水腫という持病を抱えていました。馬に乗ると股擦れで激痛が走るため、移動は徒歩や駕籠が中心でした。馬に乗っている銅像は、実はフィクションの姿なのです。
22. 最も過酷だった流刑地は?
- 佐渡島
- 八丈島
- 沖永良部島
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答え: 3. 沖永良部島
二度の島流しのうち、特に沖永良部島での生活は過酷を極めました。吹きっさらしの牢獄に入れられ、死を覚悟したほどです。しかし、この極限状態での読書と思索が、彼の精神をより強靭なものへと高めるきっかけとなりました。
23. 征韓論の本当の狙いは?
- 直ちに武力攻撃する
- 自らが使節になる
- 貿易を独占する
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答え: 2. 自らが使節になる
「武力で開国させる」と思われがちですが、西郷本人は「自分が丸腰の使節として行き、対話で解決する(もし殺されたらそれが開戦理由になる)」と主張していました。あくまで平和的解決か、自らの犠牲を第一に考えていたのです。
24. 無血開城の交渉相手は?
- 徳川慶喜
- 勝海舟
- 榎本武揚
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答え: 2. 勝海舟
江戸総攻撃の直前、勝海舟との会談により100万都市・江戸が火の海になることが回避されました。これは西郷さんが勝海舟を深く信頼し、彼の言葉に耳を傾けたからこそ実現した奇跡です。
25. 敵となった弟の名は?
- 西郷従道
- 西郷小兵衛
- 西郷吉二郎
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答え: 1. 西郷従道
弟の西郷従道(つぐみち)は明治政府側に残り、西南戦争では実の兄を討つ側の立場になりました。従道にとってこれほど辛いことはありませんでしたが、兄の代わりに国家のために尽くす道を選んだのです。
26. 西郷の死を知った大久保は?
- 高笑いした
- 無反応だった
- 号泣して頭を打った
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答え: 3. 号泣して頭を打った
政治的に対立しましたが、二人は幼馴染であり盟友でした。西郷の死報を聞いた大久保利通は、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる」と号泣し、家の壁に頭を打ち付けて悲しんだという逸話が残っています。
27. 意外と筆まめな特技とは?
- 料理
- 手紙を書くこと
- 裁縫
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答え: 2. 手紙を書くこと
豪快な武人のイメージですが、実は非常に筆まめでした。家族や友人、同志に宛てた多くの手紙が現存しており、相手を気遣う細やかな心遣いや、彼の知性が文面から読み取れます。
28. 生涯で結婚は何回した?
- 1回
- 3回
- 5回
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答え: 2. 3回
最初の妻とは貧困等で離縁、2人目は島の愛加那、3人目が最後の妻イトです。革命家としての激動の人生が家庭生活を難しくしましたが、家族仲は良く、西郷さんは良き父であり夫でした。
29. 最期の言葉は誰に向けた?
- 大久保利通
- 明治天皇
- 別府晋介
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答え: 3. 別府晋介
西南戦争の最後、被弾した西郷さんは部下の別府晋介に介錯を頼みました。その最期の言葉は「晋どん、もうここでよか」だったと伝えられています。全てを受け入れ、潔く散っていった最後のサムライの姿でした。
30. 西郷の名誉回復はいつ?
- 死後1年
- 死後12年
- 死後50年
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答え: 2. 死後12年
賊軍の将として亡くなったにもかかわらず、死後わずか12年で大赦され名誉回復しました。これは異例の早さです。時代を超え、敵味方関係なく愛された西郷さんの人徳の高さがうかがえます。
まとめ
全30問、いかがでしたでしょうか?
豪快なだけではない、繊細で優しく、どこか人間臭い西郷隆盛の魅力に触れていただけたなら嬉しいです。全問正解できたあなたは、立派な「西郷どんマスター」です!ぜひ、明日誰かにこの雑学を話してみてくださいね。
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西郷隆盛雑学の詳細
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