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江戸時代の食事の雑学30選~面白い食べ物の歴史と豆知識~

江戸時代の食事雑学

江戸時代の人たちは、毎日どんなものを食べていたのでしょうか。質素なごはんばかりを想像するかもしれませんが、当時の記録や浮世絵をのぞいてみると、寿司や天ぷらの屋台、おしゃれな和菓子、行楽のお弁当まで、楽しそうな食の世界が広がっています。

今回は、昔の絵や料理書とともに、江戸の町や街道、京・大坂の食文化も含めた江戸時代の食事・食べ物にまつわる面白い雑学を30個ご紹介します。現代の食卓につながる発見もたくさんありますので、江戸の町を食べ歩く気分で気になる一品を探してみてくださいね。

※江戸の町を中心に、街道や京・大坂の食文化も紹介しています。暮らしや食事は地域・身分・年代によって異なり、絵には創作や演出も含まれます。

 

1.おかずにも相撲番付

江戸時代のおかずを相撲の番付に見立てた倹約料理番付

江戸時代には、普段の料理を相撲の番付に見立てた「日々徳用倹約料理角力取組」というユニークなランキングがありました。紙面には野菜や豆腐の料理と魚料理が左右にずらりと並び、魚類方の最高位である大関には「めざしいわし」が選ばれているのが特徴的です。豪華なごちそうではなく、安くておいしい日々のおかずを番付にして楽しんでいたところに、江戸の庶民のユーモアと暮らしぶりが感じられますね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『江戸自慢』

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2.納豆売りは朝に来た

職業図鑑に描かれた納豆売り

朝ごはんに納豆を食べる習慣は、江戸時代の暮らしにも深くつながっています。1690年に刊行された職業図鑑『人倫訓蒙図彙』には納豆売りの姿が描かれており、江戸の町では毎朝やって来たと紹介されています。今のように冷蔵庫からパックを取り出すのではなく、天秤棒を担いで売り歩く商人から毎朝買っていたのですね。当時の人々にとっても、納豆は朝の食卓に欠かせない身近な食べ物でした。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『人倫訓蒙図彙』

 

3.枝豆は枝ごと販売

江戸と京大坂で売り方が異なる枝豆売りの図

おつまみの定番である枝豆の名前には、江戸時代の売り方がよく表れています。江戸時代後期の風俗誌『守貞謾稿』によると、江戸では夏になると枝を取り除かずにそのまま束ねて売っていたため「枝豆」と呼んでいました。一方で京や大坂では、枝から外したさやの状態で売られていたため、「さやまめ」という名前で呼ばれていたそうです。同じ食べ物でも、地域によって売られる姿と呼び方が違っていたのは面白いですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『守貞謾稿』

 

4.八杯豆腐の正体

精進方の大関に八杯豆腐が載る倹約料理番付

「八杯豆腐」と聞くと、豆腐を八杯も食べる大盛り料理を想像してしまうかもしれません。しかし、1782年の料理書『豆腐百珍』に載る「真の八杯豆腐」とは、だし汁や調味料を水六杯・酒一杯・醤油一杯の割合で合わせた料理のことです。煮立てた汁に絹ごしのすくい豆腐を入れ、おろし大根を添えて味わう温かな一品で、倹約料理の番付では精進方の大関にも選ばれるほど庶民に高く評価されていました。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『江戸自慢』『豆腐百珍』

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5.豆腐がクジラに変身

豆腐を使ったきじやきの記述がある料理書

肉や魚を使わずに、別の食材に見立てた料理を作る工夫は江戸時代にも盛んでした。ベストセラー料理書『豆腐百珍』やその続編には、豆腐をキジやアユ、シジミ、さらにはクジラに見立てる驚きのレシピが登場します。このように植物性の食材で動物性の食材を表現する工夫は「もどき料理」と呼ばれました。写真の料理書にも豆腐を使う「きじやき」の記述があり、見た目や調理法に知恵を絞って楽しむ発想が伝わってきます。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/「料理物語」『雑芸叢書』ほか

 

6.豆腐を運ぶ妖怪

紅葉模様の豆腐を持つ豆腐小僧の絵

江戸時代の絵入り小説である黄表紙などには、豆腐を持ち歩く「豆腐小僧」というユニークな妖怪が登場します。大きな頭に傘をかぶり、手にしたお盆の上に紅葉の印が付いたお豆腐をちょこんと載せているのが特徴です。1788年の『夭怪着到牒』などでもその姿を見ることができますが、人を襲う恐ろしい化け物というよりは、気弱でどこか憎めない滑稽なキャラクターとして町の人々に親しまれていました。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/北尾政美『夭怪着到牒』

 

7.醤油屋にも番付

関東の醤油醸造家を相撲番付に見立てた為便覧

江戸の人たちが相撲の番付に見立てたのは、おかずだけではありません。当時の関東で醤油を造っていた醸造家を格付けした「為便覧」という番付も残されています。文化・文政の頃には、野田や銚子で造られる風味豊かな濃口醤油が江戸で広く普及し、握り寿司やそばつゆなど関東の食文化を支える存在になりました。番付にずらりと並ぶ銘柄からは、当時の醤油人気の高さがよくうかがえます。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/「為便覧」『江戸自慢』

 

8.町には食べ物売り

蒲焼屋、天ぷら屋、初鰹の振り売りが描かれた江戸の風景

江戸の町では、わざわざお店に出かけなくても、通りを売り歩く商人からさまざまな食べ物を買うことができました。1817年の『気替而戯作問答』には、うなぎの蒲焼屋や天ぷら屋、初鰹の振り売りなどが行き交う様子が描かれています。現代のデリバリーやテイクアウトのように、調理道具や食材を担いだ小さな商いの積み重ねが、一人暮らしの職人や町人たちの忙しい食生活を手軽に支えていたのです。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『気替而戯作問答』

 

9.そば屋台は担いで移動

歌川広重の虎の門外あふひ坂に描かれたそば屋台

歌川広重の浮世絵「虎の門外あふひ坂」をよく見ると、暗い坂の途中に「二八そば」と書かれた屋台が見えます。江戸の町には、固定された店舗だけでなく、1人で屋台を担いで夜道を移動する「夜鷹そば」などの売り方もあったのです。『守貞謾稿』にも江戸のそば屋の多さが記されており、寒い夜道で出会う温かなかけそばは、当時の町人たちにとって最高の手軽な外食として愛されていました。

画像:Wikimedia Commons/歌川広重「虎の門外あふひ坂」(パブリックドメイン) 参考:味の素食の文化センター「江戸で愛されたそば」

 

10.寿司には煮たネタも

江戸の握り寿司が描かれた浮世絵の寿し好

江戸で誕生した握り寿司は、現代のように生魚ばかりが並ぶものではありませんでした。『守貞謾稿』には、卵焼きや車海老、こはだ、あなごの甘煮といったネタが記されています。当時は冷蔵技術がなかったため、煮たり酢で締めたりと保存性を高めるひと手間が欠かせませんでした。マグロも脂の多いトロは傷みやすいため好まれず、赤身を醤油に漬けた「づけ」にして食べられていたそうです。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/豊国「寿し好」『二十四好今様美人』ほか

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11.天ぷらは串で食べた

串に刺した天ぷらと大根おろしが描かれた屋台の図

天ぷらといえばお皿に盛って箸で食べる姿を思い浮かべますが、江戸時代は少し違いました。1781年の『夢想大黒銀』に描かれた天ぷら屋台を見ると、揚げたての天ぷらが1本ずつ竹串に刺さった状態で提供されています。お皿を使わずに立ち食いでパクッと口へ運べるため、江戸っ子に大人気のファストフードでした。屋台の奥には山盛りの大根おろしも描かれており、さっぱりと味わう工夫は今と同じですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『夢想大黒銀』

 

12.江戸前はうなぎにも

江戸前を売り文句にするうなぎの蒲焼屋

「江戸前」という言葉を聞くとお寿司を連想しがちですが、江戸時代にはうなぎにも使われる呼び名でした。1775年の『物類称呼』には、浅草川(隅田川)や深川周辺で捕れる良質なうなぎを「江戸前」と呼んでもてはやしたと記されています。当時の蒲焼屋は、江戸以外の遠方から運ばれてきた「旅鰻」と明確に区別して、地元で捕れた新鮮なうなぎを看板の売り文句にしていたのです。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『唯心鬼打豆』『物類称呼』

 

13.寿司は東西で違った

大坂の押し寿司が描かれた浪華自慢名物尽の福本すし

同じ江戸時代でも、江戸と京・大坂ではお寿司のスタイルに大きな違いがありました。『守貞謾稿』によると、かつては三都ともに箱型を使う押し寿司でしたが、江戸では文政年間ごろから手早く作れる握り寿司へと主役が移っていきました。一方で京・大坂では、その後も木型に酢飯と具材を詰めて作る「押し寿司」が主流であり続けました。絵の右上にも大坂の押し寿司が描かれており、土地ごとの違いが楽しめます。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/長谷川貞信「浪華自慢名物尽 福本すし」

 

14.旅先の名物はとろろ

名物とろろ汁の看板がある鞠子宿の茶屋

旅の大きな楽しみといえば、その土地ならではのご当地グルメです。江戸時代の東海道にも、街道沿いに名物料理を出す茶屋がいくつもありました。歌川広重が描いた東海道五十三次の「鞠子(丸子)宿」の茶屋では、店先に「名ぶつとろろ汁」と書かれた大きな看板が掲げられています。自然薯を使った栄養満点のとろろ汁は、歩き疲れた旅人たちがほっと一息つく人気の宿場飯として親しまれていました。

画像:Wikimedia Commons/歌川広重「鞠子」(パブリックドメイン) 参考:東京富士美術館「丸子 名物茶店」

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15.料理屋で初日の出

洲崎の料理屋武蔵屋で初日の出を迎える場面を描いた広重の浮世絵

江戸の外食文化には、屋台で手早くお腹を満たすだけでなく、座敷から美しい景色を眺める贅沢な楽しみ方もありました。歌川広重のこの作品は、深川・洲崎にあった有名な高級料理茶屋「武蔵屋」で初日の出を拝む人々の姿を描いています。海辺に面した見晴らしの良い料理屋そのものが名所や風景画の舞台になるほど、江戸では「おいしい料理と絶景を一緒に味わう時間」が特別な娯楽として発達していました。

画像・作品情報:Wikimedia Commons/歌川広重「洲崎はつ日の出 武蔵屋」(シカゴ美術館、CC0)

 

16.かんぴょうは夕顔の実

夕顔の果肉を細長くむいて干す水口のかんぴょう作り

巻き寿司などに使われる細長いかんぴょうは、元の姿をなかなか想像しにくい食材ですよね。実はこれ、ウリ科の植物である「夕顔(ユウガオ)」の大きな実の果肉を薄く細長くむいて乾燥させたものです。広重の浮世絵「水口」には、宿場の名物として女性たちが夕顔の実に包丁を入れ、白いテープのように長くむいた果肉を竿に掛けて天日干しにする、昔ながらの手作業の工程が生き生きと描かれています。

画像:Wikimedia Commons/歌川広重「水口 名物干瓢」(アムステルダム国立美術館、CC0) 参考:東京富士美術館

 

17.浅草のりは品川産も

品川での海苔採集や下処理を描いた江戸浅草海苔の図

「浅草のり」という名前を見ると、すべて浅草で採れた海苔だと思ってしまいますよね。ところが江戸時代の『日本山海名物図会』では、品川の海で採れた生海苔を浅草へ運んで加工したものも「浅草のり」と呼ぶと説明されています。逆に品川でそのまま加工して仕上げれば「品川のり」と呼ばれたそうで、当時のブランド名には材料が採れた場所だけでなく、職人が加工する場所も深く関わっていたことがわかります。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『日本山海名物図会』

 

18.かまぼこにも東西差

蒸したかまぼこと焼き目のあるかまぼこを描いた守貞謾稿の図

木の板に魚のすり身を盛り付けたかまぼこは江戸時代にもありましたが、東西で製法に違いがありました。『守貞謾稿』によると、江戸では蒸して仕上げた白いかまぼこを売る一方、大坂や兵庫から京都へ運ぶものは保存性を高めるために塩を多く入れて表面に焼き目をつけていたそうです。冷蔵庫のない時代には、海から遠い消費地へ運ぶ時間や傷みやすさも、食べ物の作り方を左右する大切な要素でした。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『守貞謾稿』

 

19.鰹節作りは大仕事

籠に並べた鰹を窯で蒸す鰹節作りの工程

和食のだしに欠かせない鰹節は、魚をそのまま天日で干せば完成するわけではありません。江戸時代の『日本山海名産図会』には、さばいた鰹を竹籠に並べて大きな窯でじっくり蒸し上げ、さらに乾燥させて表面を磨くという大がかりな製造工程が紹介されています。当時は土佐や薩摩の鰹節が最高級の名産品として評判を集めており、普段の味噌汁やそばつゆの味は、産地の大変な手仕事によって支えられていました。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『日本山海名産図会』

 

20.カレイは蒸して保存

若狭の名物である蒸鰈の製造風景

魚の保存食というと塩を振ってそのまま干す「干物」を思い浮かべますが、江戸時代にはひと味違う名産品もありました。若狭地方の名物として知られた「蒸鰈(むしがれい)」は、塩水に浸した新鮮なカレイを一度せいろで蒸してから天日で乾燥させるという手の込んだ食品です。『日本山海名産図会』でもその上品なおいしさが称賛されており、ただ長持ちさせるだけでなく旨味を引き出す先人の知恵が光ります。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『日本山海名産図会』

 

21.マグロが低評価の時代

江戸時代の魚類図譜である梅園魚品図正の図

現代ではお寿司やお刺身の主役として大人気のマグロですが、江戸時代中期の料理書『古今料理集』などでは、なんとアジやサバなどとともに「下魚(げざかな)」に分類されていました。当時の祝い膳などでは、白身の鯛や鯉などが格上の「上魚」として重宝されていたのです。マグロのような赤身魚は漁場から運ぶ途中で鮮度が落ちやすかったことも、当時の料理書での評価が低かった理由のひとつとされています。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『梅園魚品図正』『古今料理集』

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22.魚売りは早朝に出発

日本橋の朝の風景に描かれた魚を担ぐ行商人

歌川広重の代表作「東海道五十三次 日本橋・朝之景」には、夜明けの橋を渡る大名行列の手前に、天秤棒で魚桶を担ぐ商人たちが描かれています。彼らは日本橋の魚河岸で早朝に仕入れたばかりの鮮魚を、江戸の町中へ売り歩く「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれる行商人たちです。江戸の人々が新鮮な魚をその日のうちに味わえたのは、こうした流通の仕組みと朝から駆け回る商人たちの活躍があったからこそでした。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/歌川広重「日本橋・朝之景」

 

23.初鰹には見栄も乗る

鰹売りに扮した歌舞伎役者を描いた浮世絵

江戸の町人たちは、その季節に初めて出回る「初物」を食べると寿命が75日延びると信じて夢中になりました。なかでも初夏にやってくる「初鰹」の人気はすさまじく、見栄を張って大金を叩いてでも誰より早く旬を味わおうとする粋な風潮があったほどです。初鰹の行商人も、数が少ない高級魚を鮮度が落ちないうちに売り切るため、威勢の良い掛け声とともに江戸の町を飛ぶように駆け回ったと伝えられています。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/豊国「日本橋 松魚売」

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24.大坂にも巨大魚市場

船や商人でにぎわう大坂の雑喉場魚市場

江戸の台所を支えた魚市場が日本橋なら、「天下の台所」と呼ばれた大坂には「雑喉場(ざこば)」という巨大な魚市場がありました。水運の拠点であった大坂の雑喉場には、近くの大坂湾だけでなく、瀬戸内海や遠く日本海など各地から船で運ばれた多彩な魚介類が集まりました。江戸時代の豊かな食卓は、地元で捕れる食材だけでなく、海路で結ばれた産地と大都市のダイナミックなネットワークが支えていたのです。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/歌川広重「浪花名所図会 雑喉場魚市の図」

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25.和菓子に和歌の景色

川の流れと紅葉を表現した竜田川という和菓子の見本図

江戸時代に発展した上質な和菓子は、ただ甘いだけの食べ物ではありませんでした。当時の菓子見本帳『御蒸菓子図』に描かれた「竜田川」というお菓子は、古典和歌に詠まれた紅葉の名所・竜田川の流れと散りゆくモミジを美しい意匠で表現しています。お菓子の銘(名前)を聞いて和歌の情景を思い浮かべ、季節感あふれる見た目を楽しんでから味わうという、五感を使った風流な文化が花開いていました。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『御蒸菓子図』

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26.飴屋の大傘には理由

大きな傘の下で飴を売る川口屋の商人

江戸時代の絵画には、とても大きな傘の下に小さな台を置いて飴を売る「傘の下商人」の姿がよく描かれています。一見すると目印や飾りのように見えるこの大傘ですが、『守貞謾稿』によると強い日差しで大事な飴が溶けたり、急な雨で商品が濡れたりするのを防ぐ実用的な役割がありました。屋外で商売を続けるための生活の知恵が、江戸や京・大坂の町角を彩る名物風景を生み出していたのですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『どうけ百人一首』『守貞謾稿』

 

27.飴売りは踊って集客

異国風の衣装で子どもたちと踊る唐人飴売り

江戸の飴売りの中には、ただ声を張り上げるだけでなく、ユニークなパフォーマンスでお客さんを集めるエンターテイナーもいました。「唐人飴売り」と呼ばれた商人は、異国風の派手な衣装を身にまとい、歌や踊りを披露したり「覗きからくり」という見世物を見せたりして人気を集めたそうです。『英一蝶画譜』には、子どもたちと楽しく踊る飴売りの姿が生き生きと描かれています。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『英一蝶画譜』

 

28.江戸にもカステラ

江戸時代の百科事典である倭漢三才図会に記されたカステラ

現代でもおなじみの洋風菓子「カステラ」は、すでに江戸時代の人々にも知られた存在でした。1712年に成立した図入り百科事典『倭漢三才図会』にもカステラの記述が残されており、室町時代末期にポルトガルなどから伝えられた南蛮菓子の技術が江戸時代に定着していたことがわかります。江戸時代には砂糖の輸入や国内生産も次第に広がり、伝統的な餅や団子だけでなく海外由来の甘いお菓子も日本の食文化を豊かにしました。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『倭漢三才図会』

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29.桜餅は花見のお土産

菓子包みと桜の枝を持つ女性を描いた三囲みやげ桜餅

春になると食べたくなる桜餅は、江戸の桜の名所から生まれた大ヒット商品です。享保年間(1716〜1736年)に、隅田川沿いの向島・長命寺で門番をしていた山本新六という人物が、境内の桜の葉を塩漬けにして餅を包んで売り出したのが始まりと伝えられています。渓斎英泉の浮世絵「三囲みやげ桜餅」にも描かれているように、隅田川へ花見に訪れた人々のお土産として江戸中で大人気となりました。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/渓斎英泉「三囲みやげ桜餅」

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30.花見弁当は特別仕様

人々を鼠に見立てて江戸の花見の様子を描いた鼠花見の複製

江戸の町人たちにとって、春のお花見は桜を愛でるだけでなく、豪華な食事や宴会を外で楽しむ一大イベントでした。当時の川柳には、前日の夜から重箱へごちそうを詰める様子が詠まれており、大きな弁当包みを木の棒に結んで2人がかりで担いで運ぶこともあったそうです。人々を鼠に見立てた『鼠花見』の絵からも、外で食べる特別なお弁当とお酒に盛り上がる当時の行楽の楽しさが伝わってきますね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/『鼠花見』『川柳年中行事』ほか

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まとめ

いかがでしたでしょうか。庶民のおかず番付から、夜道を担いで移動するそば屋台、景色を楽しむ料理茶屋、そして豪華な花見弁当まで、江戸時代の食事には限られた環境の中でも毎日の暮らしを豊かに楽しむ知恵と工夫がたっぷり詰まっていました。

昔の絵に描かれたお寿司や天ぷら、納豆、桜餅など、私たちが今食べているおなじみのメニューが江戸の人々にも愛されていたと知ると、普段の食事がもっと味わい深くなりますよね。次に食卓でこれらの料理が並んだときは、「江戸時代にはこんな風に食べられていたんだよ」と、ぜひ周りの人に話してみてくださいね。

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