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江戸の水道の雑学5選~木樋の仕組みや驚きの歴史・豆知識~

江戸の水道雑学

水道管といえば、金属などでできた丸い管を思い浮かべますよね。ところが、江戸の地下では木製の水道管が活躍していました。遠くから引いた水を町へ届け、井戸にためて汲み上げるなど、蛇口のない時代にも人々の暮らしを支える高度な仕組みがあったのです。

今回は、木の水道管や井戸の展示写真、広重の浮世絵を手がかりに、江戸の水道をめぐる面白い豆知識を紹介します。地中の道具から水辺の名所まで、飲み水を届ける驚きの工夫と歴史をたどってみましょう。なお、上水の整備状況や水の得方は、地域や年代によって異なります。

※展示写真は現代に撮影されたものです。浮世絵は当時の作品ですが、描かれた景色をそのまま実景の記録とみなすことはできません。

 

1.水道管は木でできた

東京都水道歴史館で展示されている歴史的な木製水道管

江戸市中の水道では、丸太や板を加工した「木樋(もくひ)」が活躍していました。太い木材をくり抜くものだけでなく、板を釘で組み合わせて箱状にするものもありました。材料にはヒノキやサワラなどが使われ、水漏れを防ぐ工夫には造船の技術も用いられています。写真は、かつて地下に埋められていた展示品です。当時のインフラを木工の道具として眺めると、職人の手仕事がぐっと身近に感じられますね。

画像:Chris 73/Wikimedia Commons「Historic wooden water pipes in Tokyo」、CC BY-SA 3.0(画像の加工なし)。参考:東京都水道歴史館学芸員への取材記事「“水の都”江戸の上水」、ミツカン水の文化センター「木で作られた水道管」 画像は当サイトで縮小・WebP形式に変換。

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2.井戸なのに底がある

東京都水道歴史館に展示された歴史的な木製井戸

一般的に地下水が湧いてくる場所と思いがちですが、江戸の上水井戸には水道管から届いた水をためる役割がありました。木の桶のように塞がれた構造のものもあり、地面を掘って水脈を当てる仕組みとは大きく違います。木樋などを通ってきた水を内部へ導き、人々は釣瓶(つるべ)などで汲み上げて使いました。外からは普通の汲み場にしか見えなくても、その先では遠くの川とつながる水道の出口だったのです。

画像:Chris 73/Wikimedia Commons「Old Well in Tokyo」、CC BY-SA 3.0(画像の加工なし)。参考:東京都水道歴史館デジタルアーカイブ「改良水道以前の木樋ならびに木製接合井」解説、ミツカン水の文化センター「木で作られた水道管」 画像は当サイトで縮小・WebP形式に変換。

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3.ポンプなしで水を運ぶ

歌川広重が神田上水沿いの関口を描いた「せき口上水端はせを庵椿やま」

江戸の上水は、基本的に土地の高低差を利用して流す「自然流下」の仕組みでした。機械の動力で押し出すのではなく、高い場所から低い場所へと向かう重力の性質を生かしたのです。そのため、水源や水路の位置を正確に決める高度な測量技術が重要でした。画像は広重が1857年に描いた、関口の神田上水沿いの風景です。水辺の名所として描かれた穏やかな流れも、町へ飲み水を届ける大切な施設の一部でした。

画像:歌川広重「名所江戸百景 せき口上水端はせを庵椿やま」(1857年)/Brooklyn Museum由来、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。参考:ミツカン水の文化センター「木で作られた水道管」、Brooklyn Museum作品解説

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4.短命だった桜並木

歌川広重が玉川上水沿いの桜を描いた「玉川堤の花」

広重の「玉川堤の花」は、玉川上水沿いの美しい花見風景を描いた作品です。ただし、この水辺の景観は長く続いた名所ではありません。1856年2月に植えられて評判になりましたが、幕府の木を意味する「御用木」とした高札が問題となり、わずか翌月の3月には撤去が命じられました。現在の新宿御苑正門付近を描いたと考えられています。華やかな浮世絵の中にも、すぐ姿を消した幻の景色が残っているのです。

画像:歌川広重「名所江戸百景 玉川堤の花」(1856年)/Brooklyn Museum由来、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。参考:東京都立図書館「名所江戸百景 玉川堤の花」、東京都立中央図書館による桜並木の調査回答

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5.水道橋は水道が由来

大きな鯉のぼりと水道橋周辺を描いた歌川広重「水道橋駿河台」

東京の「水道橋」という馴染み深い名前には、江戸の水道の記憶が刻まれています。神田上水の水を神田川の向こう岸へ渡すため、万治年間(1658~1661年)に木製の「懸樋(かけひ)」が架けられました。その西側にあった橋が、懸樋にちなんで呼ばれたのが始まりです。つまり、人が渡る橋自体と水を渡す施設は別物でした。画像は広重の「水道橋駿河台」で、由来を知ると現代の街歩きも楽しくなりますね。

画像:歌川広重「名所江戸百景 水道橋駿河台」(1857年)/Brooklyn Museum由来、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。参考:国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所 御茶の水・水道橋」

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まとめ

江戸の水道は、地下に埋められた木の管だけで完結していたわけではありません。水源から町へ流れを導く水路があり、届いた水を汲む井戸があり、川を越えるための施設もありました。蛇口のない時代の暮らしを支えていたのは、それぞれの場所に合わせた道具と土木の工夫だったのです。

浮世絵に描かれた水辺も、きれいな景色というだけでなく、生活用水を運ぶ場所として眺めると違った表情を見せます。木製の展示物を見たときや、水道橋の名前を耳にしたときには、その先で川と町がつながっていた歴史を思い出してみてください。普段は見えない水道の仕組みが、街の景色の中から少し顔を出してくれますよ。

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