相撲観戦といえば、大きな力士がぶつかり合う土俵に目が向きますよね。でも、江戸の浮世絵をのぞいてみると、少年の土俵入りや大勢の観客、粋な着物姿の力士まで登場します。勝ち負けだけではない相撲の楽しみ方が、当時の鮮やかな絵の中に広がっているのです。
今回は、力士の意外な身分から観戦小屋の仕組みまで、浮世絵の画像と一緒に楽しめる面白い豆知識をご紹介します。人物の姿だけでなく、客席や町の風景にもぜひ注目してみてくださいね。主に江戸後期の資料を扱い、絵の演出と史実は区別してわかりやすくお届けします。
1.少年も土俵入り

江戸の土俵には、なんと幼い少年も登場していました。大童山文五郎(だいどうざんぶんごろう)は、1794年の冬場所に数え年7歳で番付に載った怪童力士です。この登場時に人気を集めたのは、実際の取組ではなく土俵入りを披露する愛らしい姿でした。東洲斎写楽の絵では、大童山と周囲の大人の力士を見比べることで、少年が注目を集めた当時の会場の雰囲気を楽しめます。掲載画像は、1794年の作品を大正期に高見澤が復刻したもののスキャンです。
画像:Wikimedia Commons/東洲斎写楽「大童山土俵入」(大正期の高見澤復刻、出所:Fuji Arts)。パブリックドメイン。参考:相撲博物館「大童山文五郎 碁盤で蝋燭の火を消す図」、MOA美術館「大童山土俵入」。
2.観戦小屋は三階建て

江戸の相撲会場には、興行のたびに建てられる特設の観戦小屋がありました。両国の回向院では、土俵まわりの土間席を葭簀(よしず)張りの桟敷席がぐるりと取り囲んでいたのです。葭簀とは、葦などを編んだ大きなすだれのようなもので、土間席には力士を抱える大名の家臣たちが陣取りました。1856年のこの図は、桟敷や取組、会場の配置をまとめた貴重な資料です。土俵だけでなく、観客を収める空間の広がりにも注目すると、当時の興行の規模が生き生きと伝わってきます。
画像:国立国会図書館デジタルコレクション/歌川国郷「江戸両国回向院大相撲之図 桟敷・取組・地取図」(1856年)。著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館「NDLイメージバンク」江戸っ子の娯楽・相撲。
3.身長約2.3メートル

生月鯨太左衛門(いきづきげいたざえもん)は、長崎の生月島出身の巨人力士です。歴史資料の『武江年表』には、1844年に18歳で「身の丈七尺五寸」と記されている驚きの記録が残っています。こちらの絵は、立派な化粧まわしを締めた生月を描いたものです。初めは土俵入りだけを行い、後には下位の力士を相手に取組も行いました。圧倒的な体の大きさを見せること自体が、江戸っ子たちを湧かせる興行の大きな見どころになっていたのですね。
画像:国立国会図書館デジタルコレクション/国貞改二代目豊国「生月鯨太左衛門」。著作権保護期間満了。参考:立命館大学アート・リサーチセンター「B2-17 巨人生月鯨太左衛門登場」、国立国会図書館「NDLイメージバンク」江戸っ子の娯楽・相撲。
4.殿様に仕える力士

江戸の力士には、各地の大名家に召し抱えられた「抱え相撲」という存在がいました。1827年、幕府は大名家の抱え力士を武士、それ以外を浪人とする見解を示しています。農民や町人の出身であっても、実力を認められて力士になることで身分が変わる場合があったのです。有力な力士は大名たちが競って召し抱え、角界の花形として活躍しました。画像は関取の道中を描いた三枚続のうちの一枚で、江戸の身分社会を背景に見ると違った印象が楽しめます。
画像:国立国会図書館デジタルコレクション/歌川国貞(豊国)「関取道中之図」(三枚続のうち一枚)。著作権保護期間満了。参考:相撲博物館「抱え相撲の世界」。
5.横綱はまず称号だった

江戸時代の相撲における最高峰の地位は、初めから現在と同じ制度だったわけではありません。1789年に谷風と小野川に免許が与えられましたが、番付にその名が書かれるようになったのは1890年になってからのことで、正式に最高位と認められたのは1909年です。掲載したのは、江戸の第9代・秀ノ山の土俵入りを描く三枚続の一枚です。浮世絵の題名にある言葉と、当時の番付における制度上の位置づけは、少し分けて考えると歴史がより深く見えてきます。
画像:国立国会図書館デジタルコレクション/歌川国貞(豊国)「秀ノ山雷五郎横綱土俵入之図」(三枚続のうち一枚)。著作権保護期間満了。参考:相撲博物館「横綱」、国立国会図書館「NDLイメージバンク」江戸っ子の娯楽・相撲。
6.寺社のための興行

江戸時代に盛んに行われた「勧進相撲」の勧進とは、建物の建立や修復などに必要な資金を広く集めることを意味しています。庶民の大きな娯楽として広がった相撲には、こうした社会的な目的も込められていました。江戸では1684年に深川八幡宮で許可され、開催場所が一定しない時期を経て、1833年に回向院が定場所となります。画像は『江戸名所図会』の富岡八幡宮です。相撲との深いつながりを知ってから境内を眺めると、名所のもう一つの顔が見えてきますね。
画像:国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」/長谷川雪旦画『江戸名所図会』富岡八幡宮。著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館「NDLイメージバンク」江戸っ子の娯楽・相撲。
7.太鼓は早朝4時ごろ

相撲の季節がやってくると、まだ暗い関取が場所入りする時や打ち出し後にも櫓(やぐら)の音が響いたと国立国会図書館の解説で紹介されています。歌川広重が1857年に描いたこの風景では、画面左端の高い相撲櫓が大きな目印です。櫓の上には、興行中の晴天を願って竹竿の先に麻の「出弊(だしっぺい)」が吊るされました。土俵が直接見えない町の風景にも、相撲のワクワクする気配が残っています。絵を見るときは、音が鳴る場所を探すつもりで眺めてみてください。
画像:Wikimedia Commons/歌川広重「名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋」(1857年、ブルックリン美術館所蔵)。パブリックドメイン。参考:国立国会図書館「NDLイメージバンク」江戸っ子の娯楽・相撲。
8.着物姿も人気の題材

相撲の浮世絵に描かれたのは、激しい取組やまわし姿だけではありません。こちらは豊原国周が1858年に描いた鷲ケ浜音右衛門で、土俵上の動きとはまた違う、粋な装いと人物の佇まいを楽しむ一枚です。当時の相撲錦絵では、力士ごとの顔や体形の特徴を巧みに捉えた表現が大きく発展し、スター力士たちの人気を力強く支えました。こうした普段の装いを見ていると、江戸の人々が力士を勝敗だけでなく、一人の魅力ある人物として憧れの目で見ていたことが伝わってきます。
画像:国立国会図書館デジタルコレクション/豊原国周「鷲ケ浜音右衛門」(1858年)。著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館「NDLイメージバンク」江戸っ子の娯楽・相撲、江戸東京博物館「相撲の錦絵と江戸文化」。
9.おかずにも相撲番付

相撲の番付表のスタイルは、なんと土俵の外の日常でも楽しく使われていました。幕末ごろの「日々徳用倹約料理角力取組 為御菜」は、身近な家庭の献立を並べたユーモアあふれる「見立番付」です。この表では、魚類方の最高位である大関に「めざしいわし」が選ばれるなど、右側に野菜や芋の料理、左側に魚料理がずらりと並んでいます。力士の食事表ではなく、日々のおかずを相撲になぞらえたもので、江戸の暮らしに相撲が深く根付いていたことがわかる楽しい資料ですね。
画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」/「日々徳用倹約料理角力取組 為御菜」『江戸自慢』(嘉永・安政ごろ)。著作権保護期間満了。この一枚の評価を、江戸全体の人気ランキングとして扱うものではありません。
まとめ
江戸の相撲は、ただ取組の勝ち負けだけで成り立っていたわけではありません。少年や巨人力士の登場、粋な着物姿の錦絵、三階建ての観戦小屋や早朝の町に響く太鼓の音まで、さまざまな見どころがありました。浮世絵をじっくり眺めると、力士を熱心に応援する人々だけでなく、その人気を形にした絵師の存在も鮮やかに見えてきます。横綱の制度や力士の身分など、当時ならではの背景を少し知るだけで、絵の読み解き方がぐっと面白くなりますよね。
次に大相撲を見るときは、ぜひ土俵入りや装い、番付の細かな部分にも目を向けてみてください。食卓のおかずを番付にしたくなるほど身近だった江戸の相撲の世界を思い出すと、いつもの観戦にも新しい楽しみが加わりそうです。気になった豆知識があれば、ぜひ周りの人にもシェアしてみてくださいね!
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