旅行の荷物をまとめるとき、「これも必要かな」と迷うことはありませんか。江戸時代の旅人も、歩きやすい服装や持ち物に気を配り、道中では食事や宿、川の渡り方まで考えていました。浮世絵に描かれた小さな旅人を眺めると、景色だけでは見えてこない当時の旅の暮らしが浮かび上がってきます。
今回は、江戸時代の旅と旅支度にまつわる雑学を、歴史画像とともに30個ご紹介します。街道の名物を味わい、旅を支えた仕事や道具の面白い豆知識をのぞきながら、絵の中の道を一緒にたどってみましょう。なお、旅の習慣は地域や年代、身分によって異なります。
※浮世絵には構図や物語上の演出が含まれます。描かれた場面を、そのまま当時の暮らし全体の記録とはみなしていません。後世の復刻・収録本を使用した画像は、各出典欄に明記しています。
1.川を肩車で渡る

大井川では、旅人が人の肩に乗って川を渡ることがありました。橋や渡し船の利用が禁じられていたため、川越人足(かわごしにんそく)という専門の担ぎ手を雇ったのです。人の肩や担ぎ台が街道の川を越えるための正式な移動手段として機能していました。台を担いでもらう「連台越し」もあり、渡り方には違いがあります。広重の「島田」では、広い川の中に人々が点々と描かれ、渡河を支える仕事の規模が伝わります。
画像:歌川広重「島田」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:島田市博物館「川越制度」、国立国会図書館「東海道の難所をめぐる」
2.馬にもわらじ

街道を歩く足を守る必要があったのは、人間だけではありません。荷物を運ぶ馬の蹄(ひづめ)を保護するため、専用の履物を足に装着させて街道を歩かせていたのです。重い体を支えて歩くので長持ちせず、替えの分も持ち歩いたといいます。広重の「藤枝」には、荷物を運ぶ馬と働く人々が描かれています。絵の細部から装着状態までは断定できませんが、動物の足にも消耗品が必要だったと知ると、輸送を支える手間が想像できます。
画像:歌川広重「藤枝」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:四日市市立博物館「馬のわらじ」
3.街道の名物餅

江戸時代の旅には、土地ごとの菓子を食べる楽しみがありました。東海道では安倍川餅や日坂の蕨餅、草津の姥が餅(うばがもち)などが知られ、旅の記録や絵にも登場します。各地の甘味は旅人が道中で疲れを癒やす楽しみな食べ物でもあったのです。広重の「草津・名物立場」には姥が餅屋が描かれています。店と通りの往来を一緒に見ると、街道が単なる移動の道ではなく、食べ物に出会う場所だったことがわかります。
画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/歌川広重「東海道五拾三次 草津・名物立場」
4.着物を歩く服に

旅人は、普段の和服のまま長い道を移動するために着方を工夫しました。後ろの裾を帯に挟む「尻端折(しりはしょり)」をしたり、脚に脚絆(きゃはん)を巻いたり、手の甲を手甲で守ったりします。当時の旅支度では見栄えだけでなく長距離の移動しやすさが重視されていました。広重の「原」には、富士山の前を行く人々が描かれています。山ばかりでなく人物の裾や足元にも目を向けると、風景画の中に移動する体の存在が見えてきます。
画像:歌川広重「原」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:四日市市立博物館「旅装束」
5.宿の客引き合戦

広重の「御油(ごゆ)」では、宿の女性たちが旅人を引き留めています。副題は「旅人留女」といい、客を取り合う女性と、その間で困る旅人の姿がユーモラスな場面になっています。夕暮れの宿場町の風景には旅人を呼び込む商売の熱気も描かれたのです。ただし、これは広重が表現した一場面で、どの場所でも同じことが起きたとは限りません。引く側と引かれる側の姿を見比べると、絵の中のやり取りが生き生きと感じられます。
画像:歌川広重「御油 旅人留女」/ボストン美術館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:たばこと塩の博物館「東海道五拾三次之内 御油」
6.ガイドに茶店情報

江戸時代にも、旅行の案内書にあたる道中記や細見記がありました。内容は本によって異なりますが、宿場間の距離や宿代、馬の料金に加え、名所や休憩処、土産物も載っています。当時の旅の本には道順だけでなく食べたり買ったりする場所も網羅されていたのです。画像の『東街便覧図略』にも名物の蕨餅店が描かれています。名所を見ることと土地の味を楽しむことは、旅を紹介する本の中でも結び付いていました。
画像:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/『東街便覧図略』新坂蕨餅店(高力猿猴庵の著作の一部を江戸後期に転写したと考えられる資料)。参考:レファレンス協同データベース「江戸時代に、旅行のガイドブックはあったか」
7.富士登山はお参り

江戸時代の山頂を目指す旅には、神聖な山を信仰の対象として拝む「登拝」という意味がありました。富士講という信仰の仲間たちが山へ登り、道中では観光も楽しみました。霊峰へ向かう旅は信仰の行事と行楽の楽しみが重なるものでもあったのです。北斎の「諸人登山」には、白装束の人々や金剛杖、岩場や岩室が描かれています。雄大な山の眺めだけでなく、登る人や休む人を主役にしているところも、この絵の面白さです。
画像:葛飾北斎「富嶽三十六景 諸人登山」/Wikimedia Commons(原図1830年頃、掲載画像は1930年頃の復刻版。パブリックドメイン)。参考:国立国会図書館「富士登山と富士塚」
8.雨への備えも支度

歩く旅では、悪天候に備える道具も欠かせません。旅人は防水の合羽を用意し、頭にかぶる笠を持ち歩くこともありました。広重の「庄野」では、降りしきる雨と、その中を急ぐ人々が印象的です。雨具は長い道のりを自分の足で歩き抜くための大切な携帯品でした。風景画として見ると美しい空模様も、絵の人物に目を移せば移動を難しくするものに変わります。傘や身をかがめる姿を追うと、画面の中の忙しさまで伝わってきます。
画像:歌川広重「庄野」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:四日市市立博物館「旅装束」
9.一服道具を腰に

煙草を吸う人が携帯した品には、煙管(きせる)や煙管入れ、葉を入れる袋を組み合わせた一式がありました。帯から下げ、根付という留め具で支える仕組みです。喫煙具のセットは持ち運ぶ実用品でありながら粋なおしゃれの品でもありました。この一式には能面の意匠が使われ、根付はTadatsuguの作とされています。旅専用品ではありませんが、外出に携える品の作りを見ると、着物姿で物を収める工夫がよくわかります。
画像・参考:The Walters Art Museum「Smoking Set with Noh Masks」(18~19世紀、根付:Tadatsugu)。画像掲載元:Wikimedia Commons。写真:The Walters Art Museum/CC0 1.0
10.丸子でとろろ汁

東海道の丸子(まりこ)宿では、自然薯を使った料理が名物として知られていました。宿場や寺社には旅人の心を引く名物が生まれ、食事も旅の楽しみになっていたのです。すりおろした自然薯の料理は江戸時代の旅と深く結び付いた土地の味でした。広重の「鞠子 名物茶店」には、茶店で食事をする人々が描かれています。大きな景勝地ではなく、食事の場そのものが一枚の主題になっているところに、街道の名物の存在感が表れています。
画像:歌川広重「鞠子 名物茶店」/ボストン美術館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:静岡市「東海道と旅」
11.馬は宿場で交代

街道の馬は、出発地から目的地まで同じ個体がずっと運ぶ仕組みではありませんでした。伝馬(てんま)制度では、馬や人足が人と荷物を隣の宿場まで運び、そこで引き継ぎます。当時の街道輸送は拠点ごとにつないで運ぶリレー方式だったのです。公用の輸送だけでなく、私用の旅人も料金を払って利用できました。「藤枝」を今度は荷物と働く人に注目して見ると、宿場が泊まる場所であると同時に、運ぶ仕事の拠点だったと理解できます。
画像:歌川広重「藤枝」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:四日市市立博物館「東海道伝馬制度」
12.箱根は山越えの道

東海道の旅は、平らな道を歩くだけでは済みませんでした。箱根をはじめ、薩埵(さった)、宇津ノ谷、小夜の中山、鈴鹿などの険しい峠を越える必要があります。街道をたどることはいくつもの急峻な峠道を乗り越えることでもあったのです。広重の「箱根 湖水図」では、山が大きくそびえ、道を行く人々は小さく描かれています。これは絵としての構図ですが、山と人物の大きさの対比を見ると、歩いて越える旅の難所が強く印象に残ります。
画像:歌川広重「箱根 湖水図」/ボストン美術館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:国立国会図書館「東海道の難所をめぐる」
13.川の切符は変動制

大井川を渡る旅人は、「川札」という札を買って川越人足を雇いました。その値段は一定ではなく、毎朝の水深と川幅によって決められ、当日の料金が掲示されました。渡河の料金はその日の水かさや川の状態に応じて変わる仕組みだったのです。川札には防水のため油を染み込ませ、人足は髷や鉢巻に結び付けました。「島田」の広い水面を眺めると、渡り方だけでなく、深さを測って料金を定める仕事まで必要だったことが見えてきます。
画像:歌川広重「島田」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:島田市博物館「川越制度」
14.絞り染めをお土産に

旅の記念品は、食べ物ばかりではありません。有松では、東海道を往来する旅人向けの品として布の染め物が考案され、町もその商いとともに発展しました。有松の伝統工芸は街道を行き交う旅人を相手に育った名産品だったのです。広重の「鳴海 名物有松絞」では、店と街道の往来が同じ画面に描かれています。買い物の場所を素通りする人もいる風景を見ると、名物の販売が旅の道筋に組み込まれていたことが具体的に想像できます。
画像:歌川広重「鳴海 名物有松絞」/ボストン美術館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:名古屋市「有松の町並み」
15.本陣は特別な宿

大名や公家が泊まる施設は、一般の旅人向けの旅籠とは違う場所でした。宿場の有力者の家などが使われ、食事や風呂の用意を宿泊する側が行う場合もありました。身分が高い人向けの施設は食事付きというより宿泊の場所を提供する性格を持っていたのです。広重の「関」には、早朝に出発する準備が描かれています。幕や立て札、支度する人々を追うと、泊まった人だけでなく、大勢の働き手が旅を支えていたと感じられます。
画像:歌川広重「関」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:四日市市立博物館「本陣」、東京富士美術館「関 本陣早立」
16.旅籠は食事も提供

街道の一般的な宿には、夕食と朝食を出すものがありました。一方、自炊用の薪代を払うより安い木賃宿という選択肢もあり、泊まり方は一種類ではありません。庶民向けの宿では寝る場所と朝夕の温かい料理を一緒に確保できたのです。宿代やサービスは時期や場所によって違うため、江戸時代全体を同じ料金では語れません。広重の「赤坂」は宿の内部を描いた作品で、街道の風景から室内へ目を移すと、移動の合間の暮らしにも興味が広がります。
画像:歌川広重「赤坂」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:四日市市立博物館「旅籠の種類」
17.街道にも船の区間

東海道は、ずっと陸の上を歩いて進むルートではありませんでした。品川と川崎の間では六郷川、現在の多摩川下流を渡し船で越え、ほかにも水上を行く場所がありました。徒歩を基本とする街道旅行には水上交通で移動するルートも組み込まれていたのです。広重の「川崎 六郷渡舟」は、その渡しを題材にしています。船と両岸を一緒に見ると、川が宿場間の道を区切っていたことがわかります。人に担がれる大井川とは違う、水辺の越え方です。
画像:歌川広重「川崎 六郷渡舟」/大英博物館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:国立国会図書館「東海道の難所をめぐる」
18.お参りが旅の目的

江戸時代の移動では、神社や寺への参詣が大きな理由になりました。そうした関心は、全国の神社を集めた遊びの絵にも表れています。貞秀の『大日本神社双六』は、関東三社から出発し、伊勢神宮の内宮を上がりにしたものです。寺社参詣への強い憧れは家で遊ぶ双六の題材にも取り込まれたのです。実際の旅程をそのまま再現した地図ではありませんが、並ぶ神社の名前を追うと、どこへ行きたいと思ったのかを考える手掛かりになります。
画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/貞秀「大日本神社双六」。参考:静岡市「東海道と旅」
19.道端にも休憩茶屋

旅人が休む店は、立派な建物ばかりではありませんでした。広重の「袋井」に描かれる出茶屋は、葦簀(よしず)などを使った簡素な造りです。かまどで火を起こし、木の枝から下げた薬缶で湯を沸かしています。街道沿いの簡素な店も旅人の一息つく時間を支える大切な場所でした。街道には人足の休憩所として定められた「立場(たてば)」もあり、一般の旅人が利用する茶店もありました。湯を沸かす細部に、休憩を提供する仕事が見えます。
画像:歌川広重「袋井」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:東京富士美術館「袋井 出茶屋ノ図」、四日市市立博物館「立場」
20.宿の札に制作陣

広重の「御油」は、客引きだけでなく、右側の建物の壁にも注目です。そこには講中札という、団体の指定を示すような木札が下がっています。この絵ではその木札を利用し、絵師や彫師、摺師、版元などの名を表示しました。風景画の建物の中に浮世絵を仕上げた関係者たちが名前で登場しているのです。これは絵の仕掛けであり、実際の宿泊団体名をそのまま写したものではありません。人物から壁へ視線を移すだけで、別の楽しみが見つかります。
画像:歌川広重「御油 旅人留女」/ボストン美術館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:たばこと塩の博物館「東海道五拾三次之内 御油」
21.歩く人と駕籠の人

江戸時代の街道では、自分の足で進む人だけでなく、馬や乗り物を利用する人も行き交いました。広重の「三島 朝霧」には、それぞれの移動する姿が同じ画面に登場します。一枚の風景画の中にも多様な移動スタイルが共存しているのです。乗り物には担いで運ぶ人が必要で、利用は人の働きに支えられていました。背景の建物や木は青や灰色で表され、霧を感じさせます。乗る人と運ぶ人を見比べると、朝の道中が具体的に見えてきます。
画像:歌川広重「三島 朝霧」/メトロポリタン美術館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:メトロポリタン美術館「Mishima, Asa Kiri」
22.町で富士山に登る

本物の山へ行けない人のため、江戸の各地には「富士塚」が造られました。実際の溶岩を運んで築いた小さな山で、遠くから拝む場所や代理登山の場所という性格がありました。遠い霊峰への信仰を身近な生活圏の中で体験できるスポットだったのです。目黒の新富士もその一つで、広重は「目黒新富士」に描きました。高い山へ向かう旅とは規模が違っても、登る場所を身近に用意する発想には、現地へ行きたい気持ちが表れています。
画像:歌川広重「名所江戸百景 目黒新富士」/ボストン美術館由来、Wikimedia Commons(1857年。パブリックドメイン)。参考:国立国会図書館「富士登山と富士塚」
23.笠が飛ぶ街道の風

広重の「四日市 三重川」には、突風で吹き飛ばされた被り物を追う人物が描かれています。空気の流れには形がありませんが、柳の枝や人物の動きによって、強さが伝わるように表現されています。目に見えない自然の猛威を転がる持ち物と揺れる木々で巧みに表現しているのです。右側では別の旅人が慎重に歩いており、同じ天候への反応も対照的です。景色の中の小さな持ち物が、移動の苦労と絵のユーモアを同時に伝えています。
画像:歌川広重「四日市 三重川」/ボストン美術館由来、Wikimedia Commons(1833~35年頃。パブリックドメイン)。参考:東京富士美術館「四日市 三重川」、四日市市立博物館「旅装束」
24.印籠は薬の入れ物

時代劇でも知られるこの小箱は、常備薬を入れて腰から下げる容器として使われました。豪華な装飾を備えたものもあり、江戸時代にはおしゃれを楽しむ品にもなりました。実用的な携帯用の救急ケースと粋な装身具という二つの役割を持っていたのです。画像の品は四段に分かれ、赤い漆に松竹梅が表されています。19世紀の作で、所蔵館は時代を江戸・明治と記載しています。この品の旅での使用歴は不明ですが、携帯容器の構造を見る資料になります。
画像:The Walters Art Museum「Inro with the Three Friends of Winter」(作者不詳、19世紀〔江戸・明治〕)。画像掲載元:Wikimedia Commons。写真:The Walters Art Museum/CC0 1.0。参考:九州国立博物館「江戸の粋、印籠」
25.旅小説がゲームに

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が流行すると、その内容を取り入れた双六も作られました。広重の『浮世道中膝栗毛滑稽双六』では、物語の場面がマスに描かれ、出発地も日本橋ではなく、主人公たちが住む神田八丁堀になっています。大人気の物語の世界をコマを動かす盤上の遊びでも楽しめたのです。各場面は物語に結び付いた絵で、実際の旅人の行動記録ではありません。知っている話を探しながら眺める楽しみがある一枚です。
画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/一立斎広重「浮世道中膝栗毛滑稽双六」(1855年)
26.上がりのない道中

旅を描く双六にも、目的地で終わらないものがあります。北斎が描いた『鎌倉江嶋大山新板往来双六』は、日本橋から近郊の名所を巡り、再び日本橋へ戻る構成です。出発地へ無事に帰着するまでの往復ルート全体が盤面になっているのが特徴です。鎌倉の大仏や七里ガ浜、大山などが描かれ、次の場所までの距離も記されています。遊びの盤面でありながら、道中案内のような面もありました。コマの道筋を追うと、帰り道まで含む旅の形が見えてきます。
画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/柳亭種彦撰・葛飾北斎画「鎌倉江嶋大山新板往来双六」
27.名物菓子まで旅する

東海道の名物は、食べるだけでなく物語の登場人物にもなりました。高力種信の『きつひむだ枕春の目覚』では、『東街便覧図略』の完成を祝うため、そこに登場する名物たちが作者のもとへ集まります。安倍川餅や蕨餅などが手足を持って人のように移動するユニークな物語なのです。作品は1796年の黄表紙で、画像は後世の収録本からのものです。名物を擬人化した挿絵を見ると、土地の食べ物が笑いの題材にもなったとわかります。
画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/高力種信「きつひむだ枕春の目覚」(原作品1796年、画像は後世の『駿遠豆叢書』第3編収録版)
28.紙の上で伊勢経由

遠くへの旅が難しい人にも、旅気分を楽しむ遊びがありました。道中双六です。広重の『参宮上京道中一覧双六』は、日本橋を出発し、お伊勢参りをしてから京都へ向かう構成になっています。家にいながら鳥瞰図の盤面をたどって長距離の旅行気分を味わえたのです。この作品はマスを整然と並べず、全体をパノラマのように描いています。中央の富士山と各地の位置関係は実際の地理とは異なりますが、その大胆な構図も楽しみの一つです。
画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/歌川広重「参宮上京道中一覧双六」(1857年)。資料:国立国会図書館デジタルコレクション
29.軽い絵をお土産に

江戸の記念品として浮世絵が喜ばれた理由には、美しさだけでなく、折り畳んで運べることもありました。自分で荷物を持つ旅では、持ち帰りやすさも大切です。一枚の紙に摺られた木版画はかさばらずに持ち帰れる絶好の品になりました。ここに掲げた「原」は後世の復刻版ですが、富士山と旅人を一枚に収めた名所絵の魅力を楽しめます。旅装束に注目したときとは別に、今度は「この景色を持ち帰る」と考えてみると身近さが感じられます。
画像:歌川広重「原」/Wikimedia Commons(原図1833~34年頃、高見澤の小型復刻版。パブリックドメイン)。参考:四日市市立博物館「旅装束」
30.季節で名所を選ぶ

江戸の行楽地を描く絵には、場所と時期を組み合わせたものもありました。歌川国安の『江戸名所四季遊参双六』には、「上野のさくら」や「隅田川の月」などが登場します。お出かけの楽しみは行き先だけでなく四季折々の風物詩とも深く結び付いていたのです。この双六は日本橋から浅草へ進み、途中には一回休みの仕掛けもあります。絵に添えられた名前を読むと、花や月を目当てに出掛けたくなる気持ちが、ぐっと身近に感じられます。
画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/歌川国安「江戸名所四季遊参双六」
まとめ
江戸時代の旅は、景色を眺めながら歩くだけではありませんでした。足元や雨具に気を配り、川では担ぎ手を頼み、宿場では馬や荷物を引き継ぎます。その道中には、名物を味わう茶店や持ち帰りたくなるお土産など現代にも通じる旅の楽しみがたくさんありました。浮世絵を見るときは、大きな山や川から、人物の服装、店の入口、壁の札へと視線を移してみてください。
同じ一枚の絵の中にも、視点を変えるだけでまったく違う発見が隠れています。絵の演出と実際の制度を区別しながら眺めると、歴史画像がいっそう面白くなります。次に旅行の荷物を軽くしたり、土地の名物を選んだりするとき、街道を歩いた昔の旅人たちの知恵や工夫を少し思い出してみるのもよさそうです。
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