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大正時代の雑学13選~新聞や雑誌の面白い豆知識と出来事~

大正時代雑学

新聞の風刺漫画で政治を笑ったり、雑誌の相談欄で化粧の悩みを解決したり。大正時代の新聞・雑誌を開いてみると、教科書に載っている難しいニュースだけではない、当時の暮らしに寄り添った身近な話題がたくさん見つかります。見出しや挿絵には、読者を振り向かせるためのユニークな工夫も詰まっていました。

この記事では、当時の新聞記事や雑誌の表紙、風刺漫画を眺めながら、紙面と世論のつながりがわかる面白い豆知識をご紹介します。政党をお店に見立てた絵から、震災後に人気を集めた四コマ漫画まで、実際の画像と一緒に大正の読み物を楽しんでみましょう。

※紹介する資料は、それぞれの新聞・雑誌の立場や表現を示すものです。風刺漫画は創作であり、当時の人々全員の考えや生活をそのまま表した記録ではありません。

 

1.政党がお店になった

政党を店に見立て、立憲政治の本家争いを描いた『東京パック』の風刺漫画「羊頭を掲げて狗肉を売る」

政党同士の激しい争いを、お店の呼び込み合戦に置き換えたユニークな風刺漫画がありました。1913年の『東京パック』に載ったこの絵では、「政党」を「政糖」に言い換えて、それぞれのお店が「立憲政治」の本家を名乗っています。桂太郎の新党を表す「桂屋」には客が寄り付かず、巡査が強引に勧誘している様子が描かれています。看板だけ立派でも中身が伴わないという皮肉を、店先の競争に見立てて楽しく読ませる工夫が光りますね。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/筆者不詳「羊頭を掲げて狗肉を売る」『東京パック』9巻5号、1913年2月10日

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2.米俵で値上がりを描く

警官が米の仲買人をにらむ一方、背後で米俵が丘を登る北沢楽天の風刺漫画「この上にあげるべからず」

物価の上昇を、文字ではなく「上へ登っていく米俵」で表現した漫画です。北沢楽天が1918年5月に『時事新報』へ描いたこの絵では、警官が仲買人をにらみつける背後で、米俵がどんどん丘を登っていきます。政府が取り締まる姿勢を見せてもお米の値段は上がり続ける、という鋭い批判でした。この年は買い占めなどを背景に米価が高騰し、夏には全国で米騒動が広がります。食卓に欠かせないお米の問題が、政治への不満を伝える題材にもなっていたのですね。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/北沢楽天「この上にあげるべからず」『時事新報』1918年5月4日

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3.映画好きの学生が創刊

1920年ごろに発行された映画雑誌『キネマ旬報』第22号

現在も続く歴史ある映画雑誌『キネマ旬報』を始めたのは、実は大きな出版社ではありませんでした。1919年、映画がまだ「活動写真」と呼ばれていた時代に、田中三郎ら4人の若き学生たちが集まって創刊したのです。画像は創刊号ではなく、1920年ごろの第22号です。1923年の関東大震災で大きな被害を受けた後も、関西へ拠点を移して粘り強く刊行を続けました。映画をただ観るだけでなく、語り合って評価する文化がこの雑誌から育っていきました。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/『キネマ旬報』第22号、1920年ごろ

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4.歌舞伎座で政治集会

1912年12月19日に歌舞伎座で開かれた憲政擁護大会を伝える『東京朝日新聞』の記事

華やかな芝居の舞台である歌舞伎座ですが、当時は大きな政治の集会にも使われていました。1912年12月19日、桂太郎の組閣に反対する「憲政擁護大会」が開かれ、尾崎行雄らが熱い演説を行っています。そこで発言したのは政治家だけではありません。『大阪朝日新聞』の記者である本多精一も舞台に登壇し、集まった人々に運動の目的を説明しました。当時の新聞人は会場の外で記事を書くだけでなく、政治運動に直接関わる熱い存在でもあったのです。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/「憲政擁護大会」『東京朝日新聞』1912年12月20日朝刊

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5.民本主義は雑誌から

『中央公論』1916年1月号に掲載された吉野作造の論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」

大正デモクラシーを語るときに必ず登場する「民本主義」という言葉は、総合雑誌の論文を通じて世の中に広まりました。吉野作造が1916年1月の『中央公論』に発表したのが、この長い題名の論文です。主権が誰にあるかを問う「民主主義」と区別し、政治は民衆の利益と意思を一番に尊重するべきだと説きました。学者の難しい議論が大学の中にとどまらず、一般の読者が手に取る雑誌へ載ったことで、新しい政治の考え方が社会全体へと届いていったのです。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/吉野作造「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」『中央公論』1916年1月号

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6.雑誌の表紙に労働歌

賀川豊彦作の「労働歌」を掲載した『労働』1920年1月号の表紙

当時の雑誌の表紙を飾っていたのは、美しい人物写真やイラストだけではありません。1920年1月の『労働』には、社会運動家の賀川豊彦が作った歌詞が大きく掲載されています。「眼ざめよ日本の労働者」という力強いフレーズで始まり、古い因習を打ち破るよう呼びかける歌です。この雑誌は労働組織・友愛会の機関誌で、『労働及産業』から誌名を変えた最初の号でした。三番まである歌詞を表紙の真ん中に置くことで、働く人々へのメッセージを雑誌の顔として示していたのですね。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/『労働』9巻1号、1920年1月、表紙掲載「労働歌」賀川豊彦作

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7.政治家の自伝を予告

尾崎行雄の自叙伝「学堂政戦史」の連載を予告する『大阪毎日新聞』1913年4月5日の記事

人気の政治家は、新聞の連載読み物としても多くの読者を引き付けていました。1913年の『大阪毎日新聞』は、尾崎行雄のこれまでの歩みを振り返る「学堂政戦史」を予告し、「近来の一大読物」と大きく宣伝しています。護憲運動で高まった圧倒的な名声が、新聞連載の最大の売り文句になったのです。画像は連載の本文ではなく、始まる前の予告記事です。当時の読者に何を「読みたい」と思わせたのか、熱のこもった宣伝の言葉からも時代の空気が伝わってきます。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/「学堂政戦史」連載予告『大阪毎日新聞』1913年4月5日朝刊

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8.へちまから社会批判へ

堺利彦が編集・発行した雑誌『新社会』第8号、1916年4月の表紙

社会運動家の堺利彦が出していた雑誌には、もともと植物の名前を使った『へちまの花』というユニークな題名が付いていました。厳しい取り締まりを意識して政治的な内容を避ける慎重な編集から、1915年9月には『新社会』へと名前を変え、正面から時代を問う姿勢を鮮明にしていきます。画像は翌年4月の第8号の表紙で、大隈内閣への期待が「空頼み」だったと厳しく論じています。柔らかくユーモラスな誌名から力強い誌名への変化には、言論をめぐる時代の動きが重なっていました。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/堺利彦編集・発行『新社会』第8号、1916年4月

 

9.新聞人への勲章が波紋

黒岩涙香ら新聞人への叙勲を伝える『東京朝日新聞』1915年11月11日の記事「叙勲の御沙汰」

政府を厳しく論評するはずのジャーナリストが、政府から名誉ある賞を受ける。その距離感が大きな問題になったこともありました。1915年、大隈内閣は黒岩涙香や村山龍平、本山彦一、徳富猪一郎らに叙勲を行います。これに対し、政治家の原敬は政権を支える言論人への露骨な優遇だと厳しく批判し、日記にも強い不満を書き残しました。叙勲を伝えた新聞記事と原の日記を合わせて読むと、メディアと政治の近さを当時の人々も問題視していたことがよくわかります。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/「叙勲の御沙汰」『東京朝日新聞』1915年11月11日朝刊、および『原敬日記』の紹介

 

10.漫画記者が団体を結成

岡本一平の著書『世界一周の絵手紙』1924年刊に掲載された自画像

新聞にイラストや風刺画を描く人たちは、大正時代に一つの専門職としての存在感を高めていきました。芸術家・岡本太郎の父としても知られる岡本一平は、1912年に朝日新聞社へ入り、絵にしゃれた文章を添える「漫画漫文」という新しい表現スタイルを育てます。さらに1915年には各社の仲間たちに呼びかけて「東京漫画会」を立ち上げました。紙面に作品を載せるだけでなく、グループでの活動を通して「漫画家」という魅力的な仕事を広く社会へアピールしたのです。

画像:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/岡本一平「一平自画像」『世界一周の絵手紙』磯部甲陽堂、1924年。参考:たましん美術館「日本漫画会 最近三十年史図絵」

 

11.選挙の仕組みを漫画に

青年と老人の一票を描き、選挙資格制限の撤廃を説明した岡本一平の漫画「普選案早わかり」

新しく始まる普通選挙のルールも、新聞のイラストを使ってわかりやすく解説されました。岡本一平は1925年の『朝日新聞』に「普選案早わかり」と題した10作品を発表しています。この絵では、若い青年と多くの税金を納めた裕福な老人が並んで描かれており、納める税金や財産の違いにかかわらず一票の重みはまったく同じだと説明しています。お餅の数で年齢を、服装で財産を表す工夫が面白いですね。ただし、この時の対象は原則25歳以上の男性のみで、女性の参政権はまだ先のことでした。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/岡本一平「普選案早わかり」『朝日新聞』東京、1925年1月1日

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12.化粧の悩みを雑誌へ

クリームと白粉の相性について読者が質問した『主婦之友』1920年10月号の美容相談欄

大正時代の婦人雑誌には、読者の疑問に専門家が丁寧に答える美容相談のコーナーが設けられていました。1920年の『主婦之友』では、横浜に住む読者が海外製のクリームと白粉(おしろい)の相性について質問しています。日本の伝統的な水白粉や練白粉にもなじむ下地クリームはないか、というとても具体的な悩みでした。新しい洋風の化粧品が次々と入ってきても、上手な使い方まではすぐには広まりません。試行錯誤しながらモダンな化粧法を取り入れようとする女性たちの熱心な姿が浮かび上がります。

画像・参考:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/『主婦之友』4巻10号、1920年10月、美容相談欄

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13.四コマが日々の楽しみ

仕事が見つからない社会状況をユーモラスに描いた麻生豊の「ノンキナトウサン」1925年6月30日掲載分

今の新聞でもおなじみの連載漫画を定着させた大ヒット作が、麻生豊の「ノンキナトウサン」です。1923年4月に『報知新聞』へ登場し、関東大震災後の11月からは夕刊の一面で毎日連載されるようになりました。仕事を失っても明るく陽気にふるまう主人公の姿が被災した多くの読者の心をつかみ、「ノントウ」という愛称まで大流行しました。画像は1925年の掲載分で、不況で仕事が見つからない世相をユーモラスに描いています。暗いニュースが多い時代にも、人々を笑顔にする小さな枠が紙面で待っていたのですね。

画像:出典:国立国会図書館「本の万華鏡」/麻生豊「ノンキナトウサン」『報知新聞』1925年6月30日夕刊。参考:大分県立歴史博物館「『ノンキナトウサン』について」

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まとめ

大正時代の新聞・雑誌は、ただ世の中の出来事を知らせるだけの硬いメディアではありませんでした。政治への不満をお店や米俵のイラストに置き換えたり、新しい選挙の仕組みを漫画で解説したり、さらには毎日のメイクの悩みに答えたりと、読者の関心や暮らしに寄り添う多彩な工夫が凝らされていたのですね。

一方で、新聞記者が自ら政治運動の舞台に立ったり、政府との距離感が議論になったりと、紙面の裏側にある人間模様も見逃せません。もし博物館や図書館で古い新聞・雑誌を見る機会があれば、大きな事件の見出しだけでなく、隅にある四コマ漫画や相談欄にもぜひ注目して、当時の人々が何に笑い、何を楽しみにしていたのか誰かに話してみてくださいね。

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