サーカスと聞くと、空中で宙返りする人や、華やかな衣装の芸人を思い浮かべますよね。幕末・明治の日本でも、外国から来た一座や日本の軽業師が人々を驚かせていました。その姿を伝える錦絵には、馬上の曲芸から身近な遊びにつながるものまで、さまざまな見どころがあります。
今回は、当時の錦絵を中心に、海外で活動した日本の芸人の図版も交えて幕末・明治のサーカスや軽業にまつわる面白い豆知識を紹介します。人の姿だけでなく、作品の題名や動物、遊び方にも注目してみましょう。なお、錦絵には演出もあり、公演を写真のように正確に記録したものとは限りません。
1.旅券第1号は曲芸師

日本の政府が発行した記念すべき最初のパスポートを受け取ったのは、曲芸団を率いて海を渡った隅田川浪五郎でした。幕府が発給したのは1866年のことです。浪五郎は「日本帝国一座」を率い、パリ万博を目指してまず米国へ渡りました。当時の書面には顔写真ではなく、「鼻高キ方」「面細長方」といった人相の説明が記されています。画像は翌1867年のパリ万博に関連する一座のはしご芸の図版で、日本の芸も世界へ羽ばたいていました。
画像:Wikimedia Commons/フランス国立図書館由来「Japanese acrobat in Paris Expo 1867」(作者不詳)、パブリックドメイン。参考:外務省「外交史料 Q&A その他」旅券第1号。
2.西洋サーカスは横浜から

日本に海外の曲馬団がやってきたのは、まだ江戸時代のことでした。1864年、アメリカのリズリー一座が外国人居留地で興行を行い、大きな話題を呼びました。馬の曲芸だけでなく、玉乗りや鉄棒なども披露しています。一方、日本にもそれ以前から馬を使う伝統芸があり、外国の一座によって初めて馬の芸を知ったわけではありません。歌川芳虎の錦絵は、馬を荷運びの相棒とは違う舞台の主役として描いた一枚です。
画像:メトロポリタン美術館/歌川芳虎「Acrobats from Central India Performing」(馬上軽業、1864年)、CC0 1.0。参考:国立国会図書館「馬、大活躍!」、馬事文化財団「サーカスがやってきた」。
3.軽業にも人気スター

幕末には、外国の曲馬団だけでなく日本の芸人にも大勢のファンを惹きつける人物がいました。その代表格が、大坂で評判になり江戸でも活躍した早竹虎吉(はやたけとらきち)です。得意芸には、能や歌舞伎の獅子物「石橋(しゃっきょう)」を曲芸にしたものがあり、支えた竿の先に子ども二人を乗せる大技が紹介されています。画像は歌川国芳が1857年に描いた「江戸の花」で、当時の注目ぶりがよく表れています。
画像:Wikimedia Commons/歌川国芳「早竹虎吉『江戸の花』」(1857年)、パブリックドメイン。参考:文化遺産オンライン「早竹虎吉」解説。
4.ナイフまで曲芸の道具

お手玉のように物を操る演目でも、錦絵に描かれたアイテムは丸い玉だけではありません。歌川芳虎の1864年の作品には、刃物を投げ上げる技と身体を使った軽業が生き生きと描かれています。横浜の外国人の芸を題材とする絵の一つで、馬上軽業とは違ったスリルと緊張感を伝える画題です。ただし、この絵から刃の鋭さや実際の手順まで断定することはできません。馬を見る絵と手元の技を見る絵では印象も変わります。
画像・参考:Wikimedia Commons/歌川芳虎「Acrobats from Central India Performing[Knife Juggling and Tumbling]」(1864年)、メトロポリタン美術館所蔵、CC0 1.0。
5.お寺の境内でサーカス

海外の一座の公演を見る場所は、港町の居留地だけではありませんでした。1871年に来日したフランスのスリエ曲馬団は、庶民に馴染み深い浅草などでも興行しています。当時の様子を伝える錦絵には、ずばり「浅草寺境内ニテフランス大曲馬」という題名が付けられました。参拝の場が外国の曲芸を楽しむ空間にもなっていたことが伝わります。当時の西洋曲馬団は、京都や新潟などでも公演の記録があり、各地を巡業していました。
画像:出典:国立国会図書館「浅草寺境内ニテフランス大曲馬」(広重・門人重増、1871年)、著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館「馬、大活躍!」、馬事文化財団「サーカスがやってきた」。
6.天皇もサーカスを観覧

海外からやってきた一座は街の人々を楽しませただけでなく、吹上御苑で「天覧」の栄誉に浴する機会も得ました。1886年に日本中で大人気を集めたチャリネ一座は、同年11月1日に特別な公演を行っています。その出来事を題材とするのが、楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)の「チャリ子大曲馬御遊覧の図」です。街での巡業と皇居での公演の両方があったことを知ると、華やかな題名の「御遊覧」もぐっと具体的な言葉に見えてきます。
画像:出典:国立国会図書館/楊洲周延「チャリ子大曲馬御遊覧の図」(1886年、三枚続のうち一枚)、著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館月報618号「世界第一チャリ子大曲馬廻り寿語六」(2~3頁)、馬事文化財団「サーカスがやってきた」。
7.サーカスを「チャリネ」

明治の人がこの言葉を口にしたとき、特定の一座の名前だけを指すとは限りません。興行があまりにも大評判となったため、西洋の曲馬団そのものを指す代名詞として定着したのです。もとの名前はイタリアの曲馬団「Chiarini」で、本来の発音はキアリーニに近いものでした。画像は1886年の双六を入れる袋で、「チャリ子」という表記も同じ一座を指します。錦絵の題名にある「子」は「こ」ではなく「ネ」と読みます。
画像:出典:国立国会図書館/楊洲周延「世界第一チャリ子大曲馬廻り寿語六袋」(1886年)、著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館月報618号「世界第一チャリ子大曲馬廻り寿語六」(2~3頁)。
8.動物園も一緒に来た

チャリネ一座の呼び物は、馬や人の華麗な曲芸だけではありませんでした。曲馬のほかに「獣苑」も開設し、象や虎、獅子、大蛇といった珍しい生き物たちを公開したのです。1886年の公演を題材とする双六にも、それらの姿が生き生きと描かれています。当時の上野動物園にはまだ外国産の生き物が少なく、猛獣の芸も大きな注目を集めました。身体の大きさも姿も違う生き物が並び、見どころの多さが伝わってきます。
画像:出典:国立国会図書館/楊洲周延「世界第一チャリ子大曲馬廻り寿語六」(1886年)、著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館月報618号「世界第一チャリ子大曲馬廻り寿語六」(2~3頁)。
9.家でもサーカス気分

迫力満点の演目は、会場で見るだけでなく双六のマスになって紙の上でも遊ばれていました。先ほどの絵を、今度はゲームの盤面として見てみましょう。1886年のこの双六は五枚の紙を接いだ大判で、円形の並びを曲馬の舞台に見立てています。四隅には観客や楽隊、中央の「上り」には団体馬術が配置されています。ただし、舞台の進行をそのまま写したのではなく、遊びとして楽しく組み直した一枚です。
画像:出典:国立国会図書館/楊洲周延「世界第一チャリ子大曲馬廻り寿語六」(1886年)、著作権保護期間満了。参考:国立国会図書館月報618号「世界第一チャリ子大曲馬廻り寿語六」(2~3頁)。
まとめ
幕末・明治のサーカスと軽業には、海を渡る芸人、馬やナイフを使う曲芸、お寺の境内での公演など、さまざまな顔がありました。外国の一座が来る一方で、日本の軽業師も海外へ向かっていたところに、芸を通じた行き来の面白さがあります。
錦絵は、技の姿だけでなく、一座の呼び名や公演の場所、遊びとしての楽しみ方まで伝えてくれます。次にサーカスを見たり、双六で遊んだりするときは、明治にも舞台を紙の上で楽しむ遊びがあったことを思い出してみてください。昔の見世物が、少し身近な娯楽に感じられるはずです。
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