「大人になりました」と周りに知らせるには、何をすればよいのでしょうか。現代の成人式といえば振袖やスーツでお祝いするのが定番ですが、昔の成人の儀式には、髪を切る・冠をかぶる・着物を仕立て直すなど見た目を変える風習がたくさんありました。なかには、子どものお守りを外したり、一人前の店員として給金をもらうようになったりするユニークな節目もあります。
今回は、浮世絵や古書の挿絵、昔の写真、古代の装身具を眺めながら、日本と世界の成人にまつわる面白い豆知識や歴史の由来を楽しみましょう。時代や身分、地域によって異なる「大人になることに込められた意味」を知ると、古い絵の中の髪型や着物の袖にも思わず注目したくなりますよ。
※日本の歴史上の年齢は、参照資料の表記に合わせています。現在の満年齢と単純には比較できません。また、物語の挿絵は、実際の儀式をそのまま記録したものではありません。
1.桃太郎も髪型で成人

昔話でおなじみの桃太郎が大人になる場面を描いた本が、実は江戸時代にありました。1779年刊行の『桃太郎元服姿』では、桃太郎が頭の上部を剃る月代(さかやき)をつくり、大人の髷(まげ)へと結い直しています。当時の庶民男性の元服は、冠をかぶる代わりに「頭の形や結い方を変える簡略な儀式」が広まり、15~17歳ごろに行うのが一般的でした。挿絵でもおばあさんたちがその立派な姿を喜んでおり、見た目の変化が成長を知らせる大切な目印だったことがわかります。
画像・参考:国立国会図書館所蔵、市場通笑作・鳥居清長画『桃太郎元服姿』2巻(1779年)/国立国会図書館「本の万華鏡」第3章「庶民の成人」
2.お守りを外して成人

大人になるための儀式は、新しい物を身につけることばかりではありません。古代ローマの少年たちは、子どものころから首に下げていた護符入れ「ブルラ」を、成人の節目に外す習慣がありました。つまり、幼い日々を守ってくれた魔除けを手放すことが、無事に成長した証しだったのです。画像は紀元前3世紀のエトルリアで作られた金製のブルラです。なお、成人後も特別な機会に着用する場合があり、外したら二度と使わないという厳格な決まりではありませんでした。
画像:メトロポリタン美術館「Pendant, bulla (lentoid)」(紀元前3世紀、95.15.263)、CC0 1.0。参考:Cambridge School Classics Project「The bulla」/ハーバード美術館ブルラの解説
3.名前の一字をもらう

武家の元服では、幼名を改めて大人の諱(いみな)をつける際、儀式の後見役から一字をもらう慣習がありました。烏帽子(えぼし)をかぶせる後見役を「烏帽子親」、元服する若者を「烏帽子子」と呼びます。たとえば徳川家康は元服で「元信」と名乗りましたが、これは今川義元から「元」の字を与えられ、強い主従関係や後ろ盾を示したためです。画像は怪童丸(のちの坂田金時)の元服を描いた浮世絵で、大人として誰と結びつくかが非常に重要だったことが伝わってきます。
画像:国立国会図書館所蔵、朝桜楼国芳・一勇斎国芳「怪童丸烏帽子着之図」(江戸時代、錦絵3枚続)。参考:国立国会図書館「本の万華鏡」第2章「武家の成人」
4.腰を結ぶ役が重要

平安時代の公家社会において、女性の成人儀礼「裳着(もぎ)」では、下半身の後ろ側にまとわせる「裳」という衣服を初めて身につけました。この儀式で最も重視されたのが、裳のひもを結ぶ「腰結(こしゆい)」の役目です。一族の長老や時の権力者が務め、皇女の場合は天皇自身が結ぶこともありました。つまり、誰にひもを結んでもらうかが、そのまま実家の権勢や後ろ盾の大きさを表していたのです。画像は1654年刊『源氏物語』の挿絵で、将来の縁談にもつながる晴れの日の準備場面です。
画像:国立国会図書館所蔵、紫式部『源氏物語』10(八尾勘兵衛刊、1654年。挿絵作者は掲載解説では特定されていません)。参考:国立国会図書館「本の万華鏡」第1章「公家の成人」
5.五歳で元服した将軍

江戸幕府の4代将軍・徳川家綱は、なんとわずか5歳という幼さで元服を行いました。父である3代将軍・家光が病気がちだったため、幕府の跡継ぎの存在をいち早く全国の大名に知らせて、将軍家の安泰を図る政治的な狙いがあったのです。ただし、冠をかぶり名前を改めたからといって、すぐに身なりまで大人になったわけではありません。実際には16歳と19歳になってから段階的に頭髪や衣服を成人のものに改めており、儀式と身体の成長が別々に扱われることもありました。
画像:国立国会図書館「本の万華鏡」掲載の徳川家綱像。森末義彰・谷信一編『国史肖像集成』第2輯(1941年刊行本からの複製。原画の作者・制作年は展示解説では特定されていません)。参考:国立国会図書館第2章「武家の成人」
6.十三歳から宗教上の大人

ユダヤ教の伝統では、少年は13歳になると戒律を守る義務を負う「バル・ミツワー(戒律の子)」となり、一人前のメンバーとして認められます。会堂で聖書に関わる役目を担ったり、家族や友人と盛大に祝ったりしますが、実は「祝宴や儀式を行ったから大人になる」という仕組みではなく、年齢に達した時点で自動的に責任が生じるのが特徴です。画像はフランスの画家ブランドンが1865年に描いた作品で、厳かな空気の中に成長の喜びと誇らしさが表現されています。
画像:Édouard Brandon『Bar Mitzvah』、Wikimedia Commons(原出典:Sotheby's、パブリックドメイン)。制作年:作品記録(1865年)。参考:Jewish Museum London「Life Cycle: Coming of Age」/Chabad.org「Bar Mitzvah」
7.入れ墨も成長のしるし

かつてアイヌの女性が口の周りや手などに施していた伝統的な入れ墨(シヌイェ)には、美しさや魔除けだけでなく、大人の女性になったことを示す大切な意味がありました。一度にすべてを完成させるのではなく、幼少期から成長に合わせて少しずつ彫り進め、一人前の女性として結婚を迎える準備とも深く結びついていたのです。施術は祖母や母方のおばなどが担いました。画像は1906年刊行の書籍に掲載された肖像写真で、当時の習俗を伝える貴重な資料となっています。
画像:Joseph Denikerの著書『The races of man』(1906年)掲載図49、Wikimedia Commons(パブリックドメイン。写真撮影者・撮影年は確認資料では特定されていません)。参考:観光庁の多言語解説データベース「Tattoos」
8.武士の成人には弓も

鎌倉時代などの武家社会では、冠や名前を改めるだけでなく、実戦につながる武芸の技を示すことも成人の重要な一部でした。たとえば鎌倉幕府の3代将軍・源実朝が12歳で元服した際には、翌日に「弓始め」や、疾走する馬上から約12センチ四方の小さな的を射抜く「小笠懸(こかさがけ)」が催されています。画像は物語絵巻『男衾三郎絵詞』に描かれた笠懸の場面です。華やかな晴れ着に身を包むだけでなく、武士として求められる技能の披露にも成人の意味が表れていました。
画像:国立国会図書館所蔵『男衾三郎絵詞』写本(作者・書写年不明。原本は鎌倉時代成立)。資料解説:国立国会図書館「説話を題材とした絵巻」。史実の参考:「本の万華鏡」第2章「武家の成人」
9.冠の前にもう一つ

天皇や皇太子の元服では、大人の象徴である正式な冠をかぶせる前に、一時的に別の被り物を用いる独特のしきたりがありました。その被り物は「空頂黒幘(くうちょうこくさく)」と呼ばれ、髪を整えてこれをかぶせる役、取り外して理髪する役、最後に正式な冠を授ける役が厳密に分担されていたのです。空頂黒幘は天皇と皇太子にのみ使われ、親王以下の元服では用いられませんでした。画像は1840年の『冠帽図会』に描かれた図で、成人の道具一つにも身分の違いがあったことがうかがえます。
画像:国立国会図書館所蔵、松岡辰方『冠帽図会』(1840年)。参考:国立国会図書館「本の万華鏡」第1章「公家の成人」
10.元服で給金が出る

江戸時代の商家に奉公する丁稚(でっち)にとって、元服は単なるお祝いではなく、職場でのキャリアが上がる大きな転機でした。15~16歳ごろに「半元服」を迎えると店員の補助を任され、17~18歳で「本元服」を果たすと、一人前の「手代(てだい)」へと昇格して正式な給金や羽織の着用、さらには酒や煙草まで許されたといいます。画像は1736年の『諸商人世帯形気』でそろばんを学ぶ丁稚の姿です。当時の若者にとって、大人になることは商売のスキルと待遇を手にする瞬間でもありました。
画像:国立国会図書館所蔵、江島其磧『諸商人世帯形気』[2](1736年跋。挿絵作者は掲載解説では特定されていません)。参考:国立国会図書館「本の万華鏡」第3章「庶民の成人」
11.お歯黒にも儀式の親

かつて日本の女性が歯を黒く染めた「お歯黒(鉄漿・かね)」にも、成人儀礼として導いてくれる指南役が存在しました。「鉄漿親(かねおや)」と呼ばれる叔母や年配の女性が道具一式を贈り、液の作り方や染め方を丁寧に教えたのです。さらにユニークなのが、最初の儀式に使う液を「健康で夫婦仲のよい近隣7軒の家」から少しずつ分けてもらって集めたという風習です。画像は江戸時代の双六にある「元服」のマスで、大人の身だしなみを習うこと自体が幸せを願うお祝いになっていました。
画像:国立国会図書館所蔵、万亭応賀作・一陽斎豊国画『奥奉公二偏娘一代成人双六』(天保14~弘化4年、1843~1847年)の「元服」部分。参考:国立国会図書館「本の万華鏡」第3章「庶民の成人」
12.袖を短くして大人に

昔の成人の装いには、子ども用の長い振袖の袖丈を詰める「袖留(そでとめ)」という儀式があり、男女ともに行われていました。本来は袖を短くするだけでなく、風を通すために開いていた「脇の開口部(身八つ口)」もぴったりと縫いふさいでいたのです。しかし江戸時代後期に女性の帯が幅広くなると、脇を閉じたままでは帯が締めづらくなったため、大人の着物でも脇を開けたままにする形へと変化しました。1723年刊『百人女郎品定』の母娘を見比べると、袖の形に託された成長のサインがよくわかります。
画像:国立国会図書館所蔵、西川祐信画『百人女郎品定』2巻(1723年)、商人の妻と娘。参考:国立国会図書館「本の万華鏡」第3章「庶民の成人」
まとめ
昔の成人の儀式は、単に年齢を重ねたことを祝うイベントではありませんでした。髪型や名前を変える、衣服の袖を詰める、子どものお守りを外すなど、その一つひとつが「周囲に成長を知らせ、社会の中で新しい立場や責任を引き受ける大切な節目」になっていたのです。商家の給金や武家の主従関係のように、仕事や家督に直結していた点も興味深いですね。
また、5歳で元服を済ませて後から身なりを変えた将軍の例や、何段階にも分けて装いを整える風習など、大人になるステップも時代や地域によって実にさまざまでした。美術館や歴史の本で古い絵を見かけたときは、ぜひ人物の髪型や冠、着物の袖口に隠された「大人へのサイン」を探して、周りの人にも教えてあげてくださいね。
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