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大正時代の雑学30選~面白い出来事や文化・暮らしの豆知識~

大正時代雑学

わずか15年という短い期間でありながら、今なお多くの人を惹きつけてやまない大正時代。華やかな「大正ロマン」や「大正デモクラシー」という言葉を聞くと、どこかモダンでおしゃれなイメージが浮かびますよね。実はこの時代、私たちが現在当たり前のように楽しんでいる現代の生活文化やグルメのルーツが次々と誕生した、とってもエネルギッシュな変革期だったんです!

今回は、学校の授業や教科書ではなかなか教わらない面白い出来事から服装・暮らしの豆知識まで、思わず誰かに話したくなるエピソードをたっぷり30個ご紹介します。100年前の日本へタイムスリップした気分で、楽しく読んでみてくださいね!

 

1.なぜ15年と短い?

なぜ15年と短い?

明治や昭和と比べると、とても短く感じるこの時代。実は1912年7月30日から1926年12月25日までの、わずか14年と5ヶ月ほどしかありませんでした。短い理由のひとつは、当時の天皇が幼少期から病弱で、47歳という若さで崩御されたためです。ちなみに初年と最終年は明治・昭和と重なっているため、丸1年すべてがこの元号だったのは13年間だけなんですよ。

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2.元号の意外な由来

元号の意外な由来

この元号は、中国の古い書物である『易経』の中の一節から採られました。原文にある「大いに亨りて以て正し」という言葉がもとになっていて、天の道に従って政治が正しく行われるという素敵な願いが込められています。実は候補の中には「天興」や「興化」といった別の案もあったそうです。呼びやすくて明るく堂々とした響きの名前が選ばれたことで、時代の雰囲気もぐっと華やいだのかもしれませんね。

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3.三大洋食の誕生

三大洋食の誕生

みんなが大好きなカレーライス、コロッケ、とんかつ。実はこの3つ、当時「大正三大洋食」と呼ばれて大ブームになったメニューなんです!明治時代には高級すぎて庶民には手が届かなかった西洋料理が、日本人の口や財布に合うようにアレンジされて広まりました。特にコロッケは「今日もコロッケ、明日もコロッケ」という流行歌ができるほど大人気で、食卓の主役としてあっという間に定着したんですよ。

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4.カルピスの初恋味

カルピスの初恋味

1919年(大正8年)の七夕の日に発売された、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」。キャッチコピーの「初恋の味」は、創業者の三島海雲が友人である俳人のスタッフたちと相談して決めたフレーズです。甘酸っぱくて爽やかな味わいが、当時のモダンな若者たちの心をわしづかみにしました。ちなみに、おなじみの水玉模様のパッケージは七夕の天の川をイメージしてデザインされたもので、発売当初は青地に白い水玉だったんですよ。

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5.モガとモボの服装

モガとモボの服装

時代の後半になると、街には「モガ(モダンガール)」「モボ(モダンボーイ)」と呼ばれる最先端のファッションを楽しむ若者が登場しました。女性はそれまでの着物姿から一変し、膝丈のワンピースにクローシュ帽を被るスタイルや、黒髪をバッサリ切る断髪が大流行!男性も丸眼鏡に山高帽、太めのズボンにステッキを持つ洋装でおしゃれを競い合い、銀座などの大通りを颯爽と歩く姿が注目の的でした。

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6.職業婦人の活躍

職業婦人の活躍

女性の社会進出が一気に進んだのもこの時代の大きな特徴です。バスガイド、タイピスト、電話交換手、デパートの店員など、都市部で働く女性たちが新しい呼び名で注目されるようになりました。特にタイピストや電話交換手は、専門スキルが必要な花形のお仕事として大人気だったそうです。自分で働いてお給料をもらい、休日にカフェや映画館へ出かけるライフスタイルは、多くの若い女性たちの憧れの的でした。

 

7.当時の100円の価値

当時の100円の価値

現代の100円といえばジュース1本ほどの金額ですが、当時はとてつもない大金でした。時代や物価の変動によって少し幅はありますが、当時の1円が現在の約2,000円〜5,000円ほどにあたり、100円あれば現代の約20万〜50万円ほどの価値があったと言われています。ちなみに当時の小学校の先生の初任給が月に40円〜50円ほどだったので、百円札1枚でお給料の2ヶ月分以上になったというから驚きですね。

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8.平均寿命と身長

平均寿命と身長

当時の日本人の体格や寿命は、今と比べるとずいぶん違っていました。20歳前後の平均身長は男性が約160センチ、女性が約148センチほどで、現代より10センチ以上も小柄だったんです。また、乳幼児が病気で亡くなることが多かったため、統計上の平均寿命は男女ともに42〜43歳前後と非常に短いものでした。医療や栄養状態が良くなった現代がいかに恵まれているかがよく分かりますね。

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9.東京駅の開業秘話

東京駅の開業秘話

赤レンガが美しい東京駅がオープンしたのは、1914年(大正3年)のことです。建築家の辰野金吾が設計し、約6年半の歳月と莫大な費用をかけて完成しました。当時の人たちにとって、3階建ての巨大な洋風建築はまさに文明の象徴!開業日にはひと目見ようと大勢の人が押し寄せたそうです。のちに起きた関東大震災でもレンガ造りの駅舎はほとんど崩れなかったというから、当時の建築技術の高さには本当に脱帽ですね。

 

10.ラジオ放送の開始

ラジオ放送の開始

1925年(大正14年)、日本で初めての放送がスタートしました。記念すべき第一声は「アー、アー、聞こえますか」というマイクテストの言葉だったと言われています。当時の受信機は鉱石や真空管を使った高価なもので、しかも聴くには国への許可申請が必要でした。それでも、家にいながらニュースや音楽、落語が聴けるというのは魔法のような体験で、近所の人がお金持ちの家に集まって耳を傾ける光景があちこちで見られました。

 

11.宝塚歌劇団の船出

宝塚歌劇団の船出

華やかなステージで魅了する宝塚歌劇団も、実は1914年(大正3年)生まれです。阪急電鉄の創業者・小林一三が、温泉プールの集客のために作った「宝塚唱歌隊」がルーツなんですよ。なんと最初は室内プールが閉鎖されたため、その水槽の上に板を敷いて客席にし、脱衣所を舞台にして公演を行ったそうです。そんなユニークな場所からスタートした少女たちの舞台が、100年以上続くエンターテインメントに成長したなんてロマンがありますよね。

 

12.甲子園の熱狂

甲子園の熱狂

夏の風物詩である高校野球の全国大会が始まったのは、1915年(大正4年)のこと。最初は大阪の豊中グラウンドで開催され、白い袴に下駄を履いた応援団が駆けつけるなど、今とはちょっと違うレトロな雰囲気でした。あまりの人気ぶりに観客が入りきらなくなり、1924年(大正13年)に巨大な球場が建設されます。その年が十干十二支の60年に一度の縁起が良い年「甲子(きのえね)」だったことから、球場にその名がつけられたんですよ。

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13.箱根駅伝の始まり

箱根駅伝の始まり

お正月に欠かせない大学駅伝のビッグイベントも、1920年(大正9年)に第1回大会が開催されました。「世界に通用するマラソン選手を育てたい」というオリンピック選手・金栗四三らの熱い想いから企画されたものです。記念すべき最初の大会に参加したのは、早稲田、慶應、明治、東京高等師範(現在の筑波大)のわずか4校だけでした。当時の箱根の山道は舗装されておらず、選手たちは真っ暗な夜道を松明の明かりを頼りに走ったというから驚きですね。

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14.1円タクシー流行

1円タクシー流行

時代の末期から昭和初期にかけて、都市の交通手段として爆発的に増えたのが「円タク」です。これは市内ならどこまで乗っても料金が1円均一という、とっても分かりやすい仕組みの自動車でした。関東大震災で路面電車が大きな被害を受けたあと、フォード社などの安い外国車が大量に輸入されたことで一気に普及したんです。ただ、中にはメーターを使わずに値段交渉をする運転手もいて、乗る前にちょっとした駆け引きが必要だったそうですよ。

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15.カフェー文化の華

カフェー文化の華

当時の街で大人たちの社交場として大流行したのが「カフェー」です。今のコーヒーショップとは少し違い、洋酒や洋食を楽しみながら女給さんとおしゃべりをする、どちらかというとバーやレストランに近い場所でした。白いエプロンを着けた女性スタッフたちが接客するスタイルがウケて、作家や芸術家たちもこぞって通い詰めたそうです。店先にはカラフルなネオンサインが輝くようになり、夜の街をモダンに彩っていました。

 

16.文化住宅への憧れ

文化住宅への憧れ

都市部で働くサラリーマン家庭が増えると、住まいにも新しいトレンドが生まれました。それが、従来の和風建築に赤い屋根の洋室をちょこんとくっつけた和洋折衷の家です。玄関のすぐ横に小さな応接間があり、そこだけテーブルと椅子を置いて洋風の暮らしを楽しむのが当時のステータスでした。実際には家全体のほとんどが畳の部屋だったのですが、「文化」という言葉が最先端でおしゃれな響きを持っていたため、誰もがその暮らしに憧れたんです。

 

17.百貨店の下足番

百貨店の下足番

週末のお出かけ先として大人気だったデパートですが、当時の入り口には今の私たちからすると信じられない光景がありました。なんと、入店するときに自分の履物を脱いでスリッパや靴カバーに履き替える必要があったんです!そのため、入り口には何千足もの下駄や靴を預かる専門のスタッフがずらりと並んでいました。しかし、関東大震災のあと火災時の避難に危険だという理由などから土足入場へと変わり、誰でも気軽に入れるようになったんですよ。

 

18.グリコのキャラメル

グリコのキャラメル

ゴールインマークでおなじみの栄養菓子も、1922年(大正11年)に誕生しました。創業者の江崎利一が、牡蠣の煮汁に含まれるグリコーゲンに着目し、子どもの健康に良いお菓子を作ろうと開発したものです。「一粒300メートル」という有名なキャッチコピーは、1粒のカロリーが走るのに必要なエネルギー量に相当することからつけられました。発売当初からハート型の可愛い粒の形が変わっていないというのも、素敵なこだわりですよね。

 

19.森永キャラメル箱

森永キャラメル箱

黄色い箱でおなじみのロングセラーお菓子も、この時代に大きく飛躍しました。明治末期まではバラ売りで缶に入っていましたが、1914年(大正3年)にポケットに入れて持ち歩ける紙箱入りとして発売されたところ大ヒット!湿気に強いロウ紙で一粒ずつ包む工夫のおかげで、いつでもどこでも美味しいお菓子が楽しめるようになりました。東京駅の売店や映画館でも売られ、モダンなお出かけのお供として大人の間でも大流行したそうですよ。

 

20.国産腕時計の誕生

国産腕時計の誕生

それまで時計といえばポケットに入れる懐中時計が主流でしたが、1913年(大正2年)に服部時計店(現在のセイコー)が日本で初めてのモデル「ローレル」を発売しました。文字盤には美しいホーローが使われ、12の数字だけが赤いおしゃれなデザインだったそうです。当時はまだ部品を作るのが難しく、1日にたった30個ほどしか生産できない高級品でした。しかし、腕を見るだけでパッと時間がわかる便利さが評判を呼び、やがて懐中時計に取って代わるようになりました。

 

21.シャープペン発明

シャープペン発明

私たちが毎日使っている文房具にも、この時代に生まれた大発明があります。1915年(大正4年)、金属加工職人の早川徳次が「早川式繰出鉛筆」という金属製の筆記具を開発しました。セルロイド製の壊れやすい外国製を見事に改良したもので、日本よりも先に欧米で爆発的なヒットを記録したんです!のちに商品名が「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」となり、現在の電機メーカー「シャープ」の社名の由来になったというから、すごい歴史ですよね。

 

22.成金ブームの到来

成金ブームの到来

第一次世界大戦が始まると、戦場から離れた日本にはヨーロッパ諸国から注文が殺到し、空前の好景気がやってきました。このとき、鉄や船の商売で一晩にして莫大な財産を築いた人たちが、将棋の駒になぞらえて呼ばれるようになりました。有名なエピソードとして、料亭の暗い玄関で自分の靴を探すために百円札に火をつけて明かりにしたという風刺画が描かれるほど、桁外れの贅沢ぶりが世間の話題をさらいました。

 

23.米騒動の発端は主婦

米騒動の発端は主婦

好景気の裏で物価がどんどん上がり、ついに1918年(大正7年)に大きな事件が起きます。米の値段が異常に高騰したことに怒り、富山県の漁村で女性たちが米を船に積み込むのを止めようと集まったのが始まりでした。彼女たちの切実な行動が新聞で報じられると、瞬く間に全国の都市へと抗議の動きが広がりました。最終的には当時の内閣が総辞職に追い込まれるほどの大きな社会運動となり、民衆の力の強さを示す出来事となりました。

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24.普通選挙法の成立

普通選挙法の成立

「民本主義」が唱えられ、政治に国民の声を反映させようという動きが盛り上がった結果、1925年(大正14年)に画期的な法律が成立しました。それまで一定以上の税金を納めているお金持ちだけに限られていた選挙権が、25歳以上のすべての男性に認められるようになったんです!これにより、有権者の数は一気に約4倍の1200万人以上に増えました。まだ女性の参政権は認められていませんでしたが、日本の民主主義が大きな一歩を踏み出した瞬間でした。

 

25.関東大震災の衝撃

関東大震災の衝撃

1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分、マグニチュード7.9と推定される巨大地震が関東地方を襲いました。ちょうどお昼ご飯の支度で火を使っている時間帯だったため、東京や横浜の広い範囲で激しい火災が発生し、10万人以上が亡くなる未曽有の大災害となりました。しかし、この悲劇から立ち上がる復興の過程で、鉄筋コンクリートの建物や広い道路、郊外への鉄道網が一気に整備され、東京は近代的な大都市へと生まれ変わっていきました。

 

26.竹久夢二の美人画

竹久夢二の美人画

この時代のロマンチックな雰囲気を象徴するアーティストといえば、画家の竹久夢二です。彼が好んで描いた、大きな瞳でどこか憂いを含んだ表情のほっそりとした女性像は「夢二式美人」と呼ばれ、一世を風靡しました。美術館に飾られる絵画だけでなく、雑誌の表紙や浴衣のデザイン、さらには便箋や封筒といった可愛い日用雑貨のイラストもたくさん手がけており、現代でいうイラストレーターやグラフィックデザイナーの先駆けのような存在だったんですよ。

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27.児童文学の黄金期

児童文学の黄金期

子どもをひとりの人間として尊重しようという考え方が広まり、1918年(大正7年)に童話雑誌『赤い鳥』が創刊されました。芥川龍之介が『蜘蛛の糸』や『杜子春』を初めて発表したのも、実はこの子ども向け雑誌だったんです!また、北原白秋や西條八十らが美しい童謡を次々と作り出し、「かなりや」や「赤とんぼ」など今に歌い継がれる名曲がたくさん生まれました。文豪たちが本気で子どもたちのために作品を作っていたなんて、とても贅沢な時代ですよね。

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28.活動写真と弁士

活動写真と弁士

当時の映画は今とは違う名前で呼ばれ、まだフィルムに音声が入っていない無声映画(サイレント映画)でした。そこで大活躍したのが、スクリーンの横に立って登場人物のセリフや物語の解説を一人でしゃべる専門の語り手です!名調子で観客を泣かせたり笑わせたりする人気の語り手は、なんと映画に出演している俳優さん以上にギャラが高く、その名前を目当てに映画館へ足を運ぶファンが続出するほどのスーパースターだったんですよ。

 

29.アインシュタイン来日

アインシュタイン来日

1922年(大正11年)、相対性理論で有名な天才物理学者が日本を訪れ、43日間にわたって各地を巡りました。ちょうど来日直前にノーベル物理学賞の受賞が決まったというニュースが飛び込んだこともあり、日本中が熱狂的なブームに包まれました!難しい物理の理論は分からなくても、ひと目その姿を見ようと講演会には何千人もの聴衆が詰めかけたそうです。彼は日本の美しい自然や人々の親切さに深く感動したと日記に残しています。

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30.天皇の遠眼鏡事件

天皇の遠眼鏡事件

最後は、当時の天皇にまつわるちょっと微笑ましい有名なエピソードです。1913年(大正2年)の帝国議会の開院式で、手元の勅語(お言葉が書かれた紙)をくるくると丸めて望遠鏡のようにし、議場を見渡したというお話があります。堅苦しい儀式の場での意外な行動に周囲はびっくりしたそうですが、実は気さくでユーモアのあるお人柄だったとも言われています。どこか人間味にあふれたおおらかな時代の空気を象徴するお話として、今も語り継がれています。

 

まとめ

いかがでしたか?わずか15年という短い期間の中に、現代の私たちの暮らしにつながる発見や文化がこんなにもたくさん詰まっていたなんて、本当にワクワクしますよね。西洋の新しい文化と日本の伝統が絶妙に混ざり合ったからこそ、今見てもレトロで可愛い独自の魅力が生まれたのかもしれません。

今度カレーライスを食べたり、東京駅を通りかかったりしたときは、ぜひ100年前のモダンな人々の姿を思い浮かべてみてくださいね。日常の当たり前の中に隠れた歴史のルーツを知ると、いつもの風景がちょっと違って見えてくるはずです。気になったエピソードがあれば、ぜひお友達や家族との雑談でシェアして盛り上がってください!

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