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江戸時代の化粧の雑学30選~面白い道具や美容本の秘密と豆知識~

江戸時代の化粧雑学

江戸の女性のおしゃれといえば、真っ白な顔に赤い口紅を思い浮かべる方が多いかもしれません。でも、浮世絵の口元には緑色の不思議な輝きがあり、化粧道具には見慣れない小さな器や筆がずらりと並んでいます。

今回は、美人画や当時の美容書の挿絵、残された道具を見ながら、江戸時代の化粧や美容に関する雑学を30個ご紹介します。社会のルールとして行う化粧と、流行を楽しむ工夫を分けて眺めると、女性たちの生き生きとした暮らしが見えてきますよ。なお、習慣には地域・身分・年代による違いがあります。

※浮世絵は生活の写真記録ではなく、美しく見せる演出を含みます。明治期の回顧画や現代の資料写真は各出典欄で区別しています。昔の化粧品や美容書の処方・治療法は、現在の実践方法として紹介するものではありません。

 

1.下唇が緑色に輝く

紅猪口と筆を持ち、下唇に紅を重ねる女性を描いた渓斎英泉の美人画

赤い口紅のはずなのに、なぜか下唇がキラキラと緑色に見えることがあります。文化・文政期の一時期に大流行した「笹紅(ささべに)」は、そんな特徴的なメイクでした。玉虫色に輝く純度の高い紅を何層も重ねて笹のような色に見せたのです。高価な紅をたっぷり使うため、誰もが気軽に楽しめる流行ではありませんでした。英泉の絵でも、左手の紅猪口と右手の筆が化粧の最中であることを伝えてくれますね。

画像:伊勢半本店 紅ミュージアム所蔵・渓斎英泉「今様美人拾二景 てごわそう」/Wikimedia Commons(1830年と記載、パブリックドメイン)。参考:伊勢半本店「江戸時代の紅化粧」

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2.鏡はガラスではない

蝶と牡丹の装飾を背面に備えた青銅製の柄鏡

江戸の化粧に欠かせなかった鏡ですが、私たちが使う今の鏡とは作りがまったく違います。当時主流だった和鏡は、青銅を鋳型に流し込んで磨き上げた金属製だったのです。持ち手の付いた「柄鏡(えかがみ)」は扱いやすく、背面には草花などの美しい装飾も施されました。写真の資料は、蝶と咲いた牡丹を表した一枚です。化粧のための実用品でありながら、裏返すと工芸品としての楽しさもある素敵な道具でした。

画像:クリーブランド美術館「Mirror with Handle, Decorated with a Butterfly and Blooming Peony」(17世紀初頭~19世紀中頃の資料を撮影、CC0 1.0)。参考:名古屋刀剣博物館「第17回 和鏡の見方」

 

3.洗う道具はぬか袋

ぬか袋で首を洗う女性を描いた江戸名所百人美女の御殿山

江戸の女性たちは、白粉を塗るだけでなく、素肌を清潔に洗うことにもとても気を配っていました。そこで身近な洗浄料として活躍したのが、お米を精米するときに出る米ぬかです。米ぬかを絹や木綿の布に包んで顔や全身を優しくこすっていたそうで、中身はその都度取り替えていたようです。「御殿山」には、首筋を洗う女性が描かれています。手に持つ小さな袋に注目すると、美人画の中に日常のお手入れが見つかりますね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・豊国、国久「御殿山」(1858年)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代4〈洗顔〉」

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4.お歯黒にも親がいた

口を開いた既婚女性を描く月岡芳年のかいたさう

女性が初めて歯を黒く染める際には、親類の女性などに「かね親」をお願いする習慣がありました。必要な道具一式を贈ってもらい、染め方の手順を教わる大切な通過儀礼でもあったのです。江戸中期以降、結婚前後の女性のしるしとして広まりましたが、年齢や身分によって始める時期は異なりました。芳年の絵に描かれた黒い歯も、単なる色の好みだけでは読み解けません。なお、この絵は嘉永年間の女性を明治になって振り返った作品です。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・芳年「風俗三十二相 かいたさう 嘉永年間おかみさんの風俗」(1888年制作の回顧画)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代6〈お歯黒・眉化粧〉」

 

5.黒い歯は二つの材料

歯の博物館に展示された、お歯黒壺やふし箱などのお歯黒道具

お歯黒は、墨のような黒い絵の具をそのまま歯に塗っていたわけではありません。使われていたのは、鉄分を溶かし込んだ液体と、ヌルデという植物の虫こぶを粉末にした「五倍子粉(ふしのこ)」です。鉄の液と植物のタンニンを交互に塗って化学反応で黒く定着させたというから驚きですね。展示写真にお歯黒壺とふし箱が並ぶのも、液体と粉の両方を扱う必要があったためです。鉄を含む液には独特の臭いがあったといわれています。

画像:KKPCW撮影「Blackening Teeth (Ohaguro) Tools」/歯の博物館展示、Wikimedia Commons(2019年撮影、道具の個別製作年は未確認)。CC BY-SA 4.0、トリミング・色調変更なし。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代6〈お歯黒・眉化粧〉」 画像は当サイトで縮小・WebP形式に変換。

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6.塗った後は口をゆすぐ

耳だらいやかねわんなど、複数の容器を組み合わせたお歯黒道具の展示

お歯黒道具の一式を見ると、小さな壺だけでなく、茶碗やたらいのような大きな容器も並んでいます。液を作って歯に塗れば終わり、という手軽なものではなかったのですね。お歯黒には強い渋みがあり、染め終えた後は専用の茶碗や耳だらいを使って余分な液を洗い流していたのです。展示には「かねわん」「かね沸かし」「房楊枝」などの道具も紹介されており、美しい黒い歯を保つには準備から後始末まで多くの手間がかかっていました。

画像:KKPCW撮影「Blackening Teeth (Ohaguro) Tools」/歯の博物館展示、Wikimedia Commons(2019年撮影、道具の個別製作年は未確認)。CC BY-SA 4.0、トリミング・色調変更なし。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代のメーク方法」 画像は当サイトで縮小・WebP形式に変換。

 

7.黒い歯でも未婚の場合

天保年間の遊女の風俗を描いた月岡芳年のしなやかさう

美人画の黒い歯を見て、「この女性は結婚している」と決めつけるのは少し早いかもしれません。実は、遊女のように結婚していなくても仕事や一定の年齢を機にお歯黒をする女性もたくさんいたのです。京都・大坂と江戸では、遊女や芸者の習慣にも違いがありました。また、独身であっても年齢が上がり、世間体を意識して歯を染めるケースもあったとされます。画像は天保年間の遊女を題材にした明治期の回顧画で、職業や背景も大切な手がかりになります。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・芳年「風俗三十二相 しなやかさう 天保年間傾城之風俗」(1888年制作の回顧画)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代6〈お歯黒・眉化粧〉」

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8.眉には家の決まり

享和年間の官女の眉化粧を表した月岡芳年のひんがよささう

江戸時代には、自分の好みだけで眉の形を選べない女性たちもいました。公家や上流の武家では、家に伝わる礼法に従い、一定の年齢になると地眉を剃って新しく描き直したのです。額に描く作り眉の位置や形は、年齢や身分を表す厳格なルールと結び付いていました。眉化粧をまとめた専門の礼法書があるほど、大切な身だしなみだったのですね。画像の題名は「享和年間官女之風俗」で、流行とは違う儀礼としての装いが見えてきます。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・芳年「風俗三十二相 ひんがよささう 享和年間官女之風俗」(1888年制作の回顧画)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代6〈お歯黒・眉化粧〉」

 

9.庶民は眉を描かない?

女性の顔と髪形を描いた江戸名所百人美女の四ツ谷

眉を剃る習慣は、上流階級と町方の庶民とで同じではありませんでした。庶民の女性の間では、妊娠や出産をきっかけに眉を剃り落とし、その後は作り眉を描かない習慣が広まっていたのです。自らの眉をなくすことが、妻や母になった人生の節目を示すサインになっていました。一方で、結婚前は自分の顔立ちに合わせて眉を整えるおしゃれも楽しまれています。1858年の美人画「四ツ谷」でも、口元や眉元に目を向けると髪形とは別の情報が見つかります。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・豊国、国久「四ツ谷」(1858年)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代6〈お歯黒・眉化粧〉」

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10.絵の眉には演出も

女性と子どもを描いた歌川国芳の幼童諸芸教草

出産後に眉を剃る習慣があったはずなのに、子どもと一緒の女性にしっかり眉が描かれている浮世絵があります。実は、眉がないとどうしても老けて見えるため、若い母親を若々しく魅力的に見せるためにあえて眉を書き添える約束事があったとされます。浮世絵の顔は、当時の化粧をそのまま写真のように写したものとは限りません。「幼童諸芸教草」も、実際の暮らしの手がかりと絵画ならではの美化を分けて読むと、より深く楽しめますよ。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・朝桜楼国芳「幼童諸芸教草」(制作年未詳)。資料情報:国立国会図書館デジタルコレクション

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11.白粉は水で溶く

化粧道具を前にした女性を描いた江戸名所百人美女の柳はし

江戸時代の白粉(おしろい)は、現代のフェイスパウダーのように粉をそのまま肌にはたくものではありませんでした。小さな器の中で白粉に水を加えて溶き、指や刷毛で肌に塗り伸ばす方法が一般的だったのです。額、頬、鼻、口の周りへと丁寧に広げ、むらのない美しい仕上がりを目指しました。白粉と水を扱うため、鏡の前には専用の器も欠かせません。1858年の「柳はし」でも、女性のそばに置かれた道具から当時の化粧風景が想像できますね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・豊国、国久「柳はし」(1858年)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代のメーク方法」

 

12.全員が厚化粧ではない

女性の化粧姿を描いた歌川国貞の当誓美人揃之内

江戸の女性というと、誰もが毎日顔を真っ白に塗っていたようなイメージがあるかもしれません。しかし、白粉の濃さには時代や地域、職業による大きな差がありました。町で暮らす庶民は素顔やほんのり塗る薄化粧が多く、武家の御殿女中などは格式を重んじたしっかりめの白塗りだったようです。また、美人画の白い顔は木版画の印刷上の表現でもあるため、そこから実際に塗った量までは測れません。作品の背景と合わせて楽しみたいポイントですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・一寿斎国貞「当誓美人揃之内」(1855年)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代の白粉化粧」

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13.仕上げに紙を使う

女性と化粧道具を描いた江戸名所百人美女の柳はし

当時のベストセラー美容書『都風俗化粧傳』には、白粉を肌に伸ばした後のきめ細かなテクニックも載っています。なんと、顔に薄い紙を当ててその上から水でぬらした刷毛でなで、粉浮きや塗りむらを抑えるという方法です。さらに余分な白粉を手ぬぐいで軽く押さえて、自然なツヤと密着感を出す説明もあります。すべての女性が毎回行った手順とは限りませんが、きれいに見せるための工夫はいつの時代も熱心ですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・豊国、国久「柳はし」(1858年)。白粉の仕上げは同ページの『都風俗化粧傳』解説を参照。

 

14.白粉の美しさと危険

国貞の集女八景の洞庭秋月を収録した日本裸体美術全集の画像

透き通るような白い肌を作る習慣には、実はとても怖い一面も隠されていました。江戸時代には、鉛を原料とした白粉が広く使われていたため、長年の使用による慢性的な鉛中毒が深刻な健康被害につながったのです。上流の家庭では、乳母が胸元まで白粉を塗り、それを乳幼児がなめ取って体調を崩すことも問題になったと説明されています。白い肌への強い憧れを見る一方で、化粧品の安全性という視点も考えさせられますね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・五渡亭国貞「集女八景 洞庭秋月」。画像の採録元は高見沢木版社編『日本裸体美術全集』第4巻(1931年)。

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15.口紅は器の内側に

左手に紅猪口、右手に筆を持つ渓斎英泉のてごわそうの女性

英泉の絵で女性が左手に持っている小さな器は、「紅猪口(べにちょこ)」と呼ばれる道具です。当時の紅は今のようなスティック状ではなく、猪口や小皿、貝殻などの内側に紅の成分を薄く塗り付けた状態で販売されていたのです。使うときは、水を含ませた紅筆や指先で器の内側をなぞり、少しずつ溶かしながら唇へ乗せていきました。同じ絵でも、口元の色だけでなく手元の小さな容器に注目すると、当時の優雅な所作が見えてきます。

画像:伊勢半本店 紅ミュージアム所蔵・渓斎英泉「今様美人拾二景 てごわそう」/Wikimedia Commons(1830年と記載、パブリックドメイン)。参考:伊勢半本店「江戸時代の紅化粧」

 

16.基本の色は三つ

女性の顔と髪を大きく描いた渓斎英泉の当世好物八契

江戸のメイクを読み解くときに覚えておきたいのが、使われていたカラーバリエーションです。現代のようにたくさんの色を使うのではなく、紅の「赤」、白粉の「白」、そして髪や眉・お歯黒の「黒」というわずか3色の濃淡で顔の印象を作っていました。赤色は唇だけでなく、ほんのり頬や目元、爪先にも使われています。着物の華やかな多色使いと、顔の限られた3色のコントラストを比べて見ると、江戸美人の粋なバランスがよくわかりますよ。

画像:国立国会図書館「本の万華鏡」・渓斎英泉「当世好物八契」(制作年未詳)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代のメーク方法」

 

17.流行をまねる節約案

女性の装いを描いた歌川国貞の当世美人合踊師匠

金と同じくらい高価ともいわれた紅を惜しげもなく重ねる「笹紅」は、庶民の女性にはなかなか手が届かない憧れのおしゃれでした。そこで当時の美容書には、あらかじめ唇に墨などを塗って暗い下地を作り、その上から少量の紅を重ねて玉虫色の輝きを再現する裏ワザも紹介されています。記載があることと実際にどれほど普及したかは別の話ですが、お金をかけずにトレンドを楽しもうとする涙ぐましい知恵には親近感がわきますね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・香蝶楼国貞「当世美人合踊師匠」(制作年未詳)。参考:伊勢半本店「江戸時代の紅化粧」

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18.目元にも紅を使う

女性の顔と上半身を描いた渓斎英泉の浮世四十八手

紅は唇を彩るためだけの化粧品ではありませんでした。目尻や目の端にほんのりと赤みを差す「目弾き(めはじき)」というメイクも楽しまれていたのです。これはもともと歌舞伎役者が舞台で目元をはっきり見せるために行っていた化粧を、町の女性たちがおしゃれとして取り入れたものとされています。また、爪先に紅を塗る「爪紅(つまべに)」も見られました。一つの紅が、口紅にもアイシャドウにもネイルにもなっていたのですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・渓斎英泉「浮世四十八手」(制作年未詳)。参考:伊勢半本店「江戸時代の紅化粧」

 

19.豆の粉も洗顔料に

ぬか袋で体を洗う女性を描いた江戸名所百人美女の御殿山

江戸時代の洗顔料として使われていたのは、米ぬかだけではありません。古くから小豆や大豆などを細かくひいた粉を使う伝統があり、元禄期には豆の粉に白檀などの香料や生薬をブレンドした「洗い粉」がお店で売られていたのです。美容書には、洗い粉を水で溶いて使うほか、ぬか袋に入れて使う方法も紹介されています。「御殿山」に描かれた袋の中身までは特定できませんが、香りまで楽しみながら肌を洗う文化があったのは素敵ですね。

画像:国立国会図書館「本の万華鏡」・豊国、国久「御殿山」(1858年)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代4〈洗顔〉」

 

20.化粧水に蒸留器

中津市村上医家史料館のランビキと焜炉を撮影した資料写真

鍋や壺が三段に重なったような「蘭引(らんびき)」は、液体を温めて蒸気を集める蒸留器です。お酒や薬を作るだけでなく、当時の美容書には野いばらの花びらを蘭引で蒸留して「花の露」という香り高い化粧水を作る方法が図解付きで登場します。今でいうローズウォーターのようなフローラルウォーターですね。写真は村上医家史料館にある江戸期の蘭引で、当時の人々が本格的な道具で香りや美容を楽しんでいた様子が伝わります。

画像:WolfgangMichel撮影「Ranbiki」/中津市村上医家史料館、Wikimedia Commons(江戸期の器の現代写真、CC0 1.0)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代5〈化粧水〉」

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21.売り文句は白粉のり

江戸の水の売り文句を載せた引札を収録する江戸時代名物集の画像

江戸時代に大人気となった化粧水「江戸の水」のチラシ(引札)には、女性の心をくすぐる巧みなキャッチコピーが書かれていました。そこにあるのは、「おしろいのよくのるおかほのくすり」という、メイクの下地効果をアピールする魅力的な言葉です。当時の白粉は水で溶いて塗るため、肌が荒れていたり乾燥していたりするとなかなかきれいに伸びません。化粧の仕上がりを良くしたいという女性の悩みは、今も昔も変わらないのですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・『江戸時代名物集』収録「江戸の水」の引札(引札の制作年未詳)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代5〈化粧水〉」

 

22.作家が化粧水を宣伝

式亭正舗の店先を描いた式亭三馬の江戸水福話の挿絵

滑稽本『浮世風呂』などで知られる人気作家の式亭三馬(しきていさんば)は、実は薬屋「式亭正舗」を営む経営者でもありました。彼は自分の店で売り出した化粧水「江戸の水」をヒットさせるため、自身の小説の登場人物に商品の良さを語らせるという、現代のタイアップ広告のような手法を次々と繰り出したのです。1812年刊の『江戸水福話』にはにぎわう店先も描かれており、物語を楽しむ読者がそのままお店のお客さんになる見事な仕掛けでした。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・式亭三馬『江戸水福話』3巻(1812年)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代5〈化粧水〉」

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23.大きな目を小さく?

都風俗化粧傳の目の大いなるを小さく見する図

現代のアイメイクといえば目をぱっちりと大きく見せるのが定番ですが、江戸の美容書『都風俗化粧傳』には「目の大いなるを小さく見する図」という驚きの項目があります。当時は切れ長で涼しげな目元が上品とされたこともあり、生まれつきの顔立ちやパーツの大きさに合わせて、白粉や紅の塗り方で視覚的なバランスを調整する発想があったのです。「江戸の女性全員が小さな目を好んだ」とまでは言えませんが、コンプレックスをカバーするメイク術の歴史は深いですね。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・佐山半七丸『都風俗化粧傳』上「目の大いなるを小さく見する図」(初刊1813年、掲載本の刊年は19世紀・詳細未詳)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代の美容書」

 

24.背を高く見せる図

都風俗化粧傳の背の低きを高ふ見する仕様の図

江戸時代の美容書が扱っていたのは、顔に塗るメイクアップだけではありません。『都風俗化粧傳』には、「背の低きを高ふ見する仕様の図」というスタイルアップのページまで収録されています。髪の結い方や着物の着こなし、首筋の見せ方を工夫することで、全身をすらりと背が高く見せるトータルコーディネートを提案していたのです。実際にどれほどの女性が実践したかはわかりませんが、全身のシルエットまで「化粧」の一部として捉えていたことがよくわかります。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・佐山半七丸『都風俗化粧傳』下「背の低きを高ふ見する仕様の図」(初刊1813年、掲載本の刊年は19世紀・詳細未詳)。

 

25.歩き方まで美容の話

都風俗化粧傳に掲載された足を直す図

『都風俗化粧傳』の中巻を開くと、「足を直す図」というユニークな挿絵が目に飛び込んできます。これは外股歩きを改善する方法として載せられたもので、美しい立ち居振る舞いや猫背にならない姿勢づくりまでが、女性を魅力的に見せる美容の課題に含まれていたのです。現代のウォーキングや姿勢矯正にも通じる視点ですね。もちろん歴史上の記述ですので現在の安全な方法とは異なりますが、当時の美意識の幅広さを知る資料としてとても興味深い一枚です。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・佐山半七丸『都風俗化粧傳』中「足を直す図」(初刊1813年、掲載本の刊年は19世紀・詳細未詳)。

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26.櫛は小さな工芸品

雪輪形の区画に景色を描いた金漆装飾の櫛

髪を整えたり飾ったりする「櫛(くし)」も、女性たちのおしゃれ心を満たす大切なアイテムでした。写真の櫛は、金色の漆で華やかに装飾され、雪輪形の区画の中に繊細な風景が描かれています。わずか幅10センチほどの小さなスペースが、職人技の詰まった絵画や工芸を楽しむキャンバスにもなっていたのです。所蔵館の年代指定は19世紀(江戸〜明治)と幅がありますが、道具の歯の上にある美しい模様を見ると、実用性と芸術性の見事な融合を感じますね。

画像:Walters Art Museum「Ornamental Comb (kushi)」67.592/Wikimedia Commons(19世紀、江戸・明治にまたがる年代指定、現代の資料写真)。写真はCC BY-SA 3.0、トリミング・色調変更なし。参考:ウォルターズ美術館の作品解説

 

27.婚礼道具にも化粧台

松竹桜の家紋や蒔絵を備えた婚礼道具の櫛台

毎日の身支度に使う化粧道具は、お嫁入りの際に用意される特別な品にもなりました。写真は19世紀初頭の「松竹桜家紋蒔絵櫛台」で、大名家などの婚礼調度品の一組として作られたものです。漆塗りの木地に金銀の蒔絵で松竹や桜、家紋があしらわれ、道具を収納する台そのものが家の格式を示す宝物になっていました。もちろん庶民の一般的な化粧台とは異なりますが、結婚という晴れの舞台を彩った豪華な世界観が味わえる資料です。

画像:メトロポリタン美術館「松竹桜家紋蒔絵櫛台」/Wikimedia Commons(19世紀初頭の資料の現代写真、CC0 1.0)。参考:同館の作品解説

 

28.髪結いは訪問の仕事

女性の髪を結う仕事を描いた喜多川歌麿の婦人手業拾二工の髪結い

江戸時代の複雑で美しい日本髪を陰で支えていたのが、女性の髪を専門に結い上げる「女髪結い(おんなかみゆい)」という職業です。安永期ごろに登場したとされ、現代の美容室のように店でお客さんを待つのではなく、櫛や元結などの道具を持って依頼主の女性のもとへ出張し、髪を結い上げるスタイルが基本でした。自分で髪を結うのがたしなみとされた時代ですが、粋な流行のヘアスタイルを作るにはプロの職人の腕前が頼りにされていたのですね。

画像:南オーストラリア美術館所蔵・喜多川歌麿「婦人手業拾二工 髪結い」/Wikimedia Commons(1797~1798年ごろ、パブリックドメイン)。参考:ポーラ文化研究所「女髪結い」

 

29.白粉にも等級がある

化粧する女性を描いた歌川国貞の当誓美人揃之内

一口に「白粉」といっても、江戸時代にはすべての女性が同じ品質のものを使っていたわけではありません。『都風俗化粧傳』では粉の細かさなどでランク分けされており、きめ細かな上等品を「生白粉(きおしろい)」、役者用のものを「舞台香」、安価なものを「唐の土(とうのつち)」と呼んで区別しています。現代にデパコスとプチプラがあるように、当時も予算や用途に合わせたコスメ選びがあったと知ると、江戸の暮らしがぐっと身近に感じられます。

画像:国立国会図書館「本の万華鏡」・一寿斎国貞「当誓美人揃之内」(1855年)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代の白粉化粧」

 

30.美容の本は長く読まれた

文字による解説と目の挿絵を組み合わせた都風俗化粧傳の一頁

この記事でもたびたび登場した1813年(文化10年)初刊の『都風俗化粧傳』は、一時的なブームで終わった本ではありませんでした。なんと、1923年(大正12年)の関東大震災で印刷用の版木が焼失してしまうまで、110年間も増刷され続けた超ロングセラーだったのです。わかりやすい文章と豊富な挿絵でメイクやヘアアレンジ、姿勢までを解説したこの本は、時代を超えて「もっと美しくなりたい」と願う女性たちのバイブルとして愛され続けました。

画像・参考:国立国会図書館「本の万華鏡」・佐山半七丸『都風俗化粧傳』上(初刊1813年、掲載本の刊年は19世紀・詳細未詳)。参考:ポーラ文化研究所「江戸時代の美容書」

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まとめ

江戸時代の化粧には、下唇が緑色に輝く「笹紅」のような華やかなトレンドもあれば、お歯黒や眉剃りのように結婚や出産といった人生の節目・身分を表す社会のルールもありました。時代や地域、職業を添えて眺めてみると、一枚の美人画から見えてくる女性たちの暮らしがぐっと具体的になりますね。

小さな器に入った紅、首筋を洗うぬか袋、そして100年以上も愛された美容本。次に美術館や本で浮世絵を見るときは、ぜひ口元の色や女性のそばに置かれた小さな化粧道具にも目を向けてみてください。気になった雑学があれば、ぜひ周りの人にもシェアしてみてくださいね!

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