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江戸時代の仕事の雑学30選~庶民や商売の面白い豆知識一覧~

江戸時代の仕事雑学

江戸時代の仕事と聞くと、大工や魚売りを思い浮かべませんか? でも、町にはからくりでお客を集める人や、おしゃれの悩みに応える人など、個性豊かな働き手がたくさんいました。商売の工夫を知ると、昔の暮らしがぐっと身近に感じられます。

今回は、浮世絵や古書の挿絵を眺めながら楽しめる、江戸時代の仕事と商売の雑学30選をご紹介します。人物の手元や店先の品物にも注目して、働く人たちの世界をのぞいてみましょう!(※江戸の町だけでなく、京都・大坂や各地の仕事も紹介します。浮世絵や物語の挿絵には演出や見立てもあるため、絵に見えることと、資料の解説で確認できることを区別しています。)

 

1.飴売りは芸達者

踊る飴売りと子どもたち、そばに置かれた覗きからくり
英一蝶原画『英一蝶画譜』。採用版の刊行年は掲載ページに記載なし。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

江戸時代の飴売りには、商品を売るだけでなく、歌や踊りでお客を呼び込む人もいました。絵の右側にある箱は「覗きからくり」と呼ばれ、異国の風景などを絵や人形で見せる仕掛けで客寄せに使われた道具です。左側の桶には売り物の飴が入っており、甘いものを楽しみながら見世物にも出会えるなんて、つい足を止めたくなりますね。お客に振り向いてもらうための工夫は、昔の商売でも大切だったんです。

 

2.大樽の中が仕事場

巨大な樽の内側で作業する職人と、樽越しの富士山
葛飾北斎『冨嶽三十六景 尾州不二見原』、1830~1832年頃。出典:The Metropolitan Museum of Art、CC0。作品情報/Commonsの利用条件。参考:国立国会図書館「杉と日本人のお付き合い」

画面いっぱいに描かれた大きな木製の容器の内側に、黙々と作業する職人がいます。葛飾北斎のこの絵では、丸い輪郭が富士山を囲む額縁のようになっていて、仕事の道具そのものが景色を引き立てています。こうした容器は酒・油・味噌などを入れる道具として暮らしを支えており、中身を作る人だけでなく、それを収める器を作る職人も必要でした。職人と容器の大きさを見比べると、作業の迫力まで伝わってきます。

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3.作家が化粧水を宣伝

江戸水福話に描かれた式亭三馬の薬屋の店先
式亭三馬『江戸水福話』、文化9年(1812)。作品内の店先描写です。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

『浮世風呂』などで知られる式亭三馬は、戯作者であると同時に薬屋「式亭正舗」を経営していました。そこで売り出した「江戸の水」という商品を広めるため、自分の作品で登場人物に店名や商品の効能を語らせるという巧みな手法をとっていたそうです。物語を楽しんでいるうちに、お店や商品まで気になる仕組みだったんですね。書く才能と売る工夫を組み合わせた、三馬の商売上手な一面が見えてきます。

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4.魚を夜通し運ぶ人

魚荷持の仕事を紹介する人倫訓蒙図彙の挿絵
蒔絵師源三郎ほか『人倫訓蒙図彙』第3冊、元禄3年(1690)。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

海産物を扱う仕事には、漁をする人や売る人だけでなく、内陸の町へ届ける専門の運び手である「魚荷持(うおにもち)」がいました。『人倫訓蒙図彙』には、大坂から京都へ新鮮な海の幸を籠に入れて一晩中走って届ける仕事が記されています。また、丹後や若狭から京都へ来る場合は背負って運んだという説明もあり、同じ輸送でも出発地によって運び方が違っていました。食卓の向こうには、こうした運び手の懸命な働きがあったんです。

 

5.会いに行く茶屋娘

笠森稲荷の茶屋娘お仙を描いた鈴木春信の浮世絵
鈴木春信『谷中笠森里日暮ノ里一体之図』、1768年頃。所蔵・画像原提供:The Metropolitan Museum of Art、CC0。掲載出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。作品情報/解説/画像利用条件

谷中の笠森稲荷にあった水茶屋「かぎ屋」では、お仙という看板娘が町中で大評判になりました。お茶を飲みに来るだけでなく、お仙の美しい姿を一目見たいと訪れる客が次々と集まり、鈴木春信の浮世絵にも繰り返し描かれています。大田南畝の記録によると、彼女をモチーフにした手拭いや人形などのグッズまで登場していたそうです。働く人の人気がさまざまな商品へ広がり、お店が「憧れの人に会える場所」になっていたのは現代とも似ていますね。

 

6.浅草海苔は品川産?

海苔の採集や下処理を描いた日本山海名物図会
平瀬徹斎編・長谷川光信画『日本山海名物図会』第3冊。採用資料は寛政9年(1797)求板で、初版年とは異なります。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

「浅草海苔」という名前を聞くと、浅草の近くでとれたものを想像してしまいませんか? 実は『日本山海名物図会』では、品川の海で採集した原料を浅草へ運んで加工した商品だと説明されています。一方で、現地でそのまま仕上げたものは「品川のり」と呼ばれ、区別されていました。同じ海の恵みでも、採集地と加工する場所の組み合わせで呼び名が変わるため、名前を手がかりに当時の商売の流通ルートまで見えてくるんですね。

 

7.イワシが畑へ向かう

俵が積まれた大坂の永代濱干鰯市場
秋里籬嶌著述ほか『摂津名所図会』第5冊、寛政10年(1798)。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

海産物を扱う市場なのに、絵の中でひときわ目立つのは高く積み上げられた無数の俵です。ここは大坂の永代濱にあった干鰯(ほしか)市場で、集められた乾燥品は主に農作物を育てるための肥料の材料として取引されていました。近くにあった雑喉場(ざこば)が食用の鮮魚市場だったのに対し、こちらでは農業を支える魚肥が専門に扱われていたのです。同じ海の生き物でも、用途が変われば商品の姿も売り場もまったく違っていたんですね。

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8.団扇にも人気役者

歌舞伎役者の似顔絵を描いた団扇絵
歌川国貞『やくしやにがほ絵団扇画』。刊行年は掲載ページに記載なし。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

当時の町では、歌舞伎のスターを描いた実用的な絵も盛んに作られていました。贔屓にしている人物の顔を、夏場に涼むための道具でも楽しめたわけです。写真や動画のない時代において、憧れのスターの姿をいつでも手元に置ける日用品は、ファンにとってたまらない存在だったでしょうね。丸みを帯びた枠に収まるよう計算された構図にも、四角い紙の絵とは違う職人や絵師の工夫が詰まっています。

 

9.納豆売りが町を回る

納豆売りを描いた人倫訓蒙図彙の挿絵
蒔絵師源三郎ほか『人倫訓蒙図彙』第4冊、元禄3年(1690)。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

日本の食卓でおなじみの発酵食品は、昔からお店の棚に並べて売るだけの商品ではありませんでした。当時のさまざまな職業を紹介した『人倫訓蒙図彙』には、早朝から籠や桶を担いで威勢よく路地を歩く行商人の姿が描かれています。図に描かれた人物の服装や道具を見ると、美味しいものを作るだけでなく「どのように家庭へ届けるか」も立派な仕事の一部だったことが伝わってきますね。

 

10.天ぷらは串付き

串に刺した天ぷらと大根おろしが描かれた屋台
伊庭可笑作ほか『夢想大黒銀』、天明元年(1781)。物語の挿絵です。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

天明年間になると、江戸の町角で揚げたての料理を売る屋台が登場しました。『夢想大黒銀』の挿絵にも初期の屋台とみられる店が描かれており、手前に並ぶ品々は立ったままでも手軽に食べられるよう棒が刺された状態で提供されています。奥には大根おろしが高く盛られており、庶民の気軽なファストフードとして親しまれていた様子がうかがえますね。物語の挿絵ではありますが、当時の屋台ならではの売り方の一例として楽しめます。

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11.枝豆の売り方に差

江戸と京坂の枝豆売りを描き分けた守貞謾稿
喜田川守貞『守貞謾稿』巻6。江戸後期の自筆資料。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

風俗を詳しく記録した『守貞謾稿』によると、江戸では夏場の豆を茎や葉がついたまま束ねて売り歩いていました。一方、京都や大坂ではあらかじめ茎から外し、さやだけの状態に選別して量り売りなどで販売していたそうです。呼び方にも違いがあり、関西では「さやまめ」と記されていました。同じ季節の味覚でも、地域によってお客の手元に届く姿や売り方が違っていたのが面白いですね。

 

12.商売の願いは神へ

今宮の十日えびすに集まる人々を描いた広重の浮世絵
歌川広重『浪花名所図会 今宮十日ゑひ寿』。制作年は展示ページに記載なし。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

大きな鯛を抱えて釣り竿を持つ「えびす様」は、もともと海の安全や大漁をもたらす漁業の守護神として信仰されていました。それが時代の流れとともに、商家では取引の繁盛、農家では田畑の豊作を祈る対象としても広く親しまれるようになります。歌川広重が描いた大坂・今宮の「十日えびす」の風景には、縁起物を求めて集まる人々の熱気があふれており、働く人たちの心の支えがどこにあったのかを感じさせてくれます。

 

13.巨木を板にする技

高く支えた大きな木材を鋸で挽く職人たち
葛飾北斎『冨嶽三十六景 遠江山中』、1830~1832年頃。出典:The Metropolitan Museum of Art、CC0。作品情報・解説/利用条件

葛飾北斎の『遠江山中』では、画面を斜めに横切る巨大な角材が目を引きます。その上下で息を合わせて働くのは「木挽(こびき)」と呼ばれる職人たちで、山で木を切り倒す工程と建築用の資材へ整える工程が専門分化していたことがよくわかります。大きな鋸(のこぎり)の角度や職人の立ち位置を追ってみると、重労働の現場の緊張感が伝わってきますね。遠くの小さな富士山と手前の大きな仕事場の対比も見事な一枚です。

 

14.染めた布が空を彩る

神田紺屋町の干し場で風になびく長い染め布
歌川広重『名所江戸百景 神田紺屋町』、安政4年(1857)。出典:The Metropolitan Museum of Art、CC0。作品情報・解説/利用条件

澄んだ青空に何本もひるがえる長い反物。ここは染物職人が集まって暮らしていた神田紺屋町で、歌川広重は高い物干し台からの眺めを鮮やかに切り取りました。美術館の解説によると、風に揺れている布は後で小さく切り分けて手拭いにする製品だと紹介されています。つまり、美しい景色の手前に見えているのは完成前の仕事道具そのものなのですね。日用品を作る職人の営みが、江戸の町の風景まで彩っていたことがわかります。

 

15.髪結いはお宅へ出張

鏡の前に座る女性の髪を整える女髪結い
喜多川歌麿『忠臣蔵九段目』。江戸時代、制作年の記載なし。見立てを含む作品です。出典:The Metropolitan Museum of Art、CC0。作品情報/利用条件。参考:ポーラ文化研究所「女髪結い」

もともと男性の身だしなみを整える仕事だった職人の世界に、安永年間頃から女性専門の「女髪結い」が登場しました。彼女たちは固定の店舗で待つのではなく、櫛や簪などの道具を持って顧客の住まいへ回り、流行のスタイルに仕上げる訪問型のサービスを行っていたそうです。当時の日本髪は時代とともに複雑で技巧的な形へと進化し、自分一人で結うのが難しくなっていました。女性たちのおしゃれを陰で支えた、熟練の手仕事ですね。

 

16.荷物は宿場でリレー

藤枝宿で人足や馬が荷物を引き継ぐ様子
歌川広重『東海道五十三次之内 藤枝 人馬継立』。採用作品の美術館表記は1834年頃。出典:The Metropolitan Museum of Art、CC0。作品情報/利用条件。参考:藤枝市郷土博物館・文学館の解説

街道を行き交う公用の書状や積み荷は、同じ担当者や馬が目的地までずっと運び続けるわけではありませんでした。各拠点で次の宿場まで運ぶ担当者と馬を順番に交代させていく「人馬継立(じんばつぎたて)」という仕組みが整えられていたのです。歌川広重が描いた藤枝宿の風景には、汗を拭う人足や荷を載せ替える人だけでなく、帳簿をつけて管理する役人の姿も描かれており、当時の物流が組織的な連携で成り立っていたことがわかります。

 

17.輸入品店で電気実演

大坂伏見町の唐物屋と店の奥のエレキテル実演
秋里籬嶌著・竹原春朝斎画『摂津名所図会』、寛政8~10年(1796~1798)刊の資料。出典:国立国会図書館デジタルコレクション、保護期間満了。原資料/個別権利情報/利用条件。参考:国立国会図書館「暮らしの中の異国」

海外からの舶来品を専門に扱うお店は、当時「唐物屋(からものや)」と呼ばれていました。「唐」という漢字が使われていても中国製品に限らず、東南アジアやヨーロッパから届いた珍しい雑貨や工芸品も幅広く含まれています。『摂津名所図会』に描かれた大坂伏見町の店先をよく見ると、奥の座敷で摩擦起電機の「エレキテル」を動かして客に見せている様子が描かれており、買い物の場に驚きとエンターテインメントが重なっていたことが伝わります。

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18.江戸でもガラス作り

硝子吹の仕事を描いた彩画職人部類の挿絵
橘岷江画『彩画職人部類』上、天明4年(1784)再刻。出典:国立国会図書館デジタルコレクション、保護期間満了。原資料/個別権利情報/利用条件。参考:国立国会図書館・ガラスの解説

当時「びいどろ」や「ぎやまん」と呼ばれ珍重された透明な器は、もともと海外から持ち込まれた高級な舶来品でした。しかし時代が進むと国内でも製造技術が広まり、『彩画職人部類』には溶かした原料に長い管で息を吹き込んで成形する「硝子吹」の職人が登場しています。本文では、まず長崎で製造が始まり、やがて京都や大坂、そして江戸でも作られるようになったと紹介されており、異国の技術をたくましく吸収していった職人の歩みがうかがえます。

 

19.店頭に並ぶ役者の絵

錦絵を扱う店を描いた今様見立士農工商之内商人
歌川豊国『今様見立士農工商之内商人』、安政4年(1857)。見立てを含む作品です。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

色鮮やかな木版画である錦絵を扱う「絵草紙屋」では、歌舞伎の舞台を描いた作品が花形商品でした。特にその芝居が上演されている期間中に売れ行きが伸びるため、道行く人の視線を集めやすい軒先や正面に最新作を吊るして陳列する工夫が凝らされていたそうです。現代では美術館で鑑賞される浮世絵も、当時はトレンドに合わせて素早く出版・販売されるメディア商品だったと知ると、店先の風景がぐっと面白く見えてきますね。

 

20.美容の悩みも本に

背を高く見せる工夫を紹介する都風俗化粧傳の図
佐山半七丸『都風俗化粧傳』下。初刊は文化10年(1813)。採用資料の書誌は19世紀で刊年未詳。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

文化10年(1813年)に出版されロングセラーとなった『都風俗化粧傳』は、今でいう庶民向けの総合ビューティーガイドブックです。白粉の塗り方や髪型の整え方だけでなく、着物の着こなしで背を高く見せるコツや猫背を美しく見せる姿勢の工夫まで、分かりやすい挿絵付きで解説されていました。「どうすればもっと魅力的に見えるか」という読者の切実な悩みに応えるノウハウそのものが、出版業界のヒット商品になっていたのです。

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21.魚売りの店は肩の上

朝の日本橋を渡って町へ向かう魚売りたち
歌川広重『東海道五拾三次 日本橋・朝之景』。制作年は展示ページに記載なし。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

夜明けの日本橋を描いた歌川広重の浮世絵には、天秤棒をかついで足早に町へと向かう人々の姿があります。彼らは「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれ、店舗を構える資金がなくても仕入れた品物を担いで長屋などを回り、直接住民に届ける小売りの担い手でした。大きな魚河岸の問屋や仲買から買い付け、重たい桶を運んで日々の食卓を支えるその姿からは、江戸の朝の活気とたくましい商魂が伝わってきます。

 

22.かまぼこにも地域差

棒に付けた形と板に盛った形を描いたかまぼこの図
喜田川守貞『守貞謾稿』後集巻1。江戸後期の自筆資料。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

木の板に白身のすり身を盛り付けた練り製品は、当時からごちそうの一つとして作られていました。『守貞謾稿』の記録によると、江戸では蒸して仕上げたものを売っていたのに対し、大坂や兵庫から内陸の京都へ出荷する品は輸送中に傷むのを防ぐために塩分を強めにして表面を焼き上げていたそうです。地域の味や製法の違いは、単なる好みの差だけでなく、冷蔵技術のない時代に「どこからどこへ届けるか」という流通の知恵から生まれていたんですね。

 

23.鰹節になるまでの手間

籠に並べた鰹を窯で蒸す工程
法橋関月画『日本山海名産圖會』。採用資料の書誌は19世紀、刊年未詳。展示ページ提供の部分画像です。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

和食の出汁に欠かせない保存食は、海で釣ったばかりの魚がそのまま変化するわけではありません。『日本山海名産圖會』には、頭や内臓、骨を手作業で丁寧に取り除き、竹籠に並べた切り身を大きな窯で蒸し上げてから何日もかけて乾燥させ、表面を削り磨くまでの地道な加工工程が詳しく描かれています。料理に使うときはほんの少し削るだけの食材ですが、お店の棚に並ぶまでには漁師と加工職人の気の遠くなるようなリレーがあったのです。

 

24.タコの隠れ家を用意

明石の蛸壺漁を紹介する日本山海名物図会
平瀬徹斎編・長谷川光信画『日本山海名物図会』第5冊。採用資料は寛政9年(1797)求板。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

海の生き物をとる仕事には、網で囲んだり針で釣ったりするのとはまったく違う発想の漁法もありました。『日本山海名物図会』で播磨国・明石の名物として紹介されている蛸壺漁は、狭い岩陰や穴に身を潜めたがる生き物の習性を逆手にとったユニークな仕掛けです。長い綱にいくつもの素焼きの器を結んで海底に沈め、翌朝に引き上げると、安心しきって中に入った獲物がそのまま捕れるという、自然観察の知恵が光る仕事ですね。

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25.潜って名産をとる人

伊勢の鮑と海女の潜水漁を題材にした国芳の浮世絵
歌川国芳『山海名産尽 伊勢鰒』。制作年は展示ページに記載なし。名産を題材にした浮世絵です。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

縁起物の熨斗(のし)の原料や高級食材として知られた伊勢の鮑(あわび)。その収穫を最前線で支えていたのが、身一つで海に潜る海女(あま)たちの仕事です。彼女たちが海底から採集していたのは鮑だけでなく、サザエやウニなどの貝類から寒天の原料になるテングサなどの海藻類まで多岐にわたっていました。歌川国芳の浮世絵からも、各地の名産品という華やかな名前の裏にある、命がけの採集現場の姿が浮かび上がってきます。

 

26.楊枝屋で歯の手入れ

浅草の楊枝見世柳屋を描いた絵本吾妻の花の再録画像
北尾重政『絵本吾妻の花』の図。採用画像は『日本風俗図絵』第11輯、大正3~4年(1914~1915)の再録で、江戸時代の原本そのもののスキャンではありません。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

寺社の境内などに並んでいた「楊枝見世(ようじみせ)」は、食後に使う細い爪楊枝だけを売るお店ではありませんでした。主力商品として扱っていたのは「房楊枝」と呼ばれるもので、柳などの木の先端を細かく叩いてブラシ状にした、現代の歯ブラシにあたる衛生用品だったのです。浅草寺の境内にあった「柳屋」では看板娘のお藤が「銀杏娘」と呼ばれて大人気となり、オーラルケア用品の店が江戸の観光スポットのようにもなっていました。

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27.鮨も屋台の商品

両国の鮨屋台を描いた絵本江戸みやげ
西村重長ほか『絵本江戸みやげ』。国立国会図書館の解説では、宝暦年間頃の両国の鮨屋台を描く図とされています。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

宝暦年間頃の江戸では、自然発酵を何日も待つ従来の製法に代わり、米に酢を混ぜてすぐに酸味をつける「早鮨」が料理屋や屋台で売られるようになりました。『絵本江戸みやげ』にも、賑わう両国の街角で気軽に立ち寄れる屋台形式の店舗が描かれています。当時はまだ箱に詰めて重しをする押し寿司などから現在の握り寿司へと変化していく途上の時代でもあり、商売のスピード感に合わせて料理の形そのものも進化していったことがわかります。

 

28.船が名産をつなぐ

下関の港に停泊する船を描いた広重の浮世絵
歌川広重『六十余州名所図会 長門 下の関』、安政3年(1856)。絵中の船を特定の商船と断定するものではありません。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

日本各地の特産品や米を大消費地へと届けるためには、海や川を行き交う水上輸送のネットワークが欠かせませんでした。陸路で馬や人が運ぶのに比べて、一度に大量の物資を少ない乗組員で効率よく長距離運搬できるのが最大の強みだったからです。歌川広重が描いた長門国の下関は、日本海から瀬戸内海へと抜ける西廻り航路の重要な寄港地として栄えました。町のお店に並ぶ商品の向こうには、全国の港と海をつなぐ船乗りたちの仕事があったのです。

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29.蒲焼屋もガイドに

鰻蒲焼屋の案内を掲載した江戸買物独案内のページ
中川五郎左衛門編『江戸買物独案内』飲食之部、文政7年(1824)。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

文政7年(1824年)に出版されたショッピング&グルメガイド『江戸買物独案内』には、町で人気の鰻(うなぎ)の専門店も数多く掲載されています。その中の一つ、神田の春木屋は広告の中で「土用の丑の日の元祖」というキャッチコピーを掲げて自店をアピールしていました。店の宣伝文句と歴史上の事実かどうかは区別して見る必要がありますが、「どのお店に行こうか」と迷う消費者へ情報をまとめる出版の仕事と、他店と差別化したい飲食店の工夫がよく伝わってきます。

 

30.お菓子は見た目も大切

竜田川という菓銘と意匠を記した御蒸菓子図
『御蒸菓子図』より「竜田川」。榊原芳野旧蔵の菓子見本帳。作者・成立年は掲載ページに記載なし。出典:国立国会図書館「本の万華鏡」。画像掲載・解説ページ/利用条件

砂糖の流通が増え、茶の湯の文化が成熟するにつれて、和菓子作りは単なる甘味以上の芸術性を帯びるようになりました。当時の菓子屋が作成した見本帳『御蒸菓子図』には、四季の風景や古典和歌の世界観を「菓銘(かめい)」という名前と繊細なデザインで表現した品々が色彩豊かに記録されています。この「竜田川」も紅葉の名所を映し出した一品で、舌で味わう前にまず目と想像力で楽しませるという、職人の粋なプレゼンテーションが息づいています。

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まとめ

江戸時代の町を支えたのは、品物を作る職人だけではありません。運ぶ人、売り歩く人、情報を届ける人など、さまざまな働き手がいました。道具や売り場の形は違っていても、お客に喜んでもらうための工夫には、今と通じるものを感じますね。

気になる絵があったら、人物の手元や店先をもう一度眺めてみてください。小さな道具から、新しい発見があるかもしれません。「昔はこんな売り方をしていたんだって!」と、誰かに話したくなる雑学を見つけてもらえたらうれしいです。

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