ほっと一息つきたいお茶の時間に欠かせない、日本の伝統的なスイーツである「和菓子」。お団子や大福、羊羹やどら焼きなど、私たちが普段何気なく口にしているお菓子には、実は驚くような歴史や意外な名前の由来がたくさん隠されているのをご存じでしょうか。
今回は、思わず誰かに出題したくなるクイズネタから、季節の行事と深く結びついた文化、さらには健康やダイエットに嬉しい秘密まで、知れば和菓子がもっと美味しくなる面白い豆知識を30個厳選してご紹介します。ぜひ最後まで楽しんで読んでみてくださいね。
1.大福の旧名は腹太餅

まるまるとした見た目が可愛らしい「大福」ですが、江戸時代に誕生した当初は、食べるとお腹がいっぱいになることから「腹太餅(はらぶともち)」という名前で呼ばれていました。その後、お腹が膨れる様子を縁起の良い「大腹(だいふく)」と言い換えるようになり、さらに吉字である「福」の字を当てて現在の「大福餅」になったのです。名前ひとつにも、江戸時代の人々の粋な遊び心が詰まっていますね。
2.羊羹はもともと羊の汁物

あずきと寒天で作る甘い「羊羹(ようかん)」に、なぜ動物の「羊」という漢字が使われているのか不思議に思ったことはありませんか。実はそのルーツは中国にあり、もともとは羊肉を煮込んだ熱いスープ(羹=あつもの)のことでした。このスープが冷えるとゼリー状に固まる性質があったのですが、日本へ伝わった際、肉食が禁じられていた禅僧たちが小豆や小麦粉を使って羊の肝や煮こごりに見立てた精進料理を作ったのが始まりなのです。
3.もなかの語源は中秋の名月

パリッとした皮に餡が詰まった「最中(もなか)」は、平安時代の宮中で行われていた月見の宴が由来となっています。当時の歌人である源順(みなもとのしたごう)が、まんまるに輝く美しい十五夜の月を見て詠んだ和歌の一節「水の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋の最中なりける」から名付けられました。宮中で出された丸くて白い餅菓子を「最中の月」と呼ぶようになり、やがて現在の「最中」へと変化していったのです。
4.どら焼きの由来は楽器の銅鑼

世代を問わず愛されている「どら焼き」の名前は、船の出航合図やお寺の法要などで打ち鳴らす打楽器の「銅鑼(どら)」に形が似ていることから名付けられました。また、かつて武蔵坊弁慶が傷を負った際、看病してくれた民家へのお礼として、自分が持っていた熱した銅鑼の上で小麦粉の生地を焼き、あんこを包んで振る舞ったというユニークな伝説も残されています。最初は1枚の生地を折りたたむ形でしたが、大正時代に現在のような2枚で挟むスタイルが定着しました。
5.元祖のお菓子は果物や木の実

現在では「お菓子」といえば砂糖を使った甘い加工品を指しますが、太古の日本において「果子(かし)」と呼ばれていたのは、山で採れる木の実や果物そのものでした。昔の人々が主食の合間に間食として食べていた橘(たちばな)や栗、柿などが、日本におけるお菓子の原点だったのです。のちに中国から穀物を加工する技術が伝わったことで、本来の果物と区別するために「菓」の字が使われるようになりました。
6.生菓子と干菓子の違いは水分

和菓子は大きく「生菓子」「半生菓子」「干菓子(ひがし)」の3種類に分類されますが、この違いは作り方ではなくお菓子に含まれる「水分量」の割合で厳密に決められています。食品衛生上の基準により、全体の水分量が30%以上のものを「生菓子」、10%〜30%のものを「半生菓子」、そして10%以下のものを「干菓子」と呼びます。ちなみに羊羹や最中は、種類によって生菓子にも半生菓子にも分類される奥深いお菓子です。
7.関東と関西で桜餅は別物

春になると店頭に並ぶ「桜餅」ですが、実は関東と関西で見た目も作り方もまったく異なることをご存じでしょうか。関東風の桜餅は「長命寺(ちょうめいじ)」と呼ばれ、小麦粉の生地を薄く焼いたクレープ状の皮で餡を巻いています。一方、関西風の桜餅は「道明寺(どうみょうじ)」と呼ばれ、もち米を蒸して乾燥・粗挽きにした道明寺粉で餡を丸く包んだつぶつぶ食感が特徴です。全国的には関西風の道明寺タイプのほうが広い地域で親しまれています。
8.桜餅の葉が香る科学的な理由

桜餅を包んでいる塩漬けの桜の葉からは、春を感じさせる独特の甘い香りが漂いますよね。実は生の桜の葉をそのまま嗅いでもあの香りはせず、葉を塩漬けにすることで「クマリン」という芳香成分が生成されるため、あのような良い香りになるのです。この桜の葉には、お餅の乾燥を防ぐ役割や抗菌作用があるほか、香りによって美味しさを引き立てるという、先人たちの理にかなった科学的な知恵が活かされています。
9.お彼岸の餅は季節で名が変わる

「ぼたもち」と「おはぎ」は基本的に同じ食べ物ですが、なぜ2つの名前が存在するのでしょうか。その理由は食べる季節にあり、春のお彼岸に咲く「牡丹(ぼたん)」と、秋のお彼岸に咲く「萩(はぎ)」の花にそれぞれ見立てているからです。さらに、夏は農作業の終わりを意味する「夜船(よふね=搗き知らず)」、冬は「北窓(きたまど=月知らず)」という風流な異名もあり、四季の移ろいを大切にする日本ならではの言葉遊びが楽しめます。
10.たい焼きの祖先は今川焼き

頭から食べるか尻尾から食べるかで議論が盛り上がる「たい焼き」ですが、そのルーツは江戸時代から庶民に親しまれていた「今川焼き」にあります。明治時代、東京の麹町でお店を開いた創業者が、丸い形の今川焼きがなかなか売れずに悩んだ末、誰もがおめでたいと感じる高級魚の「鯛」の焼き型を考案したところ、瞬く間に大ヒットしました。庶民にはなかなか手が出せない鯛を、お菓子として手軽に楽しめるようにした大発明だったのです。
11.天然と養殖のたい焼きの違い

たい焼きの世界では、焼き方の違いによって「天然もの」と「養殖もの」というユニークな呼び分けがされています。1匹ずつ独立した焼き型で職人が丁寧に手焼きするものを「天然もの」と呼び、大きな鉄板で一度に6匹から数十匹をまとめて焼き上げるものを「養殖もの」と呼びます。天然ものは高火力で一気に焼くため皮が薄くてパリッと香ばしく、養殖ものはじっくり火を通すため皮がふんわりと柔らかい食感に仕上がるのが特徴です。
12.ういろうは元々痰切りの薬

名古屋名物として有名な米粉の蒸し菓子「ういろう(外郎)」ですが、もともとはお菓子の名前ではなく、室町時代に中国から帰化した陳延祐という人物の官職名「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」に由来する薬の名前でした。彼の一族が作った「透頂香(とうちんこう)」という痰切りや口臭消しの丸薬が「ういろう」と呼ばれ、その苦い薬を飲んだ後の口直しとして出された黒糖風味の蒸し菓子が、いつしか同じ名前で呼ばれるようになったのです。
13.金平糖はポルトガル伝来

小さな星のようなトゲトゲが可愛らしい「金平糖(こんぺいとう)」は、戦国時代の1546年にポルトガルから伝わった南蛮菓子です。名前の語源もポルトガル語で砂糖菓子を意味する「コンフェイト(confeito)」に漢字を当てたもので、当時は織田信長もその珍しさと美味しさに大変驚いたと記録されています。あの特徴的な角(つの)は型に流して作るのではなく、回転する大きな釜の中で核となる蜜に少しずつ蜜をかけ続け、1〜2週間もの歳月をかけて自然に育てていく職人技の結晶です。
14.カステラという都市は無い

金平糖と同じくポルトガルから長崎へ伝わった「カステラ」も、日本で独自の発展を遂げた伝統的な和菓子のひとつです。その名前は、かつてイベリア半島に存在した「カスティーリャ王国(ポルトガル語でカステラ)」のお菓子という意味の言葉がそのまま定着したもので、「カステラ」という名前の都市があるわけではありません。現地のお菓子とは材料も製法も大きく変わり、水飴などを加えてしっとり焼き上げる日本独自の和菓子へと進化しました。
15.6月16日は「和菓子の日」

毎年6月16日は、全国和菓子協会によって制定された「和菓子の日」です。その由来は平安時代の848年(嘉祥元年)6月16日、当時の仁明天皇が御神託に基づいて16個のお菓子やお餅を神前に供え、疫病退散と健康招福を祈願した「嘉祥(かじょう)の祝」という宮中行事にあります。江戸時代には、この日に16枚の銭でお菓子を買って食べると夏バテや病気をしないという風習が庶民の間にも広く根付いていました。
16.串団子が4個になった歴史

イラストなどで描かれる串団子は、昔ながらの「3個刺し」のイメージが強いですが、現在スーパーや和菓子店で買えるお団子は「4個刺し」が多くなっています。実は江戸時代までは、当時の貨幣単位である「四文銭(しもんせん)」に合わせ、1本4文で売るために団子を5個刺していたのが主流でした。しかし明治時代に入り、お金の単位が「1銭=10厘」に変わったことで、計算しやすいように1個2厘で4個刺し(1本8厘)にするお店が増えたと言われています。
17.みたらし団子は人間の形

甘辛い醤油だれがたまらない「みたらし団子」の発祥地は、京都の世界遺産・下鴨神社です。境内にある「御手洗池(みたらしのいけ)」から湧き出る水の泡を模して作られたという説が有名ですが、もうひとつ、一番上の少し大きな団子が「頭」で、残りの4つが「手足」を表す人間の五体を模しているという説もあります。神前に人間の身代わりとしてお供えした団子を、祈祷の後に持ち帰って火に炙り、醤油をつけて食べたのが始まりとされています。
18.三色団子の色は季節を表す

お花見の定番である「三色団子」は、上から「ピンク(赤)・白・緑」の順番で串に刺さっていますよね。この3つの色にはきちんとした意味があり、ピンクは春の桜や太陽、白は冬の名残雪、緑は夏に向かう新緑の大地という、冬から春、そして夏へと移り変わる季節の情景を1本の串で表現しています。「秋がない」ことから「飽きない(商い)」に通じるという粋な駄洒落も含まれており、邪気を払う縁起物としても親しまれてきました。
19.柏餅が端午の節句の理由

5月5日の端午の節句に「柏餅」を食べる習慣は、江戸時代に日本で生まれた独自の文化です。柏の木には、春になって新しい芽が育つまで古い葉が絶対に落ちないという珍しい性質があります。この植物の生態を「子どもが生まれるまでは親が亡くならない=家系が途絶えない」という縁起の良さに結びつけ、武家社会を中心に「子孫繁栄」を願うお祝いの席で柏餅が盛んに食べられるようになりました。
20.落雁はもともと空飛ぶ雁

お盆のお供え物やお茶席でよく見かける、米粉と砂糖を型に押し固めた干菓子「落雁(らくがん)」。なぜお菓子なのに鳥の「雁(かり)」という字が使われているのでしょうか。そのルーツは中国にあり、白い生地の上に黒ごまを散らしたお菓子の見た目が、秋の夕暮れに空から舞い降りてくる雁の群れの風景(平沙落雁)にそっくりだったことから名付けられました。一枚のお菓子の中に壮大な自然の絵画を見立てる、とても風流なネーミングですね。
21.寒天は放置されたトコロテン

羊羹やあんみつに欠かせない「寒天(かんてん)」は、実は江戸時代の京都・伏見の旅館でまったくの偶然から誕生しました。ある寒い冬の日、旅館の主人が薩摩藩の殿様の夕食で余ったトコロテンを外に捨てておいたところ、夜の寒さで凍りつき、昼間の日差しで乾燥してカラカラの干物になっていました。試しにそれを水に入れて煮溶かしてみたところ、海藻特有の臭みが消えた美しいゼリーが出来上がり、のちに隠元禅師によって「寒天(寒い空)」と名付けられたのです。
22.きんつばは日本刀の鍔が由来

四角いあんこに薄い小麦粉の衣をつけて焼いた「きんつば」ですが、江戸時代に京都で生まれた当初は四角ではなく丸い形をしていました。その丸くて平らな形と焼き色が、日本刀の柄と刀の間にある「鍔(つば)」にそっくりだったため「銀鍔(ぎんつば)」と呼ばれていたのです。その後、このお菓子が江戸へ伝わった際、「銀よりも金のほうが景気が良くて縁起がいい!」という江戸っ子気質から「金鍔(きんつば)」へと名前が変わりました。
23.かりんとうの起源は奈良時代

黒糖のコクとカリッとした食感が魅力の「かりんとう」は、奈良時代に中国(唐)から伝わった「唐菓子(からくだもの)」がルーツだとする説があります。また、形や色が植物の「花梨(かりん)」の実に似ていることや、「カリカリと音がする糖(お菓子)」という響きから名付けられたとも言われています。江戸時代の後半に、庶民でも手に入りやすい黒砂糖を使った現在のような素朴なかりんとうが浅草周辺で売り出され、大流行しました。
24.八つ橋の由来は江戸の音楽家

京都土産の代名詞である「八つ橋」には、大きく分けて「三味線の形」という説と「川に架かる橋の形」という2つの由来があります。1つ目は、近代筝曲の祖と呼ばれる江戸時代の音楽家・八橋検校(やつはしけんぎょう)を偲び、琴や三味線の形を模して作られたという説です。もう1つは、『伊勢物語』に登場する三河国・八橋(現在の愛知県知立市)に架けられた、8枚の板を組み合わせた橋をモチーフにしたという説で、どちらも長い歴史を感じさせます。
25.すあまは漢字で「寿甘」と書く

東日本を中心に親しまれている、ピンク色と白色のやさしい甘さのお餅「すあま」。ひらがなで表記されることが多いですが、漢字ではおめでたい意味を持つ「寿甘(すあま)」や「素甘」と書きます。米粉に砂糖とお湯を混ぜて蒸し上げたシンプルなお菓子で、かつては鶴の子餅とも呼ばれ、結婚式や七五三といったハレの日の引き出物として重宝されてきました。ちなみに西日本ではあまり馴染みがなく、関東ならではのローカル和菓子としても知られています。
26.和菓子がダイエット向きな訳

甘いものを控えたいダイエット中の方にも、洋菓子より和菓子がおすすめされるのには明確な理由があります。ケーキやクッキーなどの洋菓子にはバターや生クリーム、卵といった動物性の「脂質」が多く含まれますが、和菓子は米や麦、豆類、寒天といった植物性の食材が中心で脂質が極めて少ないのです。さらに、あんこの原料である小豆や寒天には食物繊維が豊富に含まれているため、腹持ちが良く食べ過ぎを防いでくれるという嬉しいメリットもあります。
27.小豆の赤色は邪気を払う色

お祝いの席のお赤飯やお彼岸のおはぎなど、日本の行事食や和菓子には赤い「小豆(あずき)」が頻繁に使われます。これは古くからの信仰において、太陽や火、血を連想させる「赤色」には災いや邪気を退ける強い霊力があると信じられてきたためです。また、小豆には疲労回復を助けるビタミンB1や抗酸化作用のあるポリフェノール、むくみを防ぐサポニンなど、現代の栄養学から見ても体を守る成分がたっぷり詰まっています。
28.水無月は氷を模した夏越の菓子

京都を中心に6月30日の「夏越の祓(なごしのはらえ)」に食べられる和菓子に、白いういろうの上に小豆を乗せて三角形に切った「水無月(みなづき)」があります。この三角形の白い生地は、かつて宮中の貴族が暑気払いのために氷室(ひむろ)から取り出して口にしていた「氷の欠片」を表しています。昔は本物の氷が庶民には到底手に入らない超高級品だったため、お菓子で氷の形を作って小豆で厄除けを願い、無病息災で夏を乗り切ろうとしたのです。
29.千歳飴は江戸の浅草発祥

七五三のお祝いに子どもたちが手にする紅白の長い「千歳飴(ちとせあめ)」は、江戸時代の浅草で飴売りをしていた七兵衛という人物が考案したと言われています。引っ張るとどこまでも長く伸びる飴の性質になぞらえて、「子どもの寿命が千年(千歳)も長く続くように」という親の切実な願いが込められました。医療が発達していなかった江戸時代において、「7歳までは神のうち」と言われるほど子どもの生存率が低かった背景が、この縁起物の飴を生み出したのです。
30.茶道が和菓子を芸術に高めた

日本の和菓子が、世界でも類を見ないほど繊細で美しい造形美を持つようになった最大の理由は、室町時代から安土桃山時代にかけて千利休らが大成させた「茶の湯(茶道)」の発展にあります。お茶席において、主菓子(おもがし)は単なる甘いお茶請けではなく、季節の移ろいや和歌の世界観を視覚・味覚・嗅覚など五感すべてで味わう「食べられる芸術品」として磨かれていきました。わずか数センチの小さな空間に四季の自然を映し出す技術は、世界に誇る日本の伝統美です。
まとめ
今回は、私たちが日頃から親しんでいる「和菓子」にまつわる30の雑学をご紹介しました。羊羹や大福の意外な名前のルーツから、季節の行事や茶道とともに磨かれてきた職人の知恵まで、小さなお菓子ひとつひとつに日本人の豊かな感性と歴史が息づいていることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
次に和菓子屋さんを訪れたり、お茶の時間にどら焼きやお団子を食べたりする時は、ぜひ今回知った豆知識を思い出してみてくださいね。ご家族や友人との会話のきっかけにクイズとして出題してみると、いつものティータイムがきっと何倍も楽しく、味わい深いものになりますよ。
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